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台湾の旅 2010年1月18日 故宮博物院











	故宮博物院	出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

	故宮博物院(こきゅうはくぶついん)は、中華の歴史的遺物を所蔵・展示している中国(中華人民共和国)と台湾(中華民国)に存在する
	博物館である。以下の3か所にそれぞれ施設がある。

	 中国北京市 - 故宮博物院(紫禁城) 
	 中国瀋陽市 - 瀋陽故宮博物院 
	 台湾台北市 - 国立故宮博物院 

	故宮博物院は、1924年に北洋軍閥の一人である馮玉祥が溥儀を紫禁城宮殿から退去させ、1925年10月10日に宮殿内で清朝が持っていた
	美術品などを一般公開したのが始まりである。1925年当時の所蔵品点検レポートによると所蔵品総数は117万件を超えており、博物
	院は古物館、図書館、文献館を設けて各種文物の整理をする一方で、宮殿内に展示室を開設して多様な陳列を行なっていた。

	その後、満州に駐留していた日本軍が華北地方に軍を派遣してきたため、蒋介石の国民政府(1948年からは中華民国政府)は博物院の
	所蔵品を戦火や日本軍から守るべく重要文物を南方へ疎開させ、1933年2月から5月までの間に1万3,427箱と64包に及ぶ所蔵品が上海経
	由で南京市に運ばれた。国民政府は南京市内に所蔵倉庫を建てて故宮博物院南京分院を設立したが、1937年に日本軍が南京に向けて進
	軍してきたために、所蔵品は再び運び出されて四川省の巴県・峨嵋山・楽山の3カ所に避難させられた。

	第二次世界大戦後、運び出された所蔵品は重慶を経て再び南京・北京に戻されたが、国共内戦が激化するにつれて中華民国政府の形勢
	が不利になったため、1948年の秋に中華民国政府は故宮博物院から 2,972箱に及ぶ所蔵品を精選して台北へと運んだ。これによって誕
	生したのが台北市の國立故宮博物院であり、現在故宮博物院の所蔵品は北京と台北の2カ所に別れて展示されている。これとは別に所
	蔵品の一部は、国共内戦後の中華人民共和国建国後の混乱のため北京に戻すことができず、現在も南京博物院の管轄の下南京に保管さ
	れている。
	なお、瀋陽の故宮博物院は、元々が後金の小規模な宮城であった瀋陽故宮に置かれており、主に後金・清時代の文物・美術品が展示さ
	れている。

	<中国 北京市>
 
	北京の故宮博物院北京市の故宮博物院(簡体字:故?博物院) は、もとの宮殿(紫禁城)であった所を博物館にしている。大部の所蔵
	品は文化大革命時に破壊された。
	一般入場料は40元(4月から10月は60元)。留学生のみ学生証によって学割が適用される場合があるが基本的には外国人は子供も一般
	料金が適用される。120cm以下の子供は外国人を含めて無料。「珍宝館」および「鐘?(時計)館」はそれぞれ別料金(10元)である。
	敷地内は広大で、売店や軽食堂がある。
	現在は故宮博物院の敷地外となっている天安門や端門への登楼も有料で可能であり、正門である午門の前にも民営の小さな展示館がた
	くさんある。
 
	<中国 瀋陽市>

	遼寧省瀋陽市瀋陽路 171号にあり、1926年に創立した。博物館は敷地面積が7000平方メートル、収蔵されている文物は数万点あり、い
	ずれも清朝の宮廷の歴史、宮廷の生活を反映した実物や資料であり、典制文物・宗教関係の文物・書・絵画・磁器・刺しゅう・碑刻な
	どが含まれ、そのなかには国宝級の収蔵品も数多くある。博物院の展観として、「清朝宮廷の原状」、「宮廷歴史文物」、「清代芸術
	品展」などがあり、清朝の前期の宮廷の遺物を主とし、2239点の文物・資料が展示されている。
	2004年、瀋陽故宮はユネスコ世界遺産(文化遺産)に「北京と瀋陽の明・清王朝皇宮」として指定された。


	<中華民国 台北市>
 
	台湾(中華民国)の国立故宮博物院は、台北市北部の士林区にあり、付近には高級住宅街が広がっている。この博物院には中華民国政府
	が台湾へと撤退する際に故宮博物院から精選して運び出された美術品が主に展示されており、その数が合計60万8985件冊にも及ぶこと
	から世界四大博物館のひとつに数えられている。博物院では3カ月に1回の割合で展示品の入れ替えがあるが、膨大な所蔵量のために、
	全ての所蔵品を見るためには8年余りもかかると言われている。
	現在では台湾南部の嘉義県にある台湾高速鉄道嘉義駅の隣にアジア文化をテーマとした南部分院が2013年完成を目標に建設工事が進め
	られており、博物院の機能の分散化が図られている。
	
	この博物院は、1960年代から1970年代に中華人民共和国で起きた文化大革命における文化財の組織的破壊から、貴重な歴史的遺産を保
	護するという役割を担ったが、同時に中華民国政府が中国( China)の唯一合法的な政府であることの象徴と、日本の統治から離脱し
	たばかりの台湾において中華ナショナリズムを強調するための装置としても中華民国政府に利用されていた。そのために現在では、早
	期の台湾独立を求める泛緑連盟勢力の一部から「『台湾国独立』と引換えに故宮博物院の文物を紫禁城に返そう」という主張が出てい
	るが、実現の可能性はほとんど無い。
	2001年より大規模な耐震・改装工事が行われ、館内の一部が閉鎖されていた。工事は2006年12月末に完了し、2007年2月8日より全館が
	一般公開された。





































































































































































































このHPの写真は全て、ここで購入した上の図録からscanした。
	
	「故宮博物館」
	ここがメインの今回の旅だったが、この展示には正直ガッカリした。これが噂に聞く故宮博物館かと思った。建物は立派だが、展示
	品は少ないし、「おおっ、これは!」と言うような目玉もない。やたらショップばかりが多くて、展示の流れも解りにくい。以前行
	ったことのある河内さんやWifeはこんなもんじゃないのと言う顔をしているが、二十年ほど前に来たことがあると言う錦織さんも、
	「昔はこんなもんじゃなかった。青銅器なら青銅器、土器なら土器がずらーっと並んでいて圧倒されたもんだったが。」と、余りの
	変わりように驚いている。

	知名度の高さに故に私の期待度が高すぎたのかもしれないが、それにしても、この展示品の少なさは疑問だ。おそらく収蔵庫にある
	物の方が圧倒的に多くて、展示品はごくごく一部なのだろう。建物や内部の見栄えや、利便性に気を使いすぎた結果、博物館として
	の機能を捨て去ってしまったもののように思える。おまけに写真撮影禁止で、監視員が、まるでそれが命とでも言うように、キョロ
	キョロと目を光らせているものだから、隠し撮りも出来やしない。更には、中国人が書が好きなのは理解できるが書画の類がやたら
	と多い。古代史ファンとしては、もっと遺跡から出た遺物なども展示して欲しかったが、そういうものはここには無いのかもしれな
	い。なにせ中国の歴代皇帝が持っていた宝物を、大陸からかっさらってきたのだから。

	ま、そういう訳でここには私が写した写真はまったくない。例によって図録からScanした画像で勘弁していただこう。中国だけに、
	「お茶を濁す」ってか、がははは。

	館内は広くて、その内Wifeともはぐれ、ばったり会った錦織さん河内さんらと最上階の喫茶店でお茶を飲む。「ここで五時間はつら
	いなぁ」「あまり見るもん無いですもんね」「これなら上野の東洋館の方がまだましかも」「何でこういう展示にしてもうたんかな
	ぁ」等と談笑しながら時を過ごす。

	また皆と別れてWifeを探す。ショップにいたので、一緒にいくつか買い物をする。Wifeがしんどいと言うので、外へ出て広場のベン
	チで暫く休む。昨夜のマッサージルームは凄く寒かったし、出発時から強行軍だったので大分疲れているのだろう。やがて集合時間
	となったのでエントランスに向かう。一人二人と集まって来た。これからレストランへ向かう。


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