■Menbers
(アイウエオ順:写真、プロフィールは基本的に本人提供。)

 安彦 建夫(あびこたけお)

若い頃から探偵小説を読み、Ellery Queenを信奉しています。Queen(女王)繋がりで
倭人伝に入ってきました。
1:法月綸太郎氏は、"初期クイーン論"でゲーデルの"不完全定理"に触れ、探偵は真
    の手がかりと偽の手がかりとを判断できるかという問題を提起しています。
2:AI(人工知能)は2045年に人類の知能を追い越すと予測されています。倭人伝問題
    も解決されるのでしょうか。


 飯田 真理(いいだまこと)

奈良市東大寺学園・元理科教師 昭和24年生 京都府木津川市 
*全邪馬連の他に、古代史教養講座(東京新宿)において毎年学習成果を発表している。
【駄文】・『理科教師が語る日本の古代@〜C』東大義学園校内誌「群声」
     ・『奈良盆地より発信する邪馬台国九州説』邪馬台国研究の最前線2105 
     (総合出版社)歴研
    ・『スーパー官女・橘美千代』『渡来系弥生人の源郷を探る』『四天王の起源を
      学ぶ』月刊歴史研究


 井上 筑前(いのうえちくぜん)

大阪府吹田市在住。朝鮮戦争勃発の年、福岡県に生まれる。大学卒業後IT業界で営業
職に約40年間従事。邪馬台国九州説だが、筋さえ通れば奈良でも、四国でも、山陰で
も構わないと思っている。しかし今の所九州(福岡県)以上の合理性を持った比定地は
無いように思う。一男一女は独立して、現在嫁と二人暮らし。大阪本町・歴史倶楽部を
主宰。NPO法人国際縄文学協会会員。[邪馬台国大研究]HP主筆。趣味は WALKING。
マリリンモンローとテイラースウィフトのファン。本名「修一」。http://inoues.net


 大野 哲弘(おおの てつひろ)

大阪市天王寺区上汐四丁目。昭和23年生まれです。大阪市内天王寺区に、三人(夫婦及
び義母)で居住しています。古代史への目覚めは、随分若い頃(30歳頃)に、川田武著
「二つの飛鳥」を読み、深い感銘を受けたのが始まりです。しばらくブランクがあり40
歳中頃から、再び古代史にのめり込み、その頃から「邪馬台国」に
興味が起こり九州、四国、出雲、河内、奈良大和とたづね歩き、関連本の読書をすすめ
ていく中、邪馬台国「北九州説」に固まったというところです。今後ともますます研鑽
し、深く掘り下げていきたいと考えています。


 小宮山 清光(こみやまきよみつ)

私は昭和23年子年生まれ。団塊の世代でその中でも一番多数を占める年代でしょう。
自称、ロマンティストで実証主義者。生まれついての理系。星に憧れた幼年・少年期で、
中学より化学者を目指して化学・物理そして数学しか勉強しない子供でした。国語・漢
文・古文ほか日本史・世界史などは役に立たないものとしか考えず、高校時代はそれら
の授業をボイコットする最悪の生徒で結構有名でした。大学時代は応用化学科に所属し
ていたが、大学紛争や生活苦などで碌に出席もせず、卒業も就職も教授にお世話になっ
た次第である。そして鉄屋として現役を37年勤め、「濡れ落ち葉」にはなりたくなかっ
たので、学生時代には全く興味のなかった「万葉集」をかじったおかげで、古代史・考
古学・民俗学など文系的な人間になったわけである。
そして「魏志倭人伝」にもめぐりあい、私の古代史の師・上田正昭氏やそのライバルで
もあった井上光貞氏の書物を読み、真逆な解釈に驚いた。私の考えでは邪馬台国は北九
州にあり、倭国は奈良盆地内にあると思っていた。最近になって、西晋の陳寿が「魏書
烏丸鮮卑東夷伝倭人条」をどういう思いで記したかを考えてみた時、日本書紀編纂から
江戸時代・明治時代の学者たちが陳寿の思い・考え方をどう斟酌したかを疑問になって
きた。概念的には邪馬台国や倭国は「九州」や「ヤマト」でもなく、台湾の東方辺りに
したかったし、「女王卑弥呼」を固有名詞で表すものでないと感じ始めている。


 小森 努(こもりつとむ)

・会社勤めを終えて17年の77歳
・趣味の柱は、「歩き」と「ホームページ作り」です。http://tsu-com515.my.coocan.jp/
・歩きは、年間400万歩ですが、近くの五月山、六甲山、ヤマト・飛鳥が中心です。
 (添付写真は、今年4月の六甲山頂自撮り写真です)
・HPは、ヤマト・飛鳥を歩いたものがメインでしたが ここ数年「古代ヤマト史」と称
 して、ヤマト王朝発祥の自説掲載に注力しています。
・今年、全国邪馬台国協議会の会員にさせて頂き、邪馬台国テーマが面白くなり、その
 所在地比定の自説を掲載しています。


 鈴木 基弘(すずきもとひろ)

1938年 大阪市に生まれ現在は吹田市に住んでいますが卑弥呼北九州説です。私の考え
の基本は大陸に動乱が有れば行き場を失った高度な文化を持った人たちが日本に逃げ込
んで来たと考えています。
この考えを前提として卑弥呼一族も黄巾の乱を逃れて日本に流入、ヤマト朝廷の創生に
つながる瓊瓊杵尊も饒速日命も三国時代終焉の時に江南地方から逃避してきたと思って
います。この事は考古学的遺物を検証すると益々それに合致する事実が出てきますので
この考えに間違いないと信じて学習を進めています。ご意見が合う方からのお便りをお
待ちしています。


 橋 章(たかはしあきら)

小学生の頃に「卑弥呼」の存在を知り半世紀が過ぎました。去年末でリタイヤし、年金
生活者になったのを機会に、もう一度改めて「邪馬台国」を含め古代史の勉強を始めま
した、最近いろいろと疑問に思う点もありますが、「九州説」です。「『女王国』が東
遷し『ヤマト王権』」、基本的にこの流れです。(オーソドックスな「九州説」?)
【橋章さんは、2017年12月8日、急性心不全の為逝去されました。ご冥福をお祈りします。】


 竹中 二郎(たけなかじろう)

昭和23年生まれ。邪馬台国歴50年。九州東遷説。誰もが納得する事実や確率の高い説、
そしてここ10年遡っても20年位の科学的根拠に基づいた事実からのセレクトした解説
をしていきたいと思います(DNA 等の遺伝子特に核ゲノム解析や縄文時代の遺跡発掘
調査等の発表論文の等の整理)。


 田中 正明(たなかまさあき)

昭和24年生まれ。趣味は天体写真撮影。定年後、自宅に念願の天文台を設置して観
測を始めました。目の前に大きなマンションが建ち、明りに悩まされていますが何と
か苦労して撮影しています。主として銀河、星雲、星団がターゲットです。観測でき
る時期にむらがあるので昔から少し興味のあった古代史を勉強しようと会に入りまし
た。全く素人同然ですが皆様の論を拝聴しながら独自の邪馬台国論を構築したいと思
います。現時点では大和、九州のどちらでもありませんが徐々に女王国九州、邪馬台
国大和説に傾いています。


 伴 とし子(ばんとしこ)

大谷大学文学部文学科卒業。佛教大学史学科博物館学芸員課程修了。古代丹波歴史研
究所所長。伝説、歴史の研究に取り組み、大丹波王国論(=丹後王国論)を展開する。
「古代丹後王国は、あった」(東京経済)ほか著書多数。


 東 進(ひがし すすむ)

二十五年ほど前、「知られざる古代」水谷慶一さん、「古代は輝いていた」古田武彦
さんの二冊に引き込まれ、近場の発掘遺跡の現説をたくさん見学させていただき、奈
良盆地に足を踏み入れたのが九十五年の箸墓古墳の現地説明会でした。遺跡の指向性
を中心に見ています。


 松下 みゆき(まつしたみゆき)

もともと遺跡が好きで、エジプトに14年居住しました。巨大な遺跡群、多神教の神々、
王族、神官、純朴な民たち。宮殿での政と神殿での祭祀。刻まれたヒエログリフを読
んで、遺跡に佇んで耳を澄ませれば、太古の人々の思念が伝わります。最近になって
卑弥呼に惹かれ始めました。彼女が巫女として国を治めるに至った運命、その後の人
生は幸せだったのか否か、さらに「日本」という国の礎を築いたはずの、邪馬台国や
周辺の国々、同時代の人々の生活にも思いを馳せてみたいです。先人を含め今日に至
る多くの研究者の方々の記した各学説を、先輩諸兄にご指南を請いながら勉強してい
きたいです。いつか卑弥呼の思念を感じてみたいと切望しています。よろしくお願い
いたします。


 矢口 好恵(やぐちよしえ)

「普通の主婦ですが、細々と勉強してまいりました。4世紀までの九州の各国の力関係
に強く興味を持っています。この会で様々な御説を拝聴でき、とても幸せに思う今日
この頃です。


 山科 威(やましなたけし)

1931年生まれ。神戸大学経営学部卒業。日華油脂株式会社入社。1958年家業の
有限会社宝石時計ヤマシナ入社。83年社長に就任。大阪市商店街総連盟副理事長、地
域産業会副理事長等地域諸団体役員に就任。2015年本業と諸役職リタイア―。
この間続けていた古代史研究に専念。著作「日本書紀・古事記編纂関係者に抹消された
邪馬台国」、「小説 邪馬台国二代目女王 台与」。その他「歴史研究誌」に古代史に
関する論文数編投稿。


(*)全邪馬連関西支部(近畿東海支部)の会員の方で、ここへの掲載をご希望の方は 以下までmailを頂ければ記載致します。その際[会員番号、住所、氏名、プロフィール (数行)]を明記の上、顔写真を添付して下さい。 inouechikuzen@gmail.com

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