Music: 台湾情歌



台湾の旅

第三日目


	
	2010.01.18(月)

	朝から一寸風邪ぎみである。やはり、昨夜のマッサージがあまり良くなかったのではないかと思われる。今日は今回の旅行のメイン、
	故宮博物館五時間コースである。正午から午後五時まで。二時間は呉さんが説明して、後は自由見学というスケジュールになってい
	る。朝食後、衛兵の交代式で有名な正忠烈祠へ行く。ゼンマイ仕掛けの人形たちのような交代式を見る。ここは台湾の「戦没者追悼
	会館」である。去る大戦や内戦で散った全ての英霊たちを祀っている。日本の靖国神社のような所だが宗教色はない。戦没者の名前
	が刻まれた墓標が、建物の壁一面に並んでいる。

	
	それから、蒋介石を讃えた「中正祈念館」へ行く。八角形のどでかい建物だ。蒋介石と孫文を祀っている。
	孫文は国を作った英雄として「国父」と呼ばれているが、蒋介石は何と呼ばれているのだろうか。中国よりの政権が誕生した時には、
	この施設も相当冷遇されたらしいが、今は元の扱いに戻っている。昨日「228祈念館」で解説してくれたおじいさんは蒋介石をボ
	ロカスに言っていたが、呉さんによると、台湾国民の三分の一は今でも親日派だという。そして三分の一が蒋介石擁護派だそうだ。
	この施設には、蒋介石が乗っていたリムジンや書斎の復元など多くの資料があるが、これらを見ていると、明らかに「建国の父」は
	蒋介石ではなくて孫文だと言う気がする。
	この建物の広場や石段など、基本的な造りは北京の紫禁城とそっくりである。広場は天安門広場にそっくりだし、龍やその他の彫刻
	を施した石の階段も、紫禁城と同じ物のようだ。蒋介石は最後まで北京に戻りたかったそうなので、その意を汲んでこういう形にし
	たものと思われる。ちなみに、蒋介石という名前は台湾では殆ど使われていなくて、蒋介石の本来の名前「蒋中正」から取って、こ
	こも「中正祈念館」と名付けられている。


	
	「中正祈念館」の見学が終わって、12時からの「故宮博物館」見学に間に合うよう、その他の建物は車窓見学となる。日本統治時
	代の「総督府」、現代の文部省や財務省、最高裁判所などを眺める。



現在も中華民国総統府として使用されている旧台湾総督府庁舎













台北地方法院(台北地検署、法務部と同居している)
	
	台北地方法院	出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
	台北地方法院(たいぺいちほうほういん)は中華民国(台湾)の三級裁判所の一つ。普通法院に区分され略称は台北地院、また法曹界
	では北院とも称される。その他台北地区の板橋地方法院、士林地方法院と合わせて北三院の名称も有す。
	台北地方法院の前身は日本統治時代に遡ることができる。1895年、日本に台湾が割譲されると日本政府は近代的司法制度の導入を図り、
	同年10月7日に台湾総督府により『台湾総督府法院職制』を発令、台湾総督府法院を台北に設置、台湾各地に11の支部を整備した。
	当時の司法制度は一審制であり、台北県及び基隆、淡水地区の審理を監督した台湾総督府法院が前身となった。
	日本国内では司法機関としては「裁判所」の名称が一般的であったが、軍政期の軍事法廷に同一名称を使用することを忌諱し「法院」
	の名称がこの時採用されたが、その名称は戦後の台湾でも使用され、現在に至っている。








市内を抜けて故宮博物院へ向かう。





故宮博物院をでて夕食へ向かう。
















	
	Wifeは夕食は要らないと言う。仕方ないので呉さんに言って、我々が食事している間にWifeだけホテルへ送ってもらったが、台湾最後
	の夜の、せっかくの食事が勿体ない。呉さんに頼んで、テイクアウト出来そうなものを幾つか包んでもらったが、部屋へ持って行って
	もやはり食べなかった。相当調子が悪そうである。
	誰かがカラオケに行くかと聞きに来たが、さすがにWifeをほったらかしには出来ないので、今夜は遠慮する事にした。


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