【第85代 仲恭(ちゅうきょう)天皇】 別名: 懐成(かねなり) 誕生崩御: 建保6年(1218) 〜 天福2年(1234)(17歳) 在位: 承久3年(1221)4月20日 〜 承久3年(1221)7月9日 父: 順徳天皇 母: 九条立子 皇后: 藤原氏某 皇子女:義子内親王 宮居: 平安京(へいあんきょう:京都府京都市) 御陵: 大原陵(おおはらののみささぎ:京都府京都市伏見区深草本寺山町)
京阪電車「東福寺」で降りて20分ほど歩く。この駅には「御陵」が多い。「九条陵」下から石段を登っていくと「崇徳天皇」皇后徳子 の陵墓がある。その先が仲恭天皇陵である。
わずか4才でせんそした帝は、「承久の乱」の勃発により鎌倉幕府により強制的に退位させられた。1年に満たない在位期間である。 正確には在位81日。承久の乱直前に即位し、敗戦後退位させられた。即位式も大嘗祭も行った記録がないことから「九条廃帝」と か「半帝」とか称せられ、長く天皇とはみとめられていなかった。北畠親房(きたばたけちかふさ)も「神皇正統記」(じんのうし ょうとうき)で「廃帝」と断じているが、明治政府は第85代天皇として歴代天皇に加えた。17才で病死している。
日本天皇史上、「廃帝」とか「半帝」とか呼ばれる天皇が3人いる。淡海廃帝(39代 弘文天皇)、淡路廃帝(47代 淳仁天皇)、九条 廃帝(85代 仲恭天皇)である。いずれも文献に即位の記事が見えなかったり、あまりにも短い在位期間だったりするため、明治期まで は公式な天皇と見なされていなかった。しかし幕末から明治に掛けての国学高揚の気を受けて、明治政府が公式に歴代天皇とみなした のである。明治維新後に、この3人はそれぞれ弘文・淳仁・仲恭と追号され、歴代天皇に加えられた。
住宅街に廻りを囲まれた小高い丘のうえに設けられているが、なかなかどうして立派なお墓である。天皇陵は、残された血脈の皇族 (例えば母とか)が建てることがあるようだがそういう場合は概ね他と比べて立派である。このご陵にも天皇を偲ぶ慈愛の気持ちが こめられているのかもしれない。