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佐賀県立博物館 2008.10.11 佐賀市




私は二度目の訪問だが高木さんは初めてだそうで、熱心に見て回っていた。








	佐賀県の腰岳からとれる黒曜石は、遙か旧石器時代の後期には北部九州一帯ばかりか韓国南部の遺跡からも出土している。旧石器時代
	人が丸木船を操って、玄界灘を越えていったのは考古学上からも確かめられている「事実」なのだ。古代史を学んでいると、海上・河
	川を問わず、古代の水上交通は相当に熟練された技術に基づいていたと考えざるを得ないような事象に出くわす。森浩一氏も言うよう
	に、古代日本人が「水行民族」だった可能性は極めて大である。




	旧石器時代、縄文時代の晩期近くまで、日本人は中国人であり高麗人でありモンゴル人であり朝鮮人であった。或いはイルクーツク人、
	オホーツク人、エスキモー人だった可能性も高く、彼等は海進、退進を繰り返す日本列島に各地からやってきては融合し、戦い、分離
	して集落を築いていった。今日の研究成果からは、場所によっては、旧石器時代人も集落を持っていた事が確かめられている。そして
	1万年2万年というような、気の遠くなるような時間のなかで、「日本列島の縄文人」として培養されていったのだ。
	そしてその営みは、アジア大陸においても朝鮮半島においても、勿論ヨーロッパやアフリカにおいても殆ど同時並行的に進行していた。




	今日縄文土器は世界で最古の土器だということになっているが、さほど変わらない時期に土器は世界各地で発明されている。やがて縄
	文土器が世界最古の土器ではなくなるかもしれない。それはどこかの部族だけが発明してそれが広まっていったのではなく、人間の生
	活環境に対する思考の結果必然的に生み出されたものだからである。
	衣類としての動物の毛皮や、鮭や鱒の皮を足に巻いたり、石で鏃を造ったり、丸木を切り倒して船や住居にしたり、人間の脳の発達は
	殆ど同時代的に画一である。石器時代には石器しか存在しないし、金属を見つけたからと言って、いきなりコンピュータを創造した民
	族はいない。小さな優劣は勿論あるが、大きな歴史のうねりの中で見れば、人類はほとんど同じ歩みを進んでいると言ってもいいので
	ある。




	とは言っても、石と土しか知らなかった民族が金属器を手にした事の意義は大きい。歴史の流れの中に於いては、突然変異のような金
	属の発見は、その後の人類の行く先を大きく変えた。そして石と土にだけ頼っていた狩猟民族は、やがて歴史の中から姿を消してゆく。
	これが「淘汰」である。




	今日弥生と呼ばれる時代が来ると、「原」日本人である縄文人は、圧倒的な数の渡来人達に淘汰されてしまう。本来淘汰という語は、
	「不要なものを滅ぼす事、減ずる事」と辞典にはある。しかしこの場合縄文人たちは滅ぼされた訳ではない。或いはそういう地域や
	集落もあったかもしれないが、大多数の縄文人たちが渡来人と融和結合した事は、多くの遺跡と遺伝子が証明している。土井が浜、
	金隈といった西日本の遺跡では、渡来人と縄文人の骨が同じ墓から出土するし、その状況には差別や分け隔ては認められないと言う。

	CCC研究所所長である崎谷満氏の書いた「DNAでたどる日本人10万年の旅」(2008.1.20昭和堂発行)という本を読むと、日
	本列島における遺伝子がいかに多様性に満ちているか、いかに世界の中でも特異な、種々の遺伝子が混ざり合って日本民族が形成さ
	れているのかがよくわかる。縄文人と弥生人の遺伝子の共通性、非共通性などがわかりやすく解説されているので、是非一読される
	ことをお薦めする。この本は絶賛推奨本である。世界の中で、ヒマラヤ山麓に住む民族と日本人のみに同じ遺伝子が存在するなどと
	いう事実はいったいどう解釈すればいいのか。日本民族が単一民族などと言っている輩には、どうでも読んで欲しい本である。








	大挙して押し寄せてきた渡来人達が携えてきた「イネ」と「金属」は、今日でも我々日本人の原点である。日本人の主食は今でも
	稲であるし、経済活動の原点は金属である。金属がなければ工業は生まれないし、工業が無ければ経済は循環しない。あくまでも
	原始的な経済活動の輪廻に留まったままであろう。そういう意味でも、我々は弥生人の末裔であり、今でも弥生人なのかもしれな
	いのだ。




	縄文人たちは弥生人になっていったし、武具や馬具を携えて馬に乗ってきた古墳時代人たちも、やがて弥生時代に飲み込まれてし
	まう。ラオスやヒマラヤや長江流域やツンドラやイルクーツクやシベリアからやってきて、日本列島で狩猟生活に明け暮れていた
	人々は、追いかけてやってきた稲作民族と融合して「日本人」となってゆく。それは壮大な民族の旅であるし、稜々たる歴史のう
	ねりである。その軌跡を追うことこそ、歴史を学ぶ楽しさであろう。博物館に並んでいる古代人たちの生活の跡を眺めながら、ふ
	とこんなことを考えた。





 



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