<第8代孝元天皇> 異称: 大日本根子彦国牽尊(日本書紀)/大倭根子彦国玖琉命(古事記)【おおやまとねこひこくにくるのみこと】 生没年: 孝霊天皇18年 〜孝元天皇57年 123歳 在位期間 孝霊天皇76+1年〜孝元天皇57年 父: 孝霊天皇 母: 十市県主(とおちのあがたぬし)の娘細比売(くわしひめ)【古事記】/ 磯城県主(しきのあがたぬし)の娘細媛命(ほそひめのみこと)【日本書紀】 皇后: 穂積臣(ほずみのおみ)の遠祖鬱色雄命(うつしこおのみこと)の妹、鬱色謎命(うつしこめのみこと) 皇妃: 伊香色謎命(いかがしこめのみこと)、河内青玉繁(こうちのあおたまかげ) 皇子皇女: 稚日本根子彦大日日尊(わかやまとねこひこおおひひのみこと)、武埴安彦命(たけはにやすひこのみこと) 宮: 「軽之堺原宮」(かるのさかいはらのみや:古事記)/ 「境原宮」(日本書紀)【大和の国高市郡:奈良県橿原市大軽(帝王編年記)】 陵墓: 剣池嶋上陵(つるぎのいけのしまのうえのみささぎ:奈良県橿原市石川町)
発掘された植山古墳(推古天皇親子の墓かとさわがれている。)の現地説明会をWifeと見に行った帰り、この陵を訪れた。 説明会会場となっていた畝傍東(うねびひがし)小学校のすぐ前が孝元天皇陵である。堀に囲まれて、結構大きな御陵だ。
第2代綏靖天皇から第9代開化天皇までは、総称して「欠史8代」と呼ばれる。「記紀」その他の文献に全く故事が登場し ないからである。御名・異称、在位期間、御陵名くらいしか記されて無く、その為これらの天皇は「架空」の天皇で、在位 期間や即位時期のつじつま合わせの為に後世創作されたとみる見方が一般的で、今日ほぼ定説となっている。異様に長い存 命期間や、あり得ないような事跡から判断するとそれも無理からぬ見解であるが、しかし「神武天皇」の実在説と同様に、 これらの天皇達も実在していてそれが記録されているのだとする見解もある。例えば、鳥越憲三郎氏などが唱える「葛城王 朝説」などがそうだ。それによれば、
神武から開化にいたる9代の天皇かそれに類する勢力が実在し、初め葛城山麓に発祥したが、王朝の形を整えしだいに勢力 を拡大して大和地方を制圧した。しかし、10代天皇崇神によってその王朝は崩壊し、それまでの王朝を構成していた豪族 たちは、それぞれ蘇我(そが)氏、巨勢(こせ)氏、平群(へぐり)氏などの祖先になった。
と云う。深く検証した事はないので、こういう説が一体どのくらい信憑性に富むものなのかは定かでないが、「欠史8代」 が創作では無いという立場に立てば、何らかの事跡はあるはずであるし、この部分が一番想像力を働かせやすい部分である のも確かだろう。
この天皇も、后(きさき)以外に2人の皇妃を持つ。大和地方の有力者の娘を妃にすることで、支配権の確立を狙ったもの と思われる。例によってこの天皇自身の事績やエピソードは、記紀には全く登場しない。
【大倭根子日子國玖琉命】孝元天皇 (古事記) 大倭根子日子國玖琉命、坐輕之堺原宮、治天下也。 此天皇、娶穗積臣等之祖、内色許男命【色許二字以音。下效此】 妹、内色許賣命。生御子、大毘古命。次、少名日子建猪心命。次、若倭根子日子大毘毘命。【三柱】 又娶内色許男命之女、伊賀迦色許賣命、生御子、比古布都押之信命。【自比至都以音】 又娶河内青玉之女、名波邇夜須毘賣。生御子、建波邇夜須毘古命。【一柱】 此天皇之御子等、并五柱。故、若倭根子日子大毘毘命者、治天下也。 其兄大毘古命之子、建沼河別命者【阿倍臣等之祖。】次、比古伊那許志別命【自比至志六字以音。此者膳臣之祖也。】 比古布都押之信命、娶尾張連等之祖意富那毘之妹、葛城之高千那毘賣、【那毘二字以音】 生子、味師内宿禰【此者、山代内臣之祖也。】 又娶木國造之祖宇豆比古之妹、山下影日賣、生子、建内宿禰。 此建内宿禰之子、并九【男七。女二】 波多八代宿禰者【波多臣、林臣、波美臣、星川臣、淡海臣、長谷部君之祖也。】 次、許勢小柄宿禰者【許勢臣、雀部臣、輕部臣之祖也】 次、蘇賀石河宿禰者【蘇我臣、川邊臣、田中臣、高向臣、小治田臣、櫻井臣、岸田臣等之祖也。】 次、平群都久宿禰者【平群臣、佐和良臣、馬御kuhi[扁木旁織]連等祖也】 次、木角宿禰者【木臣、都奴臣、坂本臣之祖。】 次、久米能摩伊刀比賣。 次、怒能伊呂比賣。 次、葛城長江曾都毘古者【玉手臣、的臣、生江臣、阿藝那臣等之祖也】 又若子宿禰【江野財臣之祖】 此天皇御年、伍拾漆歳。御陵在劔池之中岡上也。 【大倭根子日子國玖琉命】孝元天皇 大倭根子日子國玖琉(おおやまとねこひこくにくる)の命、輕(かる)の堺原(さかいはら)の宮に坐しまして 天の下治しめしき。 此の天皇、穗積の臣等の祖、内色許男(うつしこお)の命【色許(しこ)の二字は音を以ちてす。下、此に效え】 の妹、内色許賣(うつしこめ)の命を娶りて生みし御子は、大毘古(おおびこ)の命。 次に少名日子建猪心(すくなひこたけいごころ)の命。次に若倭根子日子大毘毘(わかやまとねこひこおおびび) の命【三柱】。また内色許男の命の女、伊迦賀色許賣(いかがしこめ)の命を娶りて生みし御子は、比古(ひこ) 布都(ふつ)押之信(おしのまこと)の命【比より都に至るは音を以ちてす】。 また河内の青玉(あおたま)の女(むすめ)、名は波邇夜須毘賣(はにやすびめ)を娶りて生みし御子は、 建波邇夜須毘古(たけはにやすびこ)の命【一柱】。 此の天皇の御子等は并せて五柱。故、若倭根子日子大毘毘の命は天の下治しめしき。其の兄、大毘古の命の子、 建沼河別(たけぬなかわわけ)の命は【阿倍の臣等の祖】。 次に比古伊那許志別(ひこいなこじわけ)の命【比より志に至る六字は音を以ちてす。此は膳(かしわで)の臣の 祖也】 比古布都押之信(ひこふつおしのまこと)の命、尾張の連等の祖、意富那毘(おほなび)の妹、葛城の高千那毘賣 たかちなびめ)【那(な)毘(び)の二字は音を以ちてす】を娶りて生める子は味師内宿禰(うましうちのすくね) 【此は山代の内臣の祖也】。また木の國造の祖、宇豆比古(うづひこ)の妹、山下影日賣(やましたかげひめ) を娶りて生みし子は、建内宿禰(たけのうちのすくね)。此の建内宿禰の子は并せて九たり【男七たり、女二たり】。 波多八代宿禰(はたのやしろのすくね)は【波多の臣、林の臣、波美(はみ)の臣、星川の臣、淡海の臣、長谷部 の君の祖也】。 次に許勢小柄宿禰(こせのおからのすくね)は【許勢の臣、雀部(さざきべ)の臣、輕部の臣の祖也】。 次に蘇賀石河宿禰(そがのいしかわのすくね)は【蘇我の臣、川邊の臣、田中の臣、高向(たかむく)の臣、小治田 (おはりだ)の臣、櫻井の臣、岸田の臣等の祖也】。 次に平群都久宿禰(へぐりのつくのすくね)は【平群(へぐり) の臣、佐和良(さわら)の臣、馬御(うまみくい)の連等の祖也】。 次に木角宿禰(きのつののすくね)は【木の臣、都奴(つぬ)の臣、坂本の臣の祖】。 次に久米能摩伊刀比賣(くめのまいとひめ)。 次に怒能伊呂比賣(ののいろひめ)。次に葛城の長江の曾都毘古 (そつびこ)は【玉手の臣、的(いくは)の臣、生江(いくえ)の臣、阿藝那(あぎな)の臣等の祖也】。 また若子宿禰(わくごのすくね)は【江野財(えののたから)の臣の祖】。 此の天皇の御年は伍拾漆歳(いそとせあまりななとせ)。 御陵は劍の池の中岡の上に在り。