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6.国際フォーラム
DNAが語るはるかなるライスロード


	【司会・進行】
		金関恕(かなせきひろし)
		大阪府立弥生文化博物館館長
 







	【パネリスト】
		★金関恕★佐藤洋一郎★趙現鐘(通訳)★王根富(通訳)★佐々木高明★奥村彪生の各氏(左から)



	【ディスカッション】
	
			
			金関: 今日は佐藤先生から大変新しい話を聞いた訳ですが、先生何か付け加えてくれませんか?
			
			佐藤: 今日のシンポジウムで、稲としての縄文のの要素、我々は熱帯ジャポニカと呼んでいますが、それと
			    (稲が)どのルートからきたかということ、この2つがわかればいいなと思います。
			
			金関: 趙先生、韓国の方でも佐藤先生のDNA研究方法を適用されたと聞きましたが、結果は?
			
			趙:  光州新昌洞遺跡から出土した炭化米を、1996年佐藤先生に分析依頼しました。その中に熱帯ジャポニカ
			    の資料があって驚きました。韓国は温帯ジャポニカしかないと思っていたので。その辺り佐藤先生に。
			
			佐藤: えーっと、ひどく困っています。
			
			金関: なぜでしょうか?
			
			佐藤: 私も韓国に熱帯ジャポニカがあるなんて、考えもしなかったんですね。
			
			金関: これがでた意義は?
			
			佐藤: 1粒でしたので、もっと慎重に考えないといけませんが、我々は稲が中国や韓国から来たとばかり
			    思っているが、反対方向を向いていったやつもいたかもしれない。
			
			金関: むしろ日本の熱帯ジャポニカが向こうへ行った可能性もあると。
			
			佐藤: あり得るでしょうね。
			


			金関: 中国の三星遺跡の場合はどうなんでしょう? 河姆渡遺跡は?
			
			王:  三星遺跡出土の炭化米の分析はすべて佐藤先生にお願いしていますので、佐藤先生から。
			
			佐藤: 確か両方(熱帯ジャポニカ、温帯−)でてましたよね。
			
			王:  この前お願いした分で、熱帯−、と温帯−の比率はどの位だったんでしょうか?
			
			金関: いくらか熱帯ジャポニカが多かったような気がします。すると、中国・韓国・日本に温帯−、熱帯−
			    があり、稲の道をたどれば、中国−韓国−日本というルートも十分あり得る。
			
			佐藤: そこだけみるとあり得るでしょうが、私は温帯−と熱帯−は同じルートを引きたくないですね。
			
			金関: 奥村先生、民俗学的に現代の日本に伝わっているどこから来たのかお話を聞かせてください。
			
			奥村: 中国、東南アジア、タイやベトナム、ラオスももち米を食べている所から、伝承的に考えて一番
			    考えられるのはちまきです。もう一つ考えられるのはおこわ。縄文の頃にハスがあれば、ハスの葉に
			    包んで蒸した可能性はありますし、ジャポニカが早い時期に入っていたなら私は粥(かゆ)だろうと
			    思います。


			
			佐藤: 稲作の道ですが、佐々木先生は朝鮮半島経由のAの道が主であって、B(中国長江下流域から北九州)
			    もあるかもしれないと?
			
			佐々木:それはある。AとBとC(中国−台湾−沖縄−南九州)の3つのルートで、メインはAではないかと。
			    考古学者は遺跡からみてどうしても朝鮮半島からだと思ってしまいますね。今までそう言われて来たし。
			    奥村先生、料理の方からはいかがでしょうか?
			
			奥村: 料理で料理せぃ、言うことか。かなんな。(笑)
			    料理文化から言いますと、初期の一部、奈良ぐらいではかなり朝鮮半島の影響を受けていて、一番影響
			    を受けたのが盛りつけです。ルーツは中国なんですが、直接日本へ来るのは韓国からじゃないかと。
			
			金関: そのほかCルートですね。
			
			佐藤: Cルートは熱帯ジャポニカのルートだと思います。ただ、出発点がどこかわからない。


			
			佐々木:明快に南の系統にしか農耕文化がつながらないことを考えると、南島の文化を形成する基礎の農耕文化
			    は、やはり南の系統だと考えざるを得ない。
			
			金関: でも時期が問題です。
			
			佐々木:そんなに浅いものではないと思う。
			
			金関: 弥生時代くらいまで。
			
			佐々木:はい。
			
			金関: 王先生、渡来ルートについて。
			
			王:  特に、Bのルート。長江下流域ではたくさんの稲作遺跡が見つかっています。日本の古代を考える場合、
			    やはり長江下流域のものが多く伝わっているということは言えると思います。唯一ではないですが、
			    主要なルートだと思います。
			
			金関: 趙先生、いかがでしょうか?
			
			趙:  稲はそれだけの伝播ではなくて、稲とともに人と道具、そしてその栽培方式など、全体的な社会大系と
			    してのアプローチが必要ではないかと思います。
			
			金関: 調べれば調べるほどだんだんわからなくなってくる。これが実情ですね。
			    決して1つ(のルート)にこだわる必要はないと、これを結論のようにしてこのシンポジウムを終了
			    したいと思います。

 
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		【お断りと謝辞】
			このシンポジウム部分の記事内容と写真の一部は、平成13年11月9日産経新聞関西版夕刊「弥生文化とコメ起源・伝播
			−DNAが示す第三の道」に掲載されたものに若干加筆しました。記して謝意を表明します。


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