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弥生土器





  



 

 







「東小田七板遺跡出土品 一括」 ○丹塗磨研壷。同高坏。同器台。同瓶。同蓋付小壷。
福岡県夜須町東小田七板 弥生時代中期 福岡・夜須町教育委員会



<弥生時代の東遷>
北部九州にまず上陸した稲作文化は、ほどなく西日本各地に定着したが、東日本、特に東北地方にまでその文化が達するには数十年というかなりの期間を要していたと考えられてきた。しかし、昭和 57年(1982)、青森県垂柳遺跡で600枚を超す弥生時代の水田が発掘され、松石橋遺跡などからは北部九州の前期弥生土器と同じ形態を示す土器が発見された。これらの発見により少なくとも弥生時代の中頃には東北地方も弥生文化圏に属していたことが判明したとともに、その文化の伝播経路が日本海沿いに西から北上してきたこともわかってきた、弥生文化の研究史上極めて大きな成果である。



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