Music: 収穫祭


学習講座 縄文塾
in Osaka Umeda 大融寺 1998.11.3





大融寺は大阪梅田の繁華街のど真ん中にポツンとある。ビルと飲み屋街とホテルに
囲まれた、まことに環境よろしき場所に1000年以上も鎮座ましましている。真言宗。










講座
	小山修三(おやましゅうぞう)SHUZO OYAMA
	1939年香川県生まれ。国際基督教大学卒。國學院大學大学院博士課程、California大学大学院博士課程修了。現在国立
	民族学博物館教授。80年からオーストラリア・アボリジニや北米北西海岸のハイダ族の狩猟採集民の民族学的調査を行
	う。考古学に民族学を加えた新しい縄文研究を続ける。著書に『縄文学への道』(NHKブックス)、『縄文対談・三
	内丸山の世界』(山川出版社、編著)などがある。

	
	小松和彦(こまつかずひこ)KAZUHIKO KOMATSU
	1947年東京都生まれ。埼玉大学教養学部卒業。東京都立大学大学院社会科学研究科博士課程修了。文化人類学・民俗学
	専攻。著書は『神々の精神史』(講談社学術文庫)、『日本の呪い』『鬼がつくった国・日本』(光文社文庫)、『悪
	霊論』『福の神と貧乏神』(筑摩書房)など多数。

 

 


	
	三内丸山の最新情報を伝えてくれるはずだった青森県教育庁文化課の岡田さんが、急遽韓国での発掘に出かけたとかで、
	小山教授が代わって説明する。

	@、「大人の墓」からずっと続く墓参道と対になるのではないかという「主要道」が新たに発見された、又その「主要
	道」の脇に大湯にあるのと同じようなストーン・サークルも併せて発見された。
	A、青森で開かれた、「国際狩猟採集民会議・青森シンポジウム」での富山大学内山助教授が「青森県内の遺跡の状況
	から見て、縄文早期から中期にはいったん狩猟採集からクリ・ヒエを主とした農耕社会へ移行するが、後期には狩猟採
	集の生活へ戻っていた。」という大胆な説を発表した。
	B、青森県が、三内丸山遺跡の年代を定説の5500−4000年前から5200年−3800年前と、現代へ200年近づく事を発表した。
	これは、AMS法と呼ばれる新しい放射性炭素年代測定に基づくもので、これまでも幾人かの学者により指摘されてい
	たが今回県が発表した事で、今後はこの年代が用いられる事になろう。等々。


 

	
	三内丸山の「子供の墓」について質問した。大人の墓と違ってなぜあんなに住居に近いところにあるのか、縄文人は子
	供の死骸と一緒に暮らしたいと思っていたのだろうか。小松教授の答えはショッキングだった。「あれは捨ててあるの
	です。一人前の大人になる前に死んだので大人の墓には入れてもらえないのです。」
	又、中年婦人が「友人が原始的な出産をして、産み落とした後の胎盤を食べたそうですが・・・」と質問したのに対し、
	教授は「今でも或地方に行くと(具体的な地名を出していたが、ここでは割愛する。)、そういう風習が残っています。」
	と答え、未開人の風習と思っているものが案外今でも残っている事例を話していた。
	鬼の話もさる事ながら、この話は男である私にとっては非常にショツクであった。ロマンとか、縄文文化とか言って、
	ややもすれば古代を美化しがちな最近の古代史ブームであるが、現実の縄文世界は、動物にも似た部分を沢山残してい
	たのかもしれない。



懇親会

 

 

 

 

 

 

 

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