Music: Diana
一週間前 異人館周辺
ハイキングの1週間前、仕事で神戸に行った。北野町の異人館街のど真ん中にある学生用マンションにinternetの工事に行ったのだ。
と言っても私は何もしないのだけれど。六甲はこの街の「裏山」のようなものである。「布引の滝」など全く裏の里山と言った風情
である。
異人館のある街「北野」。迷路のような細い坂道を歩いていくと、時間は巻き戻され、いつしか時が停止したかのような東洋と西洋
が混ざり合う、不思議ワールド。かどをひとつまがるたび、レンガ塀やオイルペンキ塗りの白い館に出くわし、そんな風景に思わず
見とれてしまう。
神戸のまちは、青い海と緑豊かな六甲山という恵まれた自然を背景に、世界に開かれて港をもつ、明るく開放的で異国情緒豊かな近
代的都市として知られている。このような神戸のまちの創世は、古い港町としての伝統と、今から130前の慶応3年12月7日
(1868年1月1日)、諸外国に向けて開港したときに始まっている。
トーマス邸の全景(上)と、それを裏山の「北野天満宮」からみた光景(下)。
北野天満宮
開港した時、外国人居留地(現在の市役所、花時計のあるところから、西に向かって大丸、旧メリケン波止場までの一帯)が設けら
れ、ここにイギリス人技師によって、ヨーロッパの小都市を思わせる都市計画に従って町並みが形成されていった。現在も残ってい
る整然とした町割りのなかに多くの西洋館が建ち並び、これらの建物は「異人館」と呼ばれ、当時の市民たちに新しい時代の到来を
告げた。その大半は既に失われてしまったが、現在浪花町15番地に「株式会社ノザワ」の名前で残る建物は、明治13年ごろの建
築で神戸に現存する最古の異人館である。
北野町の中公園に移設された赤レンガ造の門柱は、かつての居留地83番にあった英国商館(ジャーデン・マセソン)の門柱の一部
である。一方北野町、山本通のある山手一帯は、居留地の商館街と異なって、緩やかな南斜面の見晴らしのよい住宅地として早くか
ら外国人たちに注目され、明治初年から住宅が建てられたが、本格的な外国人住宅地として発展するのは明治20年代からである。
第二次世界大戦まで、この辺りには200棟以上の異人館と和風住宅が建ち並び、独特の雰囲気のある住宅地となっていた。
大戦による戦災や、戦後の経済成長の余波、さらに老朽化によって、多くの異人館が消滅したが、震災前にはまだ80数棟が残って
いた。現在震災でさらに数を減らしているが、残っている異人館は、それぞれ個性的な建ち姿を見せ、今なお異国情緒豊かな当時の
面影を残している。
イングランド館の奧には、えらく古い真っ黒なロールスロイスが置いてあった。
ハイキングの会 2007/11/23(祝)
秋の紅葉もいよいよ本格的なピークに向かっています! 西南ハイキングよりお知らせです。
ハイキング参加者は現在26名。多数のご参加有難うございます! 越沢リーダーの下見報告によりますと11月4日時点で、
紅葉は4分くらいとの事、23日には丁度見ごろとなる可能性が出て参りました!
お申し込みがまだの方は前日の11月22日までオープンしておりますので、お気軽にお申し込みくださいませ。
●お知らせ情報
トイレは数箇所にあり。
●当日の携帯品及び服装のアドバイス:
ジャンバー(お天気に合わせて調整)、タオル
ウオーキングシューズ、または山靴
お弁当(最寄の駅などのコンビになどで調達可)
水(必須)、お茶
★注:ランチタイムは1時間を予定。再度公園内にて(木のベンチあり)
コ ース:新神戸駅→布引の滝→再度公園→新神戸駅(約5時間)
日 時 :平成19年11月23日(金曜)
集合場所:新神戸駅(新幹線駅)、1階エスカレーター前
集合時間:午前09:50
交 通 :JR三宮駅、阪急三宮駅より地下鉄(谷上行き)にて次の駅
会 費 :200円(夫婦:一組300円)
雨天の場合:12月2日(日)へ順延
お申し込みはコチラからお願いします
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ハイキング担当
佐伯
山陽新幹線 新神戸駅 徒歩8分で雌滝、そこから徒歩8分で雄滝に着く。または、神戸市営地下鉄西神・山手線および北神急行電
鉄 新神戸駅 徒歩10分で雌滝、そこから徒歩8分で雄滝である。
「布引の滝」といえば、神戸を代表とする名所としてあまりに有名。「北野町」の裏山という感じで、神戸市からも気軽に行けて、
神戸市民どころか近畿圏からのハイキング客でいつも賑わっている。
布引の滝は、日光の華厳の滝、紀州の那智の滝とともに三大神滝と呼ばれ、古くから物語や詩歌に取り上げられてきた。滝は、新
幹線新神戸駅の北約100mの所に「雌滝」が、その上200mの所に「雄滝」があり、その2つにはさまれて、上流から夫婦滝、
鼓ヶ滝があり、この4つを合わせて布引の滝という。
雄滝の高さは43m。水は6段に折れながら滝つぼに落ちており、その段ごとに、水がえぐった穴が開いている。ここには乙姫様
が住んでいて、龍神となって海へ出かけ、多くの船を守ったという言い伝えが残されている。布引の滝が白く見えるのは、乙姫様
の着る衣が水にさらされているからだと考えられ、多くの和歌にこのことが詠まれている。
この滝は平安の昔から景勝の地として知られ、多くの人が訪れた。京都に住む貴族も旧山陽道を通って滝見物を楽しみに来ていた
ようで、伊勢物語にもその様子が描かれている。明治の初めになって、花園社という市民団体が布引の滝を詠んだ多くの和歌の中
から36首を選び歌碑を建てた。これらはその後散逸してしまったものが多いすが、後にいくつかが復元され、現在も滝の近辺に
点在している。
<布引の滝> 出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
雄滝 所在地 兵庫県神戸市中央区 落差 (雄滝)43 m 水系 生田川
布引の滝(ぬのびきのたき)は神戸市中央区を流れる布引渓流(名水百選)にある4つの滝の総称。日本三大神滝のひとつ。布引
滝とも表記する。名瀑として知られる古来からの景勝地である。
またかつて役小角が開いた滝勝寺の修験道行場として下界とは一線を画する地であったが、現在は渓流沿いおよび布引山(森林浴
の森 100選)一帯から滝を経て布引ハーブ園へと至る遊歩道が整備され、鉄道駅からも気軽に立ち寄ることができるようになって
いる。
六甲山の麓を流れる生田川の中流(布引渓流)に位置し、上流から順に、雄滝(おんたき)、夫婦滝(めおとだき)、鼓ケ滝(つ
つみがだき)、雌滝(めんたき)からなる。 栃木県日光市の華厳の滝、和歌山県那智勝浦町の那智の滝とともに三大神滝とされ、
日本の滝百選に選ばれている。
平安時代の歌集『伊勢物語』や『栄花物語』をはじめ、古くから宮廷貴族たちが和歌に詠むなど多くの紀行文や詩歌で紹介される
文学作品の舞台となっている。 生田川下流流域には、布引の滝を詠んだ和歌にちなんで名付けられた地名がある。
<源俊頼> 出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
源 俊頼(みなもと の としより、天喜3年(1055年) - 大治4年1月1日(1129年1月29日))は平安時代後期の歌人。父は源経信。
母は源貞亮の娘。子に俊恵がいる。1111年(天永2年)従四位上木工頭で退官。はじめ堀河天皇近習の楽人として活動したが、そ
の後、堀河院歌壇の中心人物として活躍した。多くの歌合に作者・判者として参加し、「堀河院百首」を企画・推進した。1124年
(天治元年)白河院の命により「金葉和歌集」を撰集。藤原基俊とともに当時の歌壇の中心的存在であった。歌風としては、革新
的な歌を詠むことで知られた。
「金葉和歌集」以下の勅撰和歌集に入集。歌学書に「俊頼髄脳」、家集に「散木奇歌集(さんぼくきかしゅう)」がある。
鼓滝
下流から雌滝、鼓滝、夫婦滝、雄滝の四つを布引の滝と言う、布引の滝は、日光の華厳の滝、紀州の那智の滝とともに三大神滝と呼
ばれ景勝の地として古くから貴族や歌人が訪れ、「伊勢物語」や「平家物語」など多くの紀行文や詩にうたわれている。
雄滝(おんたき)落差43m
水は6段に折れながら滝つぼに落ちておりその姿が布を引いたように見えるので布引の滝と言われる。夫婦滝は雄滝の観瀑台の下に
あり、鼓滝は登山道からは見えにくい所にある。
<藤原有家> ふじわらのありいえ 久寿二〜建保四(1155-1216)
もとの名は仲家。六条藤家従三位重家の子。母は中納言藤原家成女。清輔・顕昭・頼輔・季経らの甥。経家・顕家の弟。保季の兄。
子には従五位下散位有季・僧公縁ら。
仁安二年(1167)、初叙。承安二年(1172)、相模権守。治承二年(1178)、少納言。同三年、讃岐権守を兼ねる。同四年(1180)、有家と
改名。元暦元年(1184)、少納言を辞し、従四位下に叙せられる。建久三年(1192)、従四位上。同七年、中務権大輔。正治元年(1199)、
大輔を辞し、正四位下。建仁二年(1202)、大蔵卿。承元二年(1208)、従三位。建保三年(1215)二月、出家。法名、寂印。翌年の四月
十一日、薨ず。
文治二年(1186)の吉田経房主催の歌合、建久元年(1190)の花月百首、建久二年(1191)の若宮社歌合、建久四年(1193)頃の六百番歌合、
建久九年(1198)の守覚法親王家五十首に出詠。後鳥羽院歌壇でも主要歌人の一人として遇され、建仁元年(1201)の新宮撰歌合・千五
百番歌合、建仁二年(1202)の水無瀬恋十五首歌合、元久元年(1204)の春日社歌合、承元元年(1207)の最勝四天王院和歌などに出詠し
た。順徳天皇の建暦三年(1213)内裏歌合、建保二年(1214)の歌合などにも参加している。
建仁元年(1201)、和歌所寄人となり、新古今集撰者となる。六条家の出身ながら御子左家(みこひだりけ)に親近した。家集があった
らしいが伝存しない。千載集初出。新古今集には19首。勅撰入集は計66首。新三十六歌仙。『続歌仙落書』にも歌仙として撰入され、
「風体遠白く、姿おほきなるさまなり。雪つもれる富士の山をみる心地なむする」と賛辞が捧げられている。
途中の展望台から見た神戸港の風景。帰りにも通ったが、朝モヤが吹っ切れて夕方の方が綺麗だった。是は朝の写真。
カズラ橋。私はこういうのを渡るのは大の苦手である。
ホントに、どうしてこんなにも赤くなるのだろうと思う。しかしデジカメがいくら進歩しても人間の目で見た光景にはかなわない。
神戸市の水道は明治33年(1900)4月に全国で7番目の近代水道として給水を始めた、この時に神戸市に給水されたのが布引
貯水池の水である。布引貯水池ダムの形式は重力式コンクリートハイダムと言いコンクリートの重力で貯水池の水をささえている。
このダムは、水道専用の重力式コンクリートハイダムの中では日本最古のものとして知られている。またダムの表面はきれいに石張
りが施されている。
ダムの名称 : 五本松堰堤 ダムの高さ 33.33m
完成年月 : 明治33年3月 ダムの長さ 110.30m
設計者 : WK.バルトン 貯水量 417.430立方m
ダムの目的 : 水道専用 最大水深 29.82m
所在地 : 中央区葺合町山郡 貯水池の周囲 2Km
どっかのあんちゃんが、写しているのだから身を引けばいいものを、返ってせり出してきて仕方なく写した一枚。
昼食を食べたXX池の全景(名前は忘れた)。
一週間後 朝倉高校同窓会 in Kyoto 梅小路
京都市右京区梅小路公園内にある「緑の館」で、朝倉高校同窓会の総会が行われた。その模様は同会のHPにレポートがあるが、
ここでは布引の滝に行って1週間後の京都の紅葉をご覧頂こうと思う。京都の紅葉もすばらしかった。
高校1年の入学時に隣に座ったのが縁で、もう40年以上のつきあいになる大隈君。
顔も赤いがこれは紅葉が反映しているのではなくて単に酔っぱらっているだけ。
井上ファミリー・ホームページ/INOUES/ outdoor