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黒部銚子山古墳 2002.6.30 歴史倶楽部第65回例会


	<黒部銚子山古墳 (所在地:弥栄町字黒部)>
	全長約105mを測る、弥栄町内最大の前方後円墳で、現在京都府の史跡に指定されている。発掘調査が行われていないた
	め詳細は不明だが、地表面でこれまでに採集された埴輪片から推定すると、この古墳の築造時期は古墳時代中期前半(5世
	紀前半ごろ)と考えられる。墳丘は丘陵から切り離し削りだす方法で成形されており、墳丘の斜面にテラスを設ける二段築
	成で、斜面には葺石が施されている。採集された円筒形の埴輪片から、テラスには円筒埴輪が据えられていたと推測される。

 




		黒部銚子山古墳 (京都府指定文化財)
		この古墳は前方後円墳で、整美な形と保存状態の良好なことは、丹後地方随一であり
		昭和58年には京都府文化財に指定された。
		築造年代は、古墳時代前期(4世紀後半)から中期(5世紀前半)である。全長105m、
		後円内部直径70m、高さ15m、前方部幅45m、高さ10m、古墳の廻りの水田は周濠
		の痕跡であり、墳丘は葺石と埴輪で飾られていた。
		主体部は粘土棺の様であり、四道将軍丹波道主命の墓と伝えられていて、丹後地方の古
		代豪族の勢力や府下の古墳文化を知るうえで、大変重要な古墳とされている。

		平成元年1月 弥栄町教育委員会
			



	黒部は竹野の深田村の大字で、竹野川の流域にあり同郡中部の重要な地域を占めている。同村人家の北方、間人街道に近い
	谷間に古来から銚子山と俗称する丘があった。この名称は、大正11年に当時の佐藤竹野郡長の注意をよぶ所となって、調
	査した結果、ひとつの前方後円墳で、其の大さは竹野の宮山に匹敵するものであったため、黒板(勝美氏?)文學博士等の
	調査が行われる事になった。本員(梅原)は昨年(大正14年)10月、毛呂清春氏及び深田村長平林信次氏の同行をいた
	だいて調査をおこなったので、以下にその概要を記録する。
		
	さて本墳墓の所在地は、黒部村の北方間人街道に沿って起伏している丘陵の一部で、東から西へ廷びた丘の間に出来た「く
	が谷」と「ゆみの木谷」との中間にあって、同じ丘陵の一端を利用営造したものである。従って前方部は丘に続く所にある。
	後は道路に近く概容は山丘状をなしているため、世間の注意を引かなかったもののようである。現在は、丘全体を松の樹が
	生い茂っている。
	封土の形状は圖版第35に載っている、大正11年8月の竹野郡役所員が行った実測図に見られるように、単成の築造であ
	るが、整美な外観を呈して、後円部は大きく、上部は平坦だが側面の傾斜が急なためとても高いように感じられる。前方部
	は開キ(?)の比較的小さな形式に属しており、所謂銚子塚と前方後円墳との中間形を示しているが、正面は東南東向きで、
	一直線をなすところに特色がある。大きさは前後の長径330尺、前方の幅165尺、後円の徑225尺、高さ約50尺で、
	この後円上部の平坦な所の径は約60余尺となっている。即ち総長一町に近く、丹後では第三位(当時)の大きさの墳墓で
	ある。

	(圖版第三十五 竹野郡黒部銚子山古墳實測圖 大正十一年八月測量)(省略)
 
	封土の外部的設備としてまず注意を惹くのは葺石の存在で、前方部に其の被布のやや著しい所がある。埴輪円筒が後円上部
	を取り囲んでいるのが認められる。本員調査の際は既に採掘されていて、円筒(埴輪)列は確められなかったが、後円上部
	の端の方に破片が夥しく散在している部分がある。同行して貰った深田村長によれば、該部にはもともと一尺ほどの間隔で
	円筒埴輪が並んでおり、周囲を取り囲んでいた。その円径は約十間あって、別に前方へのくびれ部の両側にも円筒が埋沒し
	ていたとの事である。であれば、円筒列は封土の上辺に整然と配列されていたものと考えられる。

	古墳の内部構造に就いては、現段階では詳細は不明である。しかし、後円中央部に少し窪みがある所を見れば、あるいは既
	に盗掘されているとも考えられる。結論として、古墳は今その年代を推測するには資料的に乏しいものの、述べてきたよう
	な外容より見て、前方後円墳の特色を具えており、同形式墳営造盛時と同年代と考えていいだろう。また規模が大きい所を
	見ると有力者の墳墓と考えて良い。
	黒部の地は、本調査報告第一冊に記録したように、弥生式石器時代遺跡が存在する事と、ここに本墳が存在する事は偶然で
	はないだろう。
	古代に於ける本地域の発達を証明する顕著な記念物として永久に保存されるべき遺跡であると考える。
	(梅原委員調査) 
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	『大正十五年六月 京都府史蹟勝地調査曾報告 第七冊』 京都府 1926 
	【旧カナ使いは現代文に改めました。(文責:HP製作者】




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