奈良国立文化財研究所(通称:奈文研)の埋蔵文化財センターが中核となって、「年輪年代学」に関する国際シンポジウム が奈良市で開催された。文字どおり「国際シンポジウム」で、SPEAKER はドイツ、フランス、イギリス、ギリシャ、中国、 韓国、アメリカ、スイス、そして日本と、多彩な顔ぶれであった。言葉は英語が主体で翻訳が付いていたが、「俺は英語を 喋れるぞ」というオッサンが下手な英語で質問したりしていた。さすがに各国第一線の研究者の報告会だけに聴衆も研究機 関の人間や学生が多く、熱心にメモを取ったり専門的な質問も大分飛んでいた。物見遊山で来てみたオジサン・オバサン連 中は、「あ、こりゃダメだわ」とばかりそそくさと退散なさっていた。
歴史倶楽部のメンバー河原さんがもってきてくれたパンフでこのシンポジウム開催を知ったのだが、2日間にわたるシンポ ジウムで、しかも1日は平日であった為、まことに残念なことに半日分しか聞けなかった。案内によれば、18日の金曜日の 方が「年輪年代学」については先進国であるヨーロッパの報告が多かっただけに残念である。考古学への適用以外にもこの 学問は色んな分野に応用されている。そのあたりの現状も聞きたかった。
「年輪年代学」と、日本における年輪年代学の現状については、「科学する邪馬台国」の中の「木の科学・木の年輪測定」 のコーナーにレポートがあるのでそちらを参照いただきたい。 日本でこの学問の先駆者は、本日のシンポジウムの立案者でもある、奈良国立文化財研究所埋蔵文化財センターの光谷拓実 氏である。1980年からとの事なのでちょうど20年になるわけで、まだまだ新しい学問である。当初は考古学への応用を考え てのスタートで、今でも光谷氏はその方面の活動比重が多いそうだが、諸外国では昔から考古学以外にも色んな分野に用い られてきたし、日本でも最近は地震学・気象学・農学等々の分野に「年輪年代学」の成果を取り入れる姿勢が見えてきた。 「年輪年代学」という学問そのものは考古学でもないし、気象学でもない。あくまでも「年輪」を調べる学問である。現在 のそして過去の年輪を調べて、地域、年代。樹種による「年輪」の基本パターンを作成するのである。それを用いて考古学 者や気象学者達がそのデータを自分の研究に応用する、というわけだ。 以下は、19日冒頭で日本の「年輪年代学」について講演する光谷氏。過去の対象物をスライドで説明し、日本の現在の「年 輪パターン」の蓄積はやっと3000年まで来たが、ドイツなどは10,000年もの蓄積があり、日本はまだまだ頑張らねばと話し ていた。
ドイツにおける「年輪年代学」は1930年終盤より始まったが、1960年代の終わり、コンピュータの出現によっていっきに芽 吹いた。当時の40年間、年輪年代学は、考古学、建築史、美術史に関連したものの年代決定を行う道具として、主にカシ の年輪を使っての年代法を構築することに集中していた。1970年代になると、年輪年代学は、空気汚染された都市部の樹木 にも適用されるようになった。しかし当時、年輪気候学の重要性は認められていなかったし、今もなお認められてはいない。 年輪年代学の最大の業績と言えば、ナラ類の年輪を用いた長期の暦年標準パターンの作成で、完新世代までを網羅したこと である。またその応用として、炭素14を用いた較正によって新石器時代の住居の年代決定ができたことである。最近では、 様々な樹木の形成層の成長の型の研究が進み、樹木の成長を理解し、年輪年代学をするうえでの生物学の基礎を理解する事 に着手しはじめた。 年輪年代学とは、現生木あるいは太古に生きていた樹木に関わる学問である。したがって、年輪年代学は樹木生物学を基礎 とするが、その成果は森林の健全状態を査定することでみえてくる文化史から、古気候にいたるまでの広い範囲の様々な学 問に反映されるものである。 (以下省略)
フランスにおいてわれわれの研究所は、2つの類似した研究テーマを取りあげている。まず、遺跡出土木材や建造物に使わ れている木材の殆どを調査してきた。それらは、フランス北部の3分の2の地域からの出土木材や屋根材であった。これら の試料は、量的にも十分あり、1地域や1地方の暦年標準パターンを作成するのに必要な年輪の数を充たしている。調査を していくうえででてくる特定の疑問(年代決定、古環境、生物地理学、森林学、気候学)にぶつかった時、様々な年代学の うち1つまたはそれ以上を用いて疑問を解決することになる。 過去 6,000年の範囲において、われわれの年代学は、長期に渡って変化していく森林変遷への人為的な影響力を追跡できる ようになった。次ぎにわれわれの研究室が着目したことは、美術作品と家具、手書きの表紙、楽器などであった。われわれ は北ヨーロッパ地域における研究で、この2,000年前後に制作された作品を分析している。建築学上の木材と比較してこの 美術作品の材料は、さらに多くの方法論上の問題点を提起した。年代計測は、ときにはとて難しく、研究中は、作品の完全 な状態を破損することのないよう細心の注意をはらわなければならない。 (以下省略)
富山県の平野部に生育するスギのの年輪幅標準曲線は、百数十km離れた福井県北部の平野部のスギについて作成された標準 パターンと極めて良く一致した。一方、富山県内の平野部と山間部でスギ年輪幅標準パターンを作成したところ、基本的な パターンは一致したが、両者の位相が逆転する年も見られた。この原因について気象要因を検討したところ、降雪パターン (里雪型と山雪型)が関与していることが示唆された。なお、西高東低の典型的な冬型の気圧配置の場合には山間部を中心 とした降雪(山雪)となり、日本海北部に低気圧が位置して等圧線が北西〜南東方向に走るような気圧配置の際には、平野 部を中心とした降雪(里雪)となる事が知られている。 (中略) 平野部と山間部でスギ年輪標準パターンが著しく異なる年度については、冬季間の降雪パターン(山雪型と里雪型)につい て検討する必要がある。また、平野部と山間部で共通に生育する樹木について年輪解析を実施することにより、過去の降雪 パターンを推定し得ることが示唆された。
エーゲ海と東地中海での27年間におよぶ年輪年代学の継続調査は、東西約2,400km、南北1,100kmの範囲にわたる過去9,200年 間のうちの6,600 年間の標準パターンを作成する結果をもたらした。過去3年間、新石器時代の212年間、初期・中期青銅器 時代の627年間、ローマ時代の殆どにあたる400年間のみの標準パターンが発展してきた。ブルガリア、キテンで、海面下10m に水没した初期青銅器時代の住居址が2715プラスマイナス10にウィグルマッチングする285年分のカシの年代学が、黒潮の急 激な塩水湖化とエーゲ海周辺の起こるべくして起こった文化的大激変の年代を決定した。 本シンポジウムまでにわれわれは、全体としてB.C.2659年からB.C.627年のおおよそ2033年と紀元前における2つの標準パタ ーンをひとつに連鎖したいと考えている。そして、放射性炭素 37のウィグルマッチングを用いて、特定選別した年輪グルー プの年代決定を明確にしたいと考えている。その分布範囲のなかで年輪の曲線は、B.C.1628年 のサントリニ・テラの噴火と 相関関係があり、それゆえにエラーマージンはゼロに近い。2番目に長い年代法は、360年から1994年にわたる1635年間であ り、中世、中世後の170以上もの建造物の木造部分に統合されている。本シンポジウムでは、どのようにこの年代法がなしと げられたかを多くの種類の建造物やモニュメントと、採集した考古学上の地層を紹介しつつ簡潔に説明しようと考える。 (以下省略)
Power Pointを用いてPCから次々に資料を掲示して説明するDai氏。中国北東部の山、白頭山は過去4回の噴火が確認され ており、火山灰に埋まった大量の植物は格好の年輪年代学の材料となる。光谷氏と共同で年輪標本や円盤標本採集を行って いるそうである。
Park氏は、韓国での唯一の「年輪年代学」研究者だ。その為同僚との競争はないが、材木を求めてくるBUSINESS Manとの競 争に勝たねばならないと言って聴衆を沸かせていた。韓国内の古い建造物からカラマツの年輪を採集して古気候の再現を試 みている。中国のDai氏と違ってこちらは昔ながらのOHPシートで説明。シートの交換係に学生が一人演壇に控えていた。
このシンポジウムの数日後、NHKのTVで「年輪年代学」がとりあげられていた。と言うより、光谷拓実氏を取材した番組だっ たのだが、結果的に彼の仕事即ち「年輪年代学」の紹介になっていた。この番組はNHK大阪が、近畿圏のユニークな研究をし ている学者や研究者を取材して、その研究を紹介するというものだがなかなか面白い。その人の生い立ちや経歴までも紹介 してくれるので、研究者個人の事もよくわかる。 あいにく私はその日東京出張でこの番組の放映を知らなかったのだが、WIFEがホテルへTELをくれてかろうじて終わりの部分 を見る事が出来た。飲み疲れて寝ていたのだ。スイッチを押すと奈文研に近い平城宮跡で光谷氏がインタビューを受けてい た。氏はもともと植物学者になりたかったそうである。やっぱりなぁ。
今日(2014.2.25)のサンケイ新聞(日経にも出てた)に、新しい年輪年代測定法が開発されたという記事が載っていた。1年単位 までピタリと判るそうで、またまた論議を呼びそうである。