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奈文研国際シンポジウム

年輪年代学は過去をどこまで語れるか
2000.2.19(日)奈良県歯科医師会館(奈良市二条町)






	奈良国立文化財研究所(通称:奈文研)の埋蔵文化財センターが中核となって、「年輪年代学」に関する国際シンポジウム
	が奈良市で開催された。文字どおり「国際シンポジウム」で、SPEAKER はドイツ、フランス、イギリス、ギリシャ、中国、
	韓国、アメリカ、スイス、そして日本と、多彩な顔ぶれであった。言葉は英語が主体で翻訳が付いていたが、「俺は英語を
	喋れるぞ」というオッサンが下手な英語で質問したりしていた。さすがに各国第一線の研究者の報告会だけに聴衆も研究機
	関の人間や学生が多く、熱心にメモを取ったり専門的な質問も大分飛んでいた。物見遊山で来てみたオジサン・オバサン連
	中は、「あ、こりゃダメだわ」とばかりそそくさと退散なさっていた。

 


	歴史倶楽部のメンバー河原さんがもってきてくれたパンフでこのシンポジウム開催を知ったのだが、2日間にわたるシンポ
	ジウムで、しかも1日は平日であった為、まことに残念なことに半日分しか聞けなかった。案内によれば、18日の金曜日の
	方が「年輪年代学」については先進国であるヨーロッパの報告が多かっただけに残念である。考古学への適用以外にもこの
	学問は色んな分野に応用されている。そのあたりの現状も聞きたかった。

 


	「年輪年代学」と、日本における年輪年代学の現状については、「科学する邪馬台国」の中の「木の科学・木の年輪測定」
	のコーナーにレポートがあるのでそちらを参照いただきたい。
	日本でこの学問の先駆者は、本日のシンポジウムの立案者でもある、奈良国立文化財研究所埋蔵文化財センターの光谷拓実
	氏である。1980年からとの事なのでちょうど20年になるわけで、まだまだ新しい学問である。当初は考古学への応用を考え
	てのスタートで、今でも光谷氏はその方面の活動比重が多いそうだが、諸外国では昔から考古学以外にも色んな分野に用い
	られてきたし、日本でも最近は地震学・気象学・農学等々の分野に「年輪年代学」の成果を取り入れる姿勢が見えてきた。

	「年輪年代学」という学問そのものは考古学でもないし、気象学でもない。あくまでも「年輪」を調べる学問である。現在
	のそして過去の年輪を調べて、地域、年代。樹種による「年輪」の基本パターンを作成するのである。それを用いて考古学
	者や気象学者達がそのデータを自分の研究に応用する、というわけだ。
	以下は、19日冒頭で日本の「年輪年代学」について講演する光谷氏。過去の対象物をスライドで説明し、日本の現在の「年
	輪パターン」の蓄積はやっと3000年まで来たが、ドイツなどは10,000年もの蓄積があり、日本はまだまだ頑張らねばと話し
	ていた。

 



以下はこのシンポジウム内容のレポートであるが、聞けなかった部分については、
会場で貰った資料を基にその「さわり」を二三紹介したいと思う。


ドイツにおける年輪年代学の歴史と現状 by Dieter Eckstein


	ドイツにおける「年輪年代学」は1930年終盤より始まったが、1960年代の終わり、コンピュータの出現によっていっきに芽
	吹いた。当時の40年間、年輪年代学は、考古学、建築史、美術史に関連したものの年代決定を行う道具として、主にカシ
	の年輪を使っての年代法を構築することに集中していた。1970年代になると、年輪年代学は、空気汚染された都市部の樹木
	にも適用されるようになった。しかし当時、年輪気候学の重要性は認められていなかったし、今もなお認められてはいない。
	年輪年代学の最大の業績と言えば、ナラ類の年輪を用いた長期の暦年標準パターンの作成で、完新世代までを網羅したこと
	である。またその応用として、炭素14を用いた較正によって新石器時代の住居の年代決定ができたことである。最近では、
	様々な樹木の形成層の成長の型の研究が進み、樹木の成長を理解し、年輪年代学をするうえでの生物学の基礎を理解する事
	に着手しはじめた。
	年輪年代学とは、現生木あるいは太古に生きていた樹木に関わる学問である。したがって、年輪年代学は樹木生物学を基礎
	とするが、その成果は森林の健全状態を査定することでみえてくる文化史から、古気候にいたるまでの広い範囲の様々な学
	問に反映されるものである。

	(以下省略)



フランスにおける様々な分野への年輪年代学の応用 by Catherine Lavier



	フランスにおいてわれわれの研究所は、2つの類似した研究テーマを取りあげている。まず、遺跡出土木材や建造物に使わ
	れている木材の殆どを調査してきた。それらは、フランス北部の3分の2の地域からの出土木材や屋根材であった。これら
	の試料は、量的にも十分あり、1地域や1地方の暦年標準パターンを作成するのに必要な年輪の数を充たしている。調査を
	していくうえででてくる特定の疑問(年代決定、古環境、生物地理学、森林学、気候学)にぶつかった時、様々な年代学の
	うち1つまたはそれ以上を用いて疑問を解決することになる。
	過去 6,000年の範囲において、われわれの年代学は、長期に渡って変化していく森林変遷への人為的な影響力を追跡できる
	ようになった。次ぎにわれわれの研究室が着目したことは、美術作品と家具、手書きの表紙、楽器などであった。われわれ
	は北ヨーロッパ地域における研究で、この2,000年前後に制作された作品を分析している。建築学上の木材と比較してこの
	美術作品の材料は、さらに多くの方法論上の問題点を提起した。年代計測は、ときにはとて難しく、研究中は、作品の完全
	な状態を破損することのないよう細心の注意をはらわなければならない。

	(以下省略)



スギの年輪幅に基づく過去の降雪パターンの検討 by 加藤輝隆



	富山県の平野部に生育するスギのの年輪幅標準曲線は、百数十km離れた福井県北部の平野部のスギについて作成された標準
	パターンと極めて良く一致した。一方、富山県内の平野部と山間部でスギ年輪幅標準パターンを作成したところ、基本的な
	パターンは一致したが、両者の位相が逆転する年も見られた。この原因について気象要因を検討したところ、降雪パターン
	(里雪型と山雪型)が関与していることが示唆された。なお、西高東低の典型的な冬型の気圧配置の場合には山間部を中心
	とした降雪(山雪)となり、日本海北部に低気圧が位置して等圧線が北西〜南東方向に走るような気圧配置の際には、平野
	部を中心とした降雪(里雪)となる事が知られている。

	(中略)

	平野部と山間部でスギ年輪標準パターンが著しく異なる年度については、冬季間の降雪パターン(山雪型と里雪型)につい
	て検討する必要がある。また、平野部と山間部で共通に生育する樹木について年輪解析を実施することにより、過去の降雪
	パターンを推定し得ることが示唆された。




エーゲ海と近東における年輪年代学 by Peter Ian Kuniholm


	エーゲ海と東地中海での27年間におよぶ年輪年代学の継続調査は、東西約2,400km、南北1,100kmの範囲にわたる過去9,200年
	間のうちの6,600	年間の標準パターンを作成する結果をもたらした。過去3年間、新石器時代の212年間、初期・中期青銅器
	時代の627年間、ローマ時代の殆どにあたる400年間のみの標準パターンが発展してきた。ブルガリア、キテンで、海面下10m
	に水没した初期青銅器時代の住居址が2715プラスマイナス10にウィグルマッチングする285年分のカシの年代学が、黒潮の急
	激な塩水湖化とエーゲ海周辺の起こるべくして起こった文化的大激変の年代を決定した。
	本シンポジウムまでにわれわれは、全体としてB.C.2659年からB.C.627年のおおよそ2033年と紀元前における2つの標準パタ
	ーンをひとつに連鎖したいと考えている。そして、放射性炭素 37のウィグルマッチングを用いて、特定選別した年輪グルー
	プの年代決定を明確にしたいと考えている。その分布範囲のなかで年輪の曲線は、B.C.1628年 のサントリニ・テラの噴火と
	相関関係があり、それゆえにエラーマージンはゼロに近い。2番目に長い年代法は、360年から1994年にわたる1635年間であ
	り、中世、中世後の170以上もの建造物の木造部分に統合されている。本シンポジウムでは、どのようにこの年代法がなしと
	げられたかを多くの種類の建造物やモニュメントと、採集した考古学上の地層を紹介しつつ簡潔に説明しようと考える。

	(以下省略)




中国北東部白頭山での年輪年代学研究 by Limin Dai




	Power Pointを用いてPCから次々に資料を掲示して説明するDai氏。中国北東部の山、白頭山は過去4回の噴火が確認され
	ており、火山灰に埋まった大量の植物は格好の年輪年代学の材料となる。光谷氏と共同で年輪標本や円盤標本採集を行って
	いるそうである。

 





韓国における年輪年代学研究と古紀気候の復元 by Won-Kyu Park

 


	Park氏は、韓国での唯一の「年輪年代学」研究者だ。その為同僚との競争はないが、材木を求めてくるBUSINESS Manとの競
	争に勝たねばならないと言って聴衆を沸かせていた。韓国内の古い建造物からカラマツの年輪を採集して古気候の再現を試
	みている。中国のDai氏と違ってこちらは昔ながらのOHPシートで説明。シートの交換係に学生が一人演壇に控えていた。

 








●NHK大阪テレビ番組「面白学問−年輪で古代を探る−」 2000.2.23


	このシンポジウムの数日後、NHKのTVで「年輪年代学」がとりあげられていた。と言うより、光谷拓実氏を取材した番組だっ
	たのだが、結果的に彼の仕事即ち「年輪年代学」の紹介になっていた。この番組はNHK大阪が、近畿圏のユニークな研究をし
	ている学者や研究者を取材して、その研究を紹介するというものだがなかなか面白い。その人の生い立ちや経歴までも紹介
	してくれるので、研究者個人の事もよくわかる。
	あいにく私はその日東京出張でこの番組の放映を知らなかったのだが、WIFEがホテルへTELをくれてかろうじて終わりの部分
	を見る事が出来た。飲み疲れて寝ていたのだ。スイッチを押すと奈文研に近い平城宮跡で光谷氏がインタビューを受けてい
	た。氏はもともと植物学者になりたかったそうである。やっぱりなぁ。

  



●揺れる弥生の年代観 年輪年代法の最新情報 asahi.com 2000.10.8

「埋文ニュース」にまとめ 奈文研
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奈良国立文化財研究所(奈文研)は、年輪年代法の最新情報をまとめた「埋蔵文化財ニュース」99号をこのほど、発行した。弥生時代から飛鳥時代までの十三遺跡を取り上げ、木製品の実年代(原木の伐採年代)を年輪年代法で調べた結果と、一緒に出土した土器の様式を並列して記している。この結果、弥生時代に関しては、年輪年代法による実年代が、土器様式による年代より約百―二百年も古く出る傾向がわかった。これまでの弥生時代の年代観が大きく揺れている。

実年代 土器様式より100〜200年古く
年輪年代は奈文研の光谷拓実・発掘技術研究室長が、土器の様式は発掘現場の担当者が執筆した。年代の食い違いが大きい弥生から古墳時代初期の七遺跡をとりあげてみると――。

弥生時代は、土器様式で早期(先1期)、前期(1期)、中期前半(2期)、中期中ごろ(3期)、中期後半(4期)、後期(5期)の六期に区分される。土器は時代が進むと形態が変化することに基づく時代区分だ。相対年代と呼ばれ、新旧はわかるが、実年代は出ない。 実年代の与え方は研究者によってまちまちだが、早期は紀元前四世紀、後期末は紀元三世紀中ごろとの見方が有力だ。土器と一緒に出土する鏡など中国の青銅製品などが実年代を推定する手がかりになっている。
一方、奈文研が開発した年輪年代法では、4期の土器が出土した池上曽根遺跡(大阪府和泉市・泉大津市)の大型建物跡の柱が紀元前五二年だった。やはり4期の二ノ畦・横枕遺跡(滋賀県守山市)では、二基あった井戸の板材の年輪年代が紀元前六〇年と同九七年、4期初めの下之郷遺跡(同)では木製盾の年輪年代が紀元前二〇〇年。
この三遺跡の年輪年代から見た4期の実年代は、紀元前二〇〇年―同五二年。土器様式での4期の通説は一世紀とされ、約二百年も古くなる。このほか3期の武庫庄遺跡(兵庫県尼崎市)では、大型建物跡の柱の年輪年代が紀元前二四五年だった。3期の通説の紀元前一世紀より約二百年、古い。1期後半の東武庫遺跡(同)では、木棺の板の年輪年代が紀元前四四五年と出た。この板は原木の周辺が大きく削られていたため、削られた部分を考慮すると、推定伐採年代は紀元前四〇〇年ごろになる。1期の通説の紀元前四世紀より約百年、古い。

木製品、再利用? 判断慎重に
弥生時代と古墳時代の過渡期の土器とされる庄内式土器が出土した纒向石塚(桜井市)の場合、用途不明の板の年輪年代が推定で一九五年ごろだった。庄内式土器の通説である三世紀中ごろより、約五十年古い。古墳時代前期の二口かみあれた遺跡(石川県志雄町)は、建物跡の柱の年輪年代が推定二五〇年ごろ。古墳時代前期の通説である四世紀初めより、やはり約五十年古い。この結果、年輪年代法では、弥生前期と中期では土器様式年代より約百―二百年、古墳時代初期では約五十年、それぞれ古く出る傾向がわかった。
研究者の間では「年輪年代が古く出るのは、調査対象の木製品が再利用されているためではないか」とみる意見が多い。光谷室長は「再利用かどうかは、慎重に判断して調べている」と言う。
奈文研の金子裕之・研究指導部長は「土器様式で年代を考えてきた私たち考古学研究者にはつらい結果だが、土器は基本的に相対年代しかわからない。実年代を推定する根拠にしていた中国の青銅製品などに代わって、年輪年代による実年代から年代観を再検討すべきだろう」と話している。
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●奈良・元興寺で世界最古の木造寺院の建築部材発見 asahi.com 2000.10.17


奈良市中院町、元興寺(がんごうじ)極楽坊の禅室(国宝)の建築部材が、飛鳥時代初めの582年ごろ伐採されたヒノキであるとわかった、と元興寺文化財研究所が17日発表した。
元興寺の前身で、596年に完成した日本最初の寺院・飛鳥寺(奈良県明日香村)で使われた部材が元興寺で再利用されたらしい。7世紀末から8世紀にできた世界最古の木造建築の法隆寺より約1世紀古く、木造寺院の建築部材としては世界最古になるという。禅室は1951年に修理され、取り換えた部材を寺が保管していた。同研究所は、これらの部材7点を奈良国立文化財研究所の光谷拓実・発掘技術研究室長に調査を依頼。年輪年代法による調査の結果、天井裏に使われていた、梁(はり)を支える「巻斗(まきと)」(38センチ四方、高さ27センチ)と呼ばれる部材の最も外側の年輪が582年とわかった。
 光谷室長は「外側の年輪は樹皮のすぐ近くで、582年は伐採年代にごく近い」と言う。ほかの6点のうち1点は、平安時代のものとわかったが、残る5点は大きく削られていて明確な年代がわからなかった。
 飛鳥寺は平城京遷都(710年)に伴い718年に北へ約22キロ離れた平城京に移り、元興寺となった。元興寺の禅室の屋根には飛鳥寺の瓦(かわら)が今もふかれているが、元興寺の建物は移転時に新たに造営されたと考えられていた。しかし、今回の調査で、飛鳥寺の建築部材を再利用した可能性が高まり、今も天井裏で使われている2、30個の巻斗が飛鳥寺のものだったことも十分考えられるという。(23:59)  (c)Copyright Asahi shinbun co.,LTD















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	今日(2014.2.25)のサンケイ新聞(日経にも出てた)に、新しい年輪年代測定法が開発されたという記事が載っていた。1年単位
	までピタリと判るそうで、またまた論議を呼びそうである。







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