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−南九州の弥生文化− 考古学セミナー
大阪府立弥生文化博物館




第1回 平成19年10月8日(月・祝)
鹿児島県立埋蔵文化財センター 新東晃一先生









		今日の講師、新東氏は理科系の大学を出て考古学へ進んだという変わった経歴の持ち主である。スポーツマンで、
		テニスで国体にも2度出たそうで驚く。身長も180cmを越えるという巨漢だった。話のハギレも良く、熱心
		に「上野原遺跡」の斬新性と南九州の縄文時代を語っていた。この博物館の学芸員で、今回の「−南九州の弥生
		文化−」展開催を中心になって推進した「東」氏とは、鹿児島時代の先輩・後輩の関係だそうである。





新東氏が使用したスライドの一部を以下に掲載しているが、デジカメの
性能がさほどよろしくないので、鮮明には写っていない。ご容赦。




		上の4つのキーワードに示された事項が今日の講演のテーマであり、内容のほぼ全てである。

		・縄紋草創期の南九州がいかに、東日本・北日本の縄紋文化と比較して先進性を有していたか
		・もしかしたら、縄紋文化も西(南)から東へ進展したのではないか
		・隆盛を極めた南九州の縄紋文化は「硫黄島」の爆発によって滅亡し、以後南九州が日本文化において優位に立
		 つことはなかった。

		これを、資料、スライドを用いて説明してくれた。そうか、南九州の縄紋文化は火山の爆発で壊滅したのか。










		南九州では、「上野原遺跡」後も引き続き発見される初期縄文遺跡から、日本列島の縄文文化観の転換に迫る成果
		が提供され、注目を集めている。まず、南九州域では、西之表市奧ノ仁田遺跡や同市鬼ケ野遺跡、中種子町三角山
		遺跡などの熊毛諸島を中心に、縄文時代草創期の多彩な遺構や多量遺物を所持した遺跡が、日本列島に先駆けて現
		れている。これらの遺跡は、日本列島の草創期文化の中では先駆的な様相を示すものであり、大いに注目されてい
		る。
		2000年に発見された指宿市水迫遺跡からは、約15,000年前ころの、後期旧石器時代の段階の竪穴住居跡
		や道跡、炉跡などが発見されており、草創期以前の南九州には、すでに縄文的母体が形成されていたことを窺い知
		ることができる。
		このような南九州の初期縄文遺跡は、日本列島に先駆けて南九州域に縄文文化が登場した様相が窺えるのである。
		この南九州に栄えた初期縄文文化は、本来、日本列島の縄文文化とは異質の内容を所持していることが窺え、日本
		列島の縄文文化とは異なる「もう一つの縄文文化観」がみえる。










		南九州の、旧石器時代終末に現れる細石刃に伴う土器や、縄文的石器の出現を草創期の始まりとすると、これまで
		の発掘調査や放射性炭素年代測定値などから約13,000年前頃に想定できる。そして南九州には「薩摩火山灰」
		層が厚く堆積しており、この火山灰の降灰期の11,500年前頃には、縄文時代草創期文化は終焉を迎えたこと
		になる。
		このように南九州は、火山灰層によって細石刃文化から草創期文化へ、さらには早期文化への変遷と終焉をスムー
		ズに確認できる、良好なフィールドを持つ地域でもある、














		旧石器時代終末期の南九州は、すでに発達していた落葉広葉樹林相に、温暖化に伴って進出してきた照葉樹林が混
		合した中間温帯林相が形成され、列島に先駆けて豊かな森が発達していた事が想定されている。そして、この縄文
		的環境の成立に伴って石鏃や土器が出現し、いち早く縄文社会が誕生することになる。

		草創期中葉になると、細石刃は消滅し、隆帯文土器と呼ばれる南九州独特の土器が誕生し、多量の土器と共に磨製
		石器や石鏃など縄文的石器が中心となる、なかでも南九州は、磨石や敲石や石皿などの植物質加工具が、石鏃など
		の狩猟具に対して優先している。このことは、温暖化で形成された豊かな森の恩恵を受け、植物質食料に依存した
		本格的な縄文文化がいち早く南九州に誕生したことを想定させてくれる。








		最近では指宿市「水迫遺跡」でも住居跡や炉跡などが発見され、すでに南九州の旧石器時代の終わり頃には住居施
		設を持った集団が出現していたことが判明してきた。草創期中葉には、一定地方に比較的長く生活していたことを
		窺い知る遺跡が存在するようになった。






		上野原台地の早期前葉には、同時に6〜10軒程度で構成する集落が存在したことになり、日本列島では最古の集
		落跡になった。






		南九州の早期後葉(約7,500年前)には、深鉢形土器のほかに、全く別な用途をもった壺形土器の出現や土偶
		や、用途不明の異型石器や土製・石製耳飾りなど祭祀や装飾的な道具が多数出土している。

		日本列島の縄文時代早期には見られない。独創性の高い成熟した先進文化が形成されていることが窺える。
		これまで、日本列島での壺形土器や耳飾りなどの出土の最盛期は、縄文時代後期から晩期頃とされているが、南九
		州では早期後葉の段階にいち早く出そろっており、南九州ではこの時期に縄文時代の成熟期を迎えたことになる。








		縄文早期前葉の南の縄文文化は、熊毛諸島を含めた鹿児島県を中心に、宮崎県南部と熊本県南部の人吉市域の、い
		わゆる南九州域を分布圏としている。その後、屋久島の北海底で、完新世最大といわれる鬼界カルデラの大爆発が
		起こり、火砕流や火山灰は海上を越えて南九州を覆い、日本列島南部には厚いアカホヤ火山灰層が堆積している。

		この火山灰層の上下の文化を比較すると、下層は日本列島を北進する文化で、上層は南進する文化となる。つまり、
		この火山爆発によって、成熟した南九州の縄文文化は消滅した事が、火山灰層の上下の文化の違いから想定できる
		のである。



講演終了後は、例によって金関館長と東学芸員も加わっての討論会。




		最初の縄文文化はまず南九州で発展し、その後消滅して、縄文中期以後になると日本中の縄文土器が似てくる、
		という話を金関館長がしていた。








セミナー室の前に小さなガラスケースがあって、「ミニ特集」をやっている。
今回は特別展に合わせた内容になっていた。











帰り道に、国道26号線から見た「池上・曽根遺跡」の光景。刈り取り前の黄金色が美しい。



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