Music: 離宮にて

北朝二代・三代 光明天皇・崇光天皇
2000.March 京都市伏見区 大光明寺陵




<謝辞> 陵印提供: 奈良・今崎氏


京阪電車本線を「中書島」で「宇治線」に乗り換えて「観月橋」で降りる。ここからは相当歩く。3,40分だ。
足に自身のない人はTAXIに乗った方がいいが、駅前にはいない。流しているTAXIもなかなかこない。

 

明治の元勲、乃木希典を祭った「乃木神社」が御陵の近くにある。

 

		【北朝2代 光明(こうみょう)天皇】
		異称:  豊仁(とよひと)
		生没年: 元亨元年(1321) 〜 天授6年(1380)(60歳)
		在位:  延元2年(1337) 〜 正平3年(1348)
		父:   後伏見天皇
		母:   藤原(西園寺)寧子
		皇后:  三条氏某 
		皇妃:  懽子内親王、寿子内親王、藤原氏
		皇子女: 周尊、皇女某
		皇居:  平安京(へいあんきょう:京都府京都市)
		御陵:  大光明寺陵(だいこうみょうじのみささぎ:京都府京都市伏見区桃山町泰長老)


		【北朝3代 崇光(すこう)天皇】
		異称:  益仁(ますひと)
		生没年: 建武元年(1334) 〜 応永5年(1398)(65歳)
		在位:  正平4年(1349) 〜 正平6年(1351)
		父:   光厳天皇
		母:   三条秀子
		皇后:  庭田資子
		皇妃:  治部卿局、三条局
		皇子女: 栄仁親王、興信親王、弘助親王、瑞室、阿栄蔵王、皇子某、皇女某
		皇居:  平安京(へいあんきょう:京都府京都市)
		御陵:  大光明寺陵(だいこうみょうじのみささぎ:京都府京都市伏見区桃山町泰長老)

 

御陵の右側は集合団地、左側は戸建ての団地という住宅街のど真ん中にある。

 

 



		【光明(こうみょう)天皇】
		
		「建武の中興」を実施した後醍醐天皇は天皇親政に走る余り武家達の反感を買い、離反した足利尊氏の立てた北朝の光明天皇に
		「神器」を渡して吉野に隠遁する。程なく室町幕府が成立し「南北朝時代」の幕開けとなるが、実は後醍醐天皇が光明天皇に渡
		した神器は偽物であったという。ここに南朝方の正統性主張の由縁がある。光明天皇の時代から南北両朝で別々の年号を使用す
		る。第93代後伏見天皇の第2皇子。


		【崇光(すこう)天皇】
		
		北朝初代光厳(こうごん)天皇の皇子。15才で践そ、3年間在位。北朝後ろ盾の足利尊氏・直義兄弟はしばしば対立を繰り返
		し、この天皇はそれから逃れるためしばしば持明院に逃げ込んだ。南朝・北朝の戦いは戦火・和睦を試行し、南北朝の和睦時こ
		の帝は北朝の「神器」を南朝方の後村上天皇に渡してしまう。そのため以後2代、北朝に「神器」は無い事になる。







		2001年11月末、読者の方から以下のmailをいただいた。
		私は京阪電車が好きで、どうしても京阪を中心に考えてしまうので、誠に申し訳ない。平にご容赦。


		
		訪問者名:	林 吉保
		コメント:
		大光明寺陵はJR奈良線桃山駅の裏手にあります。京阪の観月橋駅より歩かれるより、
		JR桃山駅から徒歩の方が近いですよ。また京阪利用なら伏見桃山駅から歩いて10分 
		ぐらいで、坂も急ではないですよ。もちろん近鉄京都線の桃山御陵前も利用できます。 
		また蛇足ですが、後崇光院や崇道天皇等の方々の御陵も是非載せてください。



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