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紫香楽宮跡・鍛冶屋敷遺跡・マスコミ報道


	
	2000年12月11日、マスコミは一斉に、紫香楽宮近くの鍛冶屋遺跡から見つかった、「銅鋳造工房跡」のNEWSを報道
	した。滋賀県信楽町の紫香楽宮(しがらきのみや)跡近くの鍛冶屋敷遺跡から、8世紀中頃の大規模な銅の鋳造工房跡が出
	土したと滋賀県教委が10日発表したのだ。「溶解炉、たたら(足踏み式送風機)、鋳込み場」の3つの跡がセットで16
	基見つかった。

	「続日本紀」(しょくにほんぎ)には、聖武天皇が743年10月、紫香楽で大仏造立の詔(みことのり)を出し、すぐに
	甲賀寺(現在の国指定史跡・紫香楽宮址)を開いたとある。745年1月に紫香楽へ遷都したが、山火事や地震等異変が相
	次ぎ、同年5月、再度平城宮へ戻った。今度見つかった遺構はこれを裏付ける「物証」になる。
	紫香楽での大仏造立は未完のまま終わったが、今回の発見は、高い鋳造技術を持った職人集団が共同作業できる状況があっ
	たことを裏付けており、これらの技術や経験が東大寺の大仏造立を可能にした、とみられている。 

	以下、この日の主要なマスコミ記事を掲載する。


mainichi.co.jp

	
	奈良時代の官営の大規模な鋳銅工房跡確認 Mainichi.co.jp 2002年12月11日
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	滋賀県信楽町黄瀬(きのせ)の鍛冶(かじ)屋敷遺跡で、聖武天皇(701〜56)造営の紫香楽宮(しがらきのみや)
	に関連する奈良時代(8世紀中ごろ)の大規模な鋳銅工房跡が確認された。10日発表した県教委によると、溶解炉と鋳込
	み場をセットで13基確認、2列に計16基が整然と並ぶ“大工場”で、梵鐘(ぼんしょう)や仏像台座の鋳型も見つかっ
	た。「続日本紀(しょくにほんぎ)」によると聖武天皇は、同宮近くに甲賀寺を開いて東大寺に先行する大仏造立に着手し
	ており、甲賀寺に銅製品を供給する官営の大工房だったとみられる。当時の鋳銅工程が分かる初の遺構で、聖武天皇の「仏
	都」建設の意思を裏付ける第一級の発見としている。  
	
	仏像の台座とみられる六角形の鋳型遺構=滋賀県信楽町黄瀬の鍛冶屋敷遺跡で2002年12月3日、大竹禎之写す 
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朝日新聞








毎日新聞












日本経済新聞






朝日放送 NEWSゆう
2002.12.11 夕方




	
	鍛冶屋敷遺跡は、今の紫香楽宮跡(国指定史跡)の北北東にあるが、この紫香楽宮跡は実は甲賀寺で、実際に紫香楽宮があ
	ったのは宮町遺跡だという事は、現在ではもう確定している。
	下左の建造物(何だったかは聞き逃した。)の建設中に、鍛冶屋敷遺跡の鋳造炉跡は発見された。









下は、釣り鐘を鋳込んだ時、中に詰めた粘土の詰め土(中子)である。





「紫香楽大仏を探す会」というのがあって、不定期に、信楽で大仏を造った痕跡を探しているそうである。
この日(9日?)は15人集まったと言っていた。






	
	実は、この発見の2ケ月ほど前に、同じ滋賀県の草津で古代の鋳造炉跡が発見されている。鍛冶屋敷遺跡のほぼ100年ほ
	ど前だが、当時既に鍛冶屋敷遺跡につながる技術は、滋賀県内で広く浸透していたのかもしれない。出なければ、何十人も
	の技術者を俄に集結させるという事は不可能だろう。













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