Music: A Taste of Honey

奥野正男先生著作集刊行記念パーティー
2009.12.23 福岡市都ホテル


	梓書院の主催で、考古学者の「奥野正男著作集 第一巻出版記念祝賀会」が博多で開かれた、私はまだ奥野先生にお目に掛かった
	事は無いが、出版物は良く読んでいた。特に「古代の鉄」に関する著作集は秀逸で、多少文章に読みづらいところがあるものの、
	内容は面白く、何冊かは私の書架にも並んでいる。
	博多の友人の矢野君からこのパーティーの話を聞いたとき、「わざわざ大阪から」という気持ちと、「奥野先生に会いたい」とい
	う気持ちとが交差してなかなか決断がつかなかったが、矢野君が「お前が来るなら俺も出るわ」という言葉に押し切られて出席を
	決めた。意に反して、先生は私の事をご存じで、「いゃあ、あの有名なホームページの!」と言っていただき感激した。生憎安本
	美典先生は体調が優れないらしく欠席だったが、福嶋さんにも会えたし、新聞社の文化・歴史関係者達とも沢山知り合えて有意義
	な一日だった。それにしても、奥野先生はもう50冊も本を出してたんだ。










	朝早い飛行機しか予約が取れなかったので、祝賀会の時間まで、西区にある福岡市博物館を覗いてみたが、相変わらずの撮影禁止
	で、せっかく、北九州の玄関口としての文化財を羅列しながら、これが「撮影禁止」とは。全く何が文化だという気がする。









	私が博多を去る頃(35年前)は、博多駅の筑紫口(新幹線側)にはこの都ホテル以外殆ど建物は無かった。資材置き場やウサン臭
	い倉庫などが建ち並ぶ、薄暗い、文字通り裏口だった。それがどうだろう、この35年の間に見事に変貌を遂げて、博多口の正面玄
	関側にひけを取らない繁華街になってしまった。博多の街も、地下鉄が出来て首都高が出来て、私の学生時代とは打って変わった
	大都会に発展した。こんな大きな街になるのなら、何も大阪当たりへ出稼ぎに行く必要は無かったかもしれない。

















祝賀会開始直前の会場。上左が矢野君。上右は先生のご家族のテーブル(だと思う)。


	奥野正男	出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

	奥野 正男(おくの まさお、1931年 - )は、日本の考古学者、古代学者。北海道札幌市生まれ。元宮崎公立大学教授。筑紫古代文化
	研究所代表。邪馬台国九州説を唱えて多数の著書を著す。炭鉱で働きながら美唄東高等学校定時制を卒業。1980年『邪馬台国』創刊1
	周年記念論文で最優秀賞受賞。1981年第6回郷土史研究賞特別賞受賞。東アジアの古代文化を考える会会長。
	また旧石器捏造事件で、藤村新一一人ではなく、周囲の学者たちの責任をも問うた『神々の汚れた手』で2004年毎日出版文化賞受賞。
	1960年代にはリアリズム研究会から日本民主主義文学同盟に所属し、雑誌『現実と文学』『民主文学』などに小説を発表していた。
	その間、1965年には小説「地底の炎」で第3回リアリズム文学賞を受賞している。

	<著書>
	邪馬台国はここだ 鉄と鏡と「倭人伝」からの検証 毎日新聞社 1981 のち徳間文庫 
	考古学から見た邪馬台国の東遷 毎日新聞社 1982 
	邪馬台国の鏡 三角縁神獣鏡の謎を解く 新人物往来社 1982 
	邪馬台国発掘 畿内か北九州か-永年の論争に終止符を打つ! PHP研究所 1983 のち文庫 
	騎馬民族の来た道 朝鮮から河内に至る遺跡・出土品全調査 毎日新聞社 1985 
	騎馬民族と日本古代の謎 大和書房 1987 
	吉野ケ里遺跡の謎 よみがえる邪馬台国 PHP研究所 1989 
	邪馬台国はやっぱりここだった よみがえる女王の都 毎日新聞社 1989 
	邪馬台国は古代大和を征服した JICC出版局 1990 
	卑弥呼 邪馬台国英雄伝 プレジデント社 1991 
	大和王権は広域統一国家ではなかった JICC出版局 1992 
	邪馬台国紀行 海鳥社 1993 
	鉄の古代史 1-3 白水社 1994 
	古代人は太陽に何を祈ったのか 日本人のコスモロジーを探る 大和書房 1995 
	神々の汚れた手 旧石器捏造・誰も書かなかった真相 文化庁・歴博関係学者の責任を告発する 梓書院





開催の挨拶に続いて、奥野先生の祝賀会記念講演。















歴史関係の研究会、学会、大学教授等々の皆様がご挨拶。







日本鉱業史研究会会長の井澤氏の音頭で乾杯!





しばしご飲食。上左に私が背中だけ写っている。














	モーツアルトのようなヘアスタイルをした奥野先生と記念撮影。左矢野君、右わたくし。


	矢野君と私は高校の同窓生である。高校の頃は特に仲が良かったわけではない。古代史に興味があるなど知らなかったし、数年前、
	自分が書いた本の序文を頼まれるまで、まさか邪馬台国に興味を持っているなど考えたこともなかった。帰郷の折など何度か呑んだ
	が、こんな本を書いているなど一言も言わなかった。私が「邪馬台国大研究」HPを立ち上げていることはとっくに知っていたはず
	なのに。
	しかし本を読んでみてその理由がわかった。こいつは「畿内説」だったのである。裏切り者だ。朝倉に生まれ育っておきながら、事
	もあろうに「邪馬台国=纒向遺跡」説とはなんたる事。邪馬台国は纒向で、投馬国は関東の多摩、狗奴国は東海だという。友人たち
	の中でもこの本は説得力をもたず、ある友人は「序文が一番面白かった」と言っていた。コイツもアホだった。
	しかし、そのアホを改心させられない私も情けない。いつの日か、「邪馬台国=筑後川北岸」説の前にひれ伏させてやると誓いなが
	ら、時々一緒に呑んでいる。

	しかし、マスコミは何故コレ(私と矢野君の関係)を取り上げないのかねぇ。
	「高校の同窓生同士が、長じて邪馬台国問題の論敵に!」というテーマなんか絶対面白いと思うんだけどぁ。二人に論争させて、昔
	の友人仲間がコメントしたりして、結構受けると思うんだが。



矢野君が出した本(上左)と私の本(上右)。私の本は、梓書院によれば初版三千部は完売したそうだが、第二版が出ないねぇ。







途中、先生の娘さんたち・ご親戚による演奏と歌唱の披露。娘さんはピアニストらしい。









福嶋正日子(HN)さんも田主丸から出席。先月、九博でご一緒したばかり。福嶋さんも本を出してたんじゃなかったっけ。





ご家族からの花束贈呈で、先生も感慨深げだった。




	奥野さんは、藤村新一による捏造事件を追及したことでも有名だ。梓書院からでた「神々の汚れた手」は毎日出版文化賞を受賞した。
	副題に「旧石器捏造・誰も書かなかった真相 文化庁・歴博関係学者の責任を告発する」とあるように、これは藤村新一を糾弾した
	書ではない。むろんそれもあるが、藤村新一に捏造を示唆しそそのかした文化庁・歴博関係学者たちを告発した書である。いわば、
	日本の考古学者、考古学会に対して突きつけた告発状なのである。この事件ひとつとってみても、日本の考古学者たちがいかに姑息
	な人種であるかが理解できる。この人たちのやっていることは、とうてい学問の名に値しないのではないかとさえ思える。勿論、良
	識を備えた考古学者達もいるが、事件の核心にいた学者達は口をつぐんだままである。それどころか、最近では居直ったのか、まる
	であんな事件があったことなど忘れたかのように、新たな捏造に精を出している学者さえいる。考古学界の将来を思うと暗鬱とした
	気分になってくる。実際に、藤村新一本人を検察庁に告発した考古学者を、私は奥野正男以外には一人も知らない。


	邪馬台国の会 第223回 特別講演会	2004.6.13 特別講師 奥野正男先生(邪馬台国の会HPより転載)

	旧石器捏造・誰も書かなかった真相        奥野正男  
 
	1.旧石器捏造事件の現状 
	事件発覚からまだ3年しかたっていないのに、藤村新一ただ一人に罪をかぶせたまま忘れられようとしている。藤村が関与した遺跡
	のみを2年半かけて再調査したが、なにも出てこなかった。捏造された遺跡からなにも出ないのは当然である。25年間発掘を行っ
	てきた東北旧石器研究所が解散した。資料や証拠品が散逸し隠される可能性がある。 

	2.藤村ひとりを断罪することへの疑問 
	藤村は発掘現場の一作業員。論文も読めないし石器の図面も書けない。25年間藤村一人で捏造が続けられるわけがない。25年間
	に160以上の発掘現場で、専門家である現場監督の誰ひとり藤村の捏造を見抜けないなんてことはあり得ない。藤村の手記は、黒
	塗りされてしまったが、共犯者がいたことをにおわせる記述がある。京都女子大学の野田正彰教授(精神病理学)は、悪の主役は藤
	村以外にあると次のように述べる。 
	彼(藤村)の話には真実もある。マスコミや周囲の期待に応えたかったというのは正直な気持ちだろう。しかし、徹底的に開き直れ
	るほどの悪人ではない。そういう人間を利用し、暗黙のうちに捏造をそそのかした取り巻きや従来の旧石器考古学界こそ、この問題
	を引き起こした悪の主役だ。(毎日新聞2004年1月26日) 

	3.捏造事件周辺の疑問の数々 
	岡村道雄氏の提唱した旧石器についての仮説にぴったり合致する石器ばかりが藤村によって発掘される。そして、岡村氏は自ら現場
	監督を務めた座散乱木(ざざらぎ)遺跡の報告書の中で、 藤村の発見によって自説が完全に証明されたと宣言した。捏造を指示、
	あるいは、捏造をそそのかし、岡村氏の学説に合致する石器を用意した専門家の存在が想定される。


	藤村の発掘で、一つの穴から、革をなめした使用痕のある石器が7個見つかって、別の穴からは骨を砕いた使用痕のある石器がまと
	まって出たという。藤村には、使用痕を弁別し使用痕ごとに石器をまとめて埋めるのは不可能。当時、日本に一台しかない最先端の
	金属顕微鏡で石器の使用痕研究をしていた東北大学の使用痕研究会のなんらかの関与が疑われる。東北大学の学者は見解を明らかに
	するべきである。
	捏造石器からナウマン象の脂肪酸を検出したという研究結果が、帯広畜産大学から報告され、捏造石器の信憑性の補強に使われた。
	国立歴史民俗博物館館長の佐原眞は、この情報によって、反対意見を発表した小田静夫氏を名指しで批判し、旧石器発掘に対する反
	対意見を封じ込めた。捏造石器にナウマン象の脂肪酸が付くわけがない。捏造を補強する共犯者といわれても仕方がない学者たちが
	いたことになる。国の機関が、反対意見を名指しで批判し、力ずくで発言を封じてしまうのは学問の世界では異例のことであった。
	( 小田静夫氏の論文 )

	藤村の捏造石器をもとに、東大の教授、助教授などが次々に論文を発表したが、彼らが提唱する理論考古学という分野は、捏造石器
	でしか証明できない全くの空論であることが明らかになった。権威のある学者が捏造を見抜けないで誤った論文を次々に発表してき
	たことは、これらの考古学者がまったく石器を見る目を持たないことが証明されたばかりでなく、東大の権威によって学界全体を誤
	った方向に導いていった大きな責任がある。
	藤村が捏造した石器は全国で3000点にのぼるといわれる。また、宮城県の博物館の報告書によると宮城県で発見された旧石器は
	850個に達するとされる。この数は、とても藤村一人で埋められる数ではない。 
	捏造事件が発覚した時、宮城県の歴史博物館の報告書では、「藤村が関与していない旧石器を我々の手で数多く発掘している。だか
	ら、これらの石器は捏造ではあり得ない。」と記す。 
	藤村以外にも石器の捏造に直接関与した人々がいたのは確実である。藤村以外の誰が石器を埋めたのかを一番よく知っているのはこ
	の博物館の人たちであろう。 

	宮城県の発掘関係者のあいだでは、ローム層の露頭から旧石器を探すのに「等間隔の法則」というのがあるんだよと、内輪でささや
	かれていたという。捏造が行われていたことは旧石器研究者の間では周知のことであった。

	通常、発掘現場の監督は、石器が発見されたときに発見状況の詳細を示す写真の撮影を指示する。しかし、捏造石器の発見現場では、
	遠景から石器の位置を竹串で示した写真があるだけで、石器が地中から現れた時の写真がまったくない。これは、写真を撮らずに石
	器を抜き取ることを現場監督が容認していたことを意味する。現場監督が捏造に荷担したと言われても仕方のない常識はずれの発掘
	であり、現場監督の責任が問われて当然である。

	4.捏造事件の本質 
	旧石器捏造事件とは、藤村が考古学者をだました事件ではなく、考古学者が藤村を利用して国民をだました事件である。

	5.責任 
	藤村の捏造を「教唆」「協力」「利用」「容認」したと思われる関係者が多数存在する。これら関係者の責任が問われるべきである。
	藤村を「特殊能力の持ち主」などと賞賛し藤村の捏造石器によって自らの仮説を証明して、その実績により文化庁の課長クラスまで
	上り詰めた岡村道雄氏。藤村の捏造石器に基づいて前期旧石器時代を描き、理論考古学を標榜して日本の考古学をミスリードした東
	大の学者たち。捏造に荷担しあるいは捏造を容認したその他の関係学者。また、考古学協会は次のような活動で、藤村一人に責任を
	押しつけて事件の本質を隠蔽し、責任を負うべき考古学者を無罪放免しようとしている。藤村関与遺跡以外の遺跡については調査を
	せず、藤村以外の関与者の究明を行おうとしない。捏造石器を利用したり藤村を賞賛して本来責任を問われる立場である考古学者が、
	裁く側の立場となって、藤村関与遺跡を調査している。あまりの生々しさに戸沢充則氏が絶句したという藤村の告白文の全文を公表
	しない。 
	藤村の精神鑑定すら行わずに藤村を精神障害と断定し、精神病院に隔離してしまった。「旧石器捏造事件」をアメリカ考古学会で報
	告したが、ただ単に藤村が捏造した事件であるという事実の報告だけで、本質は伏せられている。85年の考古学協会奈良大会で、
	「極東旧石器文化の編年」が発表され、馬場壇A、中峰Cなどの捏造遺跡が、北京・周口店13洞と並んで10〜30万年前に編年
	されるとした。 
	この編年は、中国・朝鮮など東アジアで出土した旧石器と比較しても非の打ち所がない旧石器が日本にあり、北京原人が発掘された
	周口店の石器と宮城県の中峰遺跡の石器が同じ時期のものと認定したものである。考古学協会が岡村道雄氏の仮説を公式に肯定した
	ことになる。  
	考古学協会のこのような動きは、論文も書けない藤村に欺されたということでは済まされない。考古学協会が藤村の捏造石器を活用
	して自らの判断で岡村氏の仮説を押し出すためにこぞって協力したことを意味する。 
	考古学協会は自らの犯した誤りを認め責任を明確にするべきであろう。 

	6.今後 	
	関与した考古学者の責任を一切問わずに、論文も書けない藤村一人を断罪することで済ませるわけにはいかない。このまま終わらせ
	てしまっては、日本の考古学の未来はない。 
	『神々の汚れた手』の出版や、各地での講演会などを通じてこの問題を訴えていくが、重要なことは、すべての関係者が口を開き、
	真実を記録し公表することである。沈黙している考古学者の発言を期待している。 



	以下は、奥野さんのHP「古代史の窓」に載っている、旧石器捏造問題に関するニュースと奥野さんのコラムです。


	ニュース

	〇「神々の汚れた手」が3月に梓書院から単行本になります。現在、梓書院で編集中です。
	〇行政訴訟は、現在、弁護士が決まり、今野隆吉宮城県会議員を代理人にして、2月中に仙台地裁に提訴できるように、準備中です。
	〇捏造のセンターだった東北旧石器文化研究所(鎌田俊昭理事長)が1月24日に解散しました。ここには捏造に関連する多数の調
	 査資料が残されているはずです。行政訴訟では杜撰な発掘の証拠として、石器・野帳・実測図・作業日誌類を証拠申請するつもり
	 ですが、解散と共に資料の散逸・隠匿が危惧されています。
	〇その翌日、藤村新一が毎日新聞のインタービューに答えて「病気のために当時の記憶がない」など、とぼけて見せている。同紙は
	 藤村が、昨年退院し、名前を変えて、再婚し、社会復帰していることも伝えている(毎日新聞1月26日)。 
	〇昨年9月、仙台地検に藤村を告発したさい、藤村の精神鑑定をつよく要請した。不起訴にはなったが、仙台地検が精神鑑定だけで
	 もしてくれていたらと、無念でならない。 


	   捏造事件の証拠隠滅を憂う  奥野正男

	 旧石器捏造事件における文化庁・歴博関係学者の責任を追求した『神々の汚れた手』は、今年3月頃梓書院から単行本として出さ
	れることになった。私のわずかな退職金や年金を割いての自費出版である。本の売り上げは行政訴訟の経費にしたいと思っている。
	『神々の汚れた手』は、雑誌『季刊・邪馬台国』(梓書院発行)に5回連載された。またその連載に先立ちホームページ「古代史の
	窓」<http//:www.okunomasao.com> に順次公開してきた。
	捏造発覚の直後(01年1月)に作ったホームページ「旧石器捏造事件オンブズマン」は、当時まだ宮崎公立大学に在職中だったた
	め、文化庁・歴博関係者からの干渉に遭い、一時中止を余儀なくされたが、02年に大学を退職してから上記のHPに「神々の汚れ
	た手」を公開することができた。
	 このHPは、発覚から2年半にわたった日本考古学協会の検証特別委員会の検証・再調査(註1)と同時進行した。事件は国史跡
	指定の取り消し、歴史教科書の回収、再発行という社会問題に発展したが、テロ事件、外務省汚職、イラク侵攻、自衛隊派遣などの
	陰に隠れ、国会では一度も論議にならなかった。03年6月にやっと協会の総括が出た。告発するにしても時効まであと半年しかな
	かった。Fの捏造期間は約25年、9都道県186遺跡に、Fひとりで埋め、掘った石器は3千点を超えるという。また捏造の計画・
	準備(岡村仮説に見合ったニセ石器の備蓄)・実行(埋め込み・発掘)・協会大会(学会)報告まですべてをFの単独犯行とし、Fを
	捏造の「張本人」と断罪した。
	 再検証で石器の大部分は、縄文時代の石器、石屑、偽石器とわかったが、3千個全部をF一人で埋めたとする証拠を示すことも、
	またできなかった。

	 協会が選んだF断罪の決め手は、精神病院に入院中のFから「事情聴取」し、Fの「告白」を数十行も塗り消したものをマスコミや
	宮城県に公表したことだ。協会はFの精神鑑定さえもしていない。
	「神の手」と喧伝され、相沢忠洋賞を受けたFは、「告白」公表の一瞬から、希代の詐欺師、20余年の歴史偽造を重ねた極悪人と
	して報道された。一方、捏造遺跡の「考古学的」公認、史跡指定、国・行政機関による宣伝、歴史教科書の執筆などに関与した文化
	庁・歴博関係の役人学者や、捏造資料を使った「研究論文」・著述を重ねた東京大学・東北大学・明治大学・東北福祉大学・同志社
	大学・岡山大学など多くの教授クラスの旧石器学者は、一片の道義的な責任すら問われることがなかった。
	 実行者が仮にF一人であったとしても、遺跡の発掘調査という公の(埋蔵文化財行政)の場で起きた不正を、何か「学問研究上の
	問題」のようにすりかえて多額の学術研究費を浪費し、偽りの史跡指定や歴史教科書作りに関係した学者の免責(責任逃れ)に終始
	した日本考古学協会の現役員たちの責任は重く、大きいと思う。
	 私は03年9月、仙台地検にFを刑事告発し、Fの精神鑑定を求めた。告発は受理されたが「不起訴」になった。宮城県では損害賠
	償を求める行政訴訟の準備が進んでいる。損害賠償の請求権は20年というが、裁判は長くかかる。行政訴訟では出土した旧石器の
	現場写真が一枚もないという調査の杜撰さ(非学術性)と、多大な県費・国費を捏造に浪費した違法性が問われる。
	 弁護士も決まって、訴状を作る準備に入った折りもおり、東北旧石器文化研究所の解散が発表された(04年1月14日)。
	訴訟ではここの資料を全部証拠申請するつもりでいたが、先を越された。解散で捏造石器はどうなるのだろう。証拠隠滅の対抗手段
	は、すべての関係者が口を開き、真実を記録することしかない。沈黙している考古学者の発言を期待してやまない。 

	(註1)捏造遺跡の再発掘に、文部科学省から33億円の科学研究費補助金が支出された。『前・中期旧石器問題の検証』
	(日本考古学協会)



感謝の辞を述べる奥野さん。「いやぁ著述業で家族を養うのは大変でしたね。」と言うようなことを話してはった。



上右は、閉会の辞を述べる梓書院の田村会長。









都ホテルを出て、矢野君と近場の店で一杯やって別れた。早く九州説に転向すればいいものを。





今回はトンボ帰りで、朝倉の実家にも帰る暇がなかった。そのうちまたゆっくり帰ってこよう。







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