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浜詰遺跡 2002.6.29 歴史倶楽部第56回例会



吉原山城





	浜詰(夕日が浦)温泉を目指して走っている時、橋本さんが「峰山城いうんが地図に載ってるで。」と言うので寄ってみた。
	一色氏の山城だった。










浜詰遺跡


	【浜詰遺跡】
	浜詰遺跡は、網野町浜詰小字栗山と木津小字上野にまたがる、縄文時代後期(約3000〜4000年前)の遺跡で、丹後半島では
	唯一の貝塚遺跡である。京都府北部では初めて縄文時代の住居址が検出され、木津川が日本海に注ぐ下流東岸の馬蹄形をし
	た洪積台地上に位置している。昭和32年橘中学校の生徒により貝塚や炉跡(火を使い物を煮炊きした跡)などが発見され、
	宅地造成工事のためとりこわされる運命となり、翌年、同志社大学酒詰(さかづめ)仲男教授、同大学文学部考古学教室の
	学生らにより調査が行われた。



 




	遺跡は、木津川右岸の馬蹄形をした洪積台地上にあり、南斜面と北斜面に大別され、南斜面からは1基の住居跡と小規模な
	貝塚が点在し、北斜面では比較的大きな貝塚が2ケ所発見されている。貝塚からは、シジミ、アサリ、ハマグリ、サザエ、
	アワビ、サルボウ、レイシなどの貝類、ボラ、フグ、コイ、サメ、クロダイ、スズキ、マグロなどの魚類、イノシシ、シカ、
	タヌキ、サル、イルカ、クジラなどの哺乳類や鳥類の骨が、縄文土器、石器や骨角器とともに大量に出土した。ドングリの
	実を常食していたようであり、この他ウニ・ナマコ・カキなどの海産類も検出されている。当時の食生活をうかがいできる
	ものが数多く出土している。
	縦穴式住居は長辺8.3m、短辺5.8mの長方形のもので、住居内には柱穴が3ヶ所あり、中には炉跡と考えられる石組
	みも残っていた。床面全体が焼け、一部に板材の炭化した跡が残っていた。








	当時の台地は現在の海岸線からは約400m離れた所にあり、海抜は20m前後で、遺跡の広がりは復元住居から日本海へ
	向って約百mの範囲で、遺物もこの約1万平方mにわたる遺跡内に散布していた。出土土器片は約11,000点にも及んだ。
	土器以外では、石鏃・磨製石斧・打製石斧・石錘・凹石などの石器類や骨針・骨銛などの骨角器が検出され、人骨も見つか
	っている。

	石器の中で圧倒的に多いのは、石鏃と石錘でありそれに続くのがたたき石である。石鏃は狩りの重要な道具であり、魚類が
	たくさん食べられている割に釣針の出土が少ないことから、石鏃を使用した網による漁が中心であったと考えられる。又、
	たたき石はドングリなど木の実類の皮をむくために使用したと考えられ、食物調理のための石器類が多いことも証明された。
	
	矢の先につける石鏃、木を切る磨製石斧、土を掘る打製石斧、穴を穿つ石錐、網のおもりに使う石錘、獣の皮をはぐスクレ
	ーパー、木の実をくだく敲石と凹石などの石器、魚を取るための骨針、骨鈷の骨角器など、生活に使用した道具が多くある
	ことから、当時の人々が海や川で漁をし、山で獣を追い木の実を採集していたという縄文時代の生活のイメージが彷彿とし
	てくる。



	
	北斜面東側には、さらに住居跡2〜3基が存在した可能性も指摘され、貝塚の数や規模から数世帯の家族が生活したことが
	十分考えられる。なお、ここに復元されている住居跡は、南斜面にあった竪穴式住居跡で、近畿地方における数少ない縄文
	時代の住居跡として保存されている。周りは浜詰温泉(夕日が浦温泉)という温泉街で、遺跡はホテル・旅館街の真ん中に
	ある。今夜我々が宿泊する宿もここからすぐの所にあった。




	
	丹後町には「平遺跡」という、貝塚ではないが同じく縄文各期に渡って栄えた集落の遺跡がある。今回訪問は出来なかった
	が、日本海沿岸で、縄文時代人々が海洋文化を謳歌していた証拠のような遺跡である。






丹後ちりめん


	浜詰遺跡を見た後、西本さんがすぐ向かいの家の中へ入っていった。一体何をしているのだろうと思ったら、みんなぞくぞ
	くと入っていくので驚いて覗き込んだら、「丹後ちりめん」の織元さんの家だった。昔ながらの織り場のなかに、昔ながら
	の織り機がガッチャン、ガッチャンと音を立てていた。しかしよく見ると織り機はコンピューターと連結されていて、今や
	織り方は全てコンピューターが指示しているのだった。ご主人と奥さんが親切に色々と教えてくれたが、柱には「部外者立
	ち入りお断り」とあった。ここでおられた反物は京都へ運ばれて西陣織になるらしく、デザインを盗みに来る同業者が居る
	ので、との事だった。





	西本さんは織物に興味があるらしく、どこかの博物館で弥生時代の布の織り方を実演していたときも、出ていって実習して
	いた。今日も織り方を奥さんにしつこく聞いていたが、あれは奥さんを気に入ったのかもしれないな。

 

	●参考● 丹後ちりめん
	亨保5(1720)年、峰山の森田佐平治が西陣から技術を持ち帰ったのが始まりで、以来、機業は丹後地域の経済・文化の中
	心となる。現在では、ガラス繊維なども使用して新しい織物を生産する一方、総合産地化(織り―染め―商品化)をめざし
	ている。




夕日が浦温泉 あおき橘風苑



 




	旅館は近代的なホテル造りだが、仕様は旅館である。部屋から日本海が眺められ、屋上の露天風呂からは日本海に沈む夕陽
	を眺められる。あいにく曇り空で、真っ赤な夕陽は拝めなかったが、料理は「もういらない!」と言うほど出てきた。みん
	な半分も食べられなかったようだ。食べ残した伊勢海老の造りは、翌朝のみそ汁に入っていた。




	朝6時頃、同部屋の4人で海岸へ散歩に出た。綺麗な砂浜で、ここで海水浴したらさぞかし気持ちいいだろうなというよう
	な穏やかな海岸だ。延々と砂浜が続いている。隣の部屋の橋本さんと松田さんは、早く起きて魚釣りに行くと言ってたが、
	酔っぱらってどうせ行けやしまい、と思っていたらほんとに行ったようだ。上の写真の左の方、突堤あたりでグレを釣った
	らしい。この海岸でも「がまかつ」主催のキス釣り大会をやっていて、40人ほどの太公望たちが海岸にずらりと並んでい
	た。



	●参考● 丹後11湯
	夕日ヶ浦温泉(網野町)木津温泉(同)浅茂川温泉(同)岩滝の温泉(岩滝町)由良浜温泉(宮津市)宮津羽衣温泉(同)
	伊根温泉リゾート(伊根町)久美の浜温泉郷(久美浜町)丹後温泉(丹後町)おおみや小町温泉(大宮町)弥栄あしぎぬ
	温泉(弥栄町)


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