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第44回 古代山城研究会・例会
2011年9月3日 芦屋市民センター

	Netで知り合って、一度兵庫県立考古博物館でご一緒したことがある、「古代山城研究会」の会長であるオモイカネさんよりmailが
	来た。「今度芦屋で例会をやりますので来ませんか?」というものだった。オモイカネさんはどうやら古代史関係の学科を卒業され
	た方のようで、山城のみならず古代史一般に掛けてもめちゃくちゃ詳しい。安本美典先生も、その著作や「季刊誌 邪馬台国」でよ
	くオモイカネさんの文章を引用している。行きたかったが、生憎その日は役員をしているマンションの行事とかさなっていた。
	一端ご辞退のmailを入れたのだが、当日、雨模様のため行事が中止になり大急ぎで駆けつけた。



阪急「芦屋川駅」で下車し、芦屋川に沿って南下すると10分ほどで会場である「芦屋市民センター」に着く。








	途中に「猿丸大夫」の顕彰碑と「細雪の碑」があった。芦屋の村長であった猿丸安時という人が芦屋川の治水に尽力したのでそれを
	顕彰するとあった。「細雪」のほうは判らない。谷崎潤一郎がここに住すんでいたのか、或いはここにあった旅館で「細雪」を執筆
	したのか、ま、そんなとこだろうな。

	その後、Netで調べたところでは以下のような事だった。

	■谷崎潤一郎と芦屋
	 「こいさん、頼むわ−」。谷崎潤一郎の小説「細雪」は、優美な船場ことば(大阪ことば)ではじまります。昭和10年代、船場生
	まれの美しい四姉妹を描いた作品は、その住まいがあったとされる兵庫県芦屋市がメイン舞台となっています。
	 谷崎潤一郎と芦屋との縁は、関東大震災に始まります。箱根で執筆中だった谷崎は大震災に遭い、小学校時代の親友が住んでいた
	芦屋へと逃れてきます。この頃、谷崎はのちに最愛の人となる松子夫人と出会い、東京から関西に定住することになります。谷崎潤
	一郎は、芦屋市をはじめ、現在の神戸市、西宮市など“阪神間”と呼ばれる地域で約24年を過ごしますが、この間10回以上の引越し
	をしています。小説の中で描写されている風景のひとこまを、今も芦屋川や夙川沿いで見つけることができます。

	ついでに「猿丸安時」も調べたら、以下の記事があった。

	猿丸安時(さるまるやすとき)と奥池

	阪急芦屋川の北にある開森橋(かいもりばし)の東詰に「猿丸安時頌徳碑(しょうとくひ)」があります。昔から、芦屋地方の村々は日
	照りが続くとたんぼや畑の水不足に悩み、水の争いがたえません出した。そんなとき、芦屋村の村長であった猿丸又左衛門安時(さる
	またまたざえもんやすとき)(1828〜1880)がこのような争いをやめさせるため、芦屋川の上流にある奥山にため池を造ってこれを防ご
	うとしました。 そして、20余年の苦心の末に奥池は出来ました。このことは水の不足に悩む村人達に大きな励みとなり、人々は安
	時の功績を讃えました。碑(いしぶみ)はこれら安時の功績をけんしょうするため後年に建てられたものです。昭和になって、住宅が
	増えると共にたんぼや畑が少なくなりましたが、奥池の水は昭和47年にすぐ南西に造られた貯水池と共に飲み水として今も芦屋市民
	の暮らしに大変役に立っています。 猿丸又左衛門安時(1828〜1880)は奥池を造っただけでなく、幕末から維新にかけて18か村の総
	代庄屋をつとめ、幕府や県令からしばしば表彰されている。 安時の墓は阪急芦屋川駅から東に約100メートルの沿線ぞいの猿丸家
	墓地にある。

	まったくnetは便利ですなぁ。










	会場へ行くとオモイカネさんがなにやら忙しそうに立ち回っていた。一端断ったし、忙しそうなので挨拶は遠慮して資料を貰い座席
	に座る。なんと、この研究会は2日に渡って開催されている。










	オモイカネさんの挨拶の後、兵庫県の古代史研究者である森岡秀人さん(芦屋市教育委員会)による「近世城郭の石切場」と題する
	発表が始まった。森岡さんは古代史の分野では結構有名人で、私も2回ほど講演会を聞いたことがある。昔、吹田市の博物館であっ
	た講演会でも喋っていた。





































































続いて、古代山城研究会の松尾洋平氏による「古代山城の石材調達 −鬼の城を中心に−」と題した発表。









「鬼の城」には、むかし歴史倶楽部の例会でみんなと一緒に行ったので懐かしかった。




























	続けて、愛媛大学東アジア古代鉄文化研究センターの村上恭通教授による講演の予定だったのだが、今日は欠席と言う。雨の中を
	押して出てきたのは、実はこの人の話を聞きたかったからなのだが残念無念。というのもこの日は、台風9号だったか10号だっ
	たかが近畿に近づいている日で、交通機関はあちこちで不通になっていたのだ。先生は明日からシベリアへ出かけるそうで、今日
	四国から関西へ来て、終了後四国へ戻れないとコマルので欠席させて欲しいと連絡があったそうである。なので、村上さんに代わ
	ってオモイカネさんが喋るという。事前に電話で打ち合わせをしたとの事だが、こういう内容を喋れるなんて、オモイカネさんも
	すごい。村上教授の本は私も2,3冊持っていて、「鉄」に関する研究書では、私の書架に奥野正男氏のものと並んでいる。



















途中でオモイカネさんが、この調査に参加した何とかさんに話しを振っていた。

その後オモイカネさんから来たmailでは、
「この人は永納山城の調査担当者・西条市教委の渡邊芳貴さんです。」






















































	最後に「城郭談話会」の高田徹氏が「中・近世の城づくり」について喋る。この会はいわゆる古代山城ではなく、て我々が知っている
	いわゆる「お城」を研究している団体のようだった。講演終了後、阪急芦屋川駅を目指して(?)雨の中、急いでお帰りになっていた。





















	「オモイカネ」さんという名前はmixi内の単なるHNで、実名は上記新聞記事にもある「向井一雄」さんである。民間の研究者で、ブロ
	グ「銅鐸通信」は、http://doutaku.cocolog-nifty.com にある。


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