高尾と聞いて、「うぇーそんな所に」と思ったが、案外近かった。東京駅から快速で1時間だ。駅前(北側)の道をまっすぐ行くと信号 がある。その信号を曲がった所に立て札があり、それに沿って15分ほど歩く。ほどなく御陵のコンクリ−トが見えてきて、御陵だと判る。
総門前広場に「多摩陵・多摩東陵」「武蔵野陵・武蔵野東陵」への入り口がある。白い玉砂利が敷き詰められ、杉の並木がズーツと奥へ 続いているのが見える。明治天皇陵のようにまた延々と奥まで歩くのかしらん、と思ってしまった。
高い杉木立の中を歩いて4,5分行くと分岐になった。右が昭和天皇と皇后陵。まっすぐ行くと大正天皇および皇后陵だ。すぐ側に、 親子でなかよく葬られている。よかった、ここはそんなに歩かずにすんだ。
■香淳皇后略歴■ 名前:良子(ながこ)。明治36年(1903)3月6日、久邇宮邦彦(くにのみやくによし)王の第1女子として東京・麻布で誕生。 大正7年1月、裕仁内親王と婚約。大正13(1924)年1月26日結婚。大正15(昭和元年:1926)12月25日、昭和天皇の 即位に伴い皇后となる。昭和64年(平成元年:1989)年1月7日昭和天皇崩御により皇太后となった。7人の皇子・皇女の母。 平成12年6月16日、吹上大宮御所において崩御。御歳97才。皇室最高齢の皇太后。香淳皇后と追号される。昭和天皇とは、 「お上(かみ)」「良宮(ながみや)」と呼びあい、その仲の良さは有名だった。
第124代 昭和(しょうわ)天皇別名: 裕仁(ひろひと) 父: 大正天皇(第一皇子) 母: 貞明皇后 生没年:明治34年(1901)4月29日〜昭和64(1989)87才 在位: 大正15年(1926)〜昭和64年(1989) 皇居: 江戸城 御陵: 武蔵野陵(むさしのりょう)
終戦の詔勅 朕深ク世界ノ大勢ト帝國ノ現状トニ鑑ミ非常ノ措置ヲ以テ時局ヲ収拾セムト欲シ茲ニ忠良ナル爾臣民ニ告ク 朕ハ帝國政府ヲシテ米英支蘇四國ニ對シ其ノ共同宣言ヲ受諾スル旨通告セシメタリ 抑々帝國臣民ノ康寧ヲ圖リ萬邦共榮ノ樂偕ニスルハ皇祖皇宗ノ遺範ニシテ朕ノ拳々措カサル所 曩ニ米英二國ニ宣戰スル所以モ亦實ニ帝國ノ自存ト東亞ノ安定トヲ庶幾スルニ出テ他國ノ主權ヲ排シ領土ヲ 侵スカ如キハ固ヨリ朕カ志ニアラス 然ルニ交戰已ニ四歳ヲ閲シ朕カ陸海將兵ノ勇戰朕カ百僚有司ノ勵薗スカ一億衆庶ノ奉公各々最善ヲ盡セルニ 拘ラス戰局必スシモ好轉セス世界ノ大勢亦我ニ利アラス 加之敵ハ新ニ残虐ナル爆彈ヲ使用シテ頻ニ無辜ヲ殺傷シ慘害ノ及フ所真ニ測ルヘカラサルニ至ル 而モ尚交戰ヲ繼續セムカ終ニ我カ民族ノ滅亡ヲ招來スルノミナラス延テ人類ノ文明ヲモ破却スヘシ 是レ朕カ帝國政府ヲシテ共同宣言ニ應セシムニ至レル所以ナリ 朕ハ帝國ト共ニ終始東亞ノ開放ニ協力セル諸連邦ニ對シ遺憾ノ意ヲ表セサルヲ得ス 帝國臣民ニシテ戰陣ニ死シ職域ニ殉シ非命ニ斃レタル者其ノ遺族ニ想ヲ致セハ五内爲ニ裂ク 且戰傷ヲ負ヒ災禍ヲ蒙リ家業ヲ失ヒタル者ノ厚生ニ至リテハ朕ノ深ク軫念スル所ナリ 惟フニ今後帝國ノ受クヘキ苦難ハ固ヨリ尋常ニアラス爾臣民ノ衷情モ朕善ク之ヲ知ル 然レトモ朕ハ時運ノ趨ク所堪へ難キヲ堪へ忍ヒ難キヲ忍ヒ以テ萬世ノ爲ニ太平ヲ開カムト欲ス 朕ハ茲ニ國體ヲ護持シ得テ忠良ナル爾臣民ノ赤誠ニ信倚シ常ニ爾臣民ト共ニ在リ 宜シク擧國一家子孫相傳へ確ク~州ノ不滅ヲ信シ任重クシテ道遠キヲ念ヒ總力ヲ將來ノ建設ニ傾ケ道義ヲ篤クシ 志操ヲ鞏クシ誓テ國體ノ演リヲ発揚シ世界ノ進運ニ後レサラムコトヲ期スヘシ 爾臣民其レ克ク朕カ意ヲ體セヨ
昭和天皇については、ここでは言及しない事にする。昭和天皇は1901年生まれだから、今年は生誕100年という事になる。 疾風怒濤の20世紀を生きた偉大な盟主について語るには、まだ私の歴史観は成熟していないし、イデオロギーにもここ では介入したくない。いずれは歴史上の人物となるのだろうが、昭和天皇について語るにはあまりにも同時代的すぎる。 一応、「天皇陵めぐり」はこのコーナーを以て終結する。追尊や異形の天皇も取り上げてほしいというmailもいただいた が、しばらくは少し天皇から離れたい気分なので、またその気になったら再開したいと考えている。ご覧いただいて深謝。
追加の一言: 帰りに宮内庁武蔵野陵事務所によって御陵印を貰おうとしたら、「色紙か朱印帳はお持ちですか?」と聞かれて 驚いた。「いや、なにももってませんが。」と答えると、「それではお押しできません」との返事。あきれてしまった。明治天 皇陵を訪れた時は、紙がなかったのでそう答えると、「何でもいいですよ」と言われて、たまたまカバンに入っていた会社の営 業成績表の裏に押して貰った。裏の数字が透けて見えるような紙だったのに、係員は気にもしていなかった。それに比べてこの 係員の頑なな事。粘るので、奥から上司も出てきたが同じ返事を繰り返す。普通の紙などには押せませんの一点張り。挙げ句の 果てに、いったい何にお使いになるのでしょうか? と言われた。帰り道、この違いについて考えさせられた。 開かれた皇室ねぇー、うぅ〜ん。