青沼茜雲 GARELLY4













財界九州記事 「この人 こだわりの人生」 2004年2月号







	
	これを読むと、お会いしたときに仰っていた話そのままである。この謙虚さが、これだけ海外で有名なのに、国内では今
	ひとつ知名度が低いように思える原因かも知れない。しかし、先生の1ファンとしては、あまり有名になって欲しくない
	のも事実である。こんなHPを作って啓蒙に努めているくせに、と言われそうだが思いは複雑だ。
	先生の絵の素晴らしさを多くの人に知って貰いたいという思いと、先生が棟方志功や東山魁偉のように超有名になって、
	もう僕の年収では絵を買う事さえ不可能な画家になってしまうのも淋しい。今でも買えそうにもないのだが、それでもま
	だ、何とか1枚くらいは買いたいという思いは捨てきれない。しかしこれを読むと、先生は絵をほとんど手元に置いてあ
	るそうだから、他のみんなも買えないのだと思えば少しは溜飲が下がると言うものだ。
	もし宝くじに当ったら、先生の絵を一堂に収める「青沼茜雲美術館」を建てて、そこの初代館長に納まって、一日中先生
	の絵を眺めていたいものである。
		





フランス・パリ 美の革命展 in ルーブル 2003年7月



	
	日仏協会の主催で行われた、このルーブル美術館で開催された「美の革命展」で、先生の「日本の雅楽」がグランプリを
	受賞した。この「日本の雅楽」は、シリーズで他国の美術館も廻り、各国の美術賞を総なめにした感がある。先生も書い
	ているように、いくらヨーロッパ人達が茜色を好きだとは言っても、それだけであんなに賞を貰える訳はない。やはり溢
	れる躍動感と、ダイナミックな構図から生まれる迫力が、見る人の目を捉えて離さないのだろうと思う。

		

	以下の映像は、この会場の模様を撮影したビデオから転載した。		

 

 

 

「KENZO」は今や世界のブランドである。高田賢三氏もこの展覧会に出向いていた。

 

以下はこの展覧会で先生のルポを制作したTV朝日のプロデューサー新里氏。「ニュースステーション」の生みの親。
「青沼先生の絵を紹介できることは望外の喜びです。」と語っていた。それにしてもTV朝日は儲かってるんやなぁ。

 

 

 

 



この人は、僕がよく飲みに行く梅田(大阪市)のスナックのマスターにそっくりだ。

 




青沼茜雲・作品Garelly



	
	「日本の美」シリーズの春。この墨絵のような色合いはどうやって出すんだろうか。先生の絵をよく見れば、技術的にも
	なんか相当高度なものがあるような気がする。名古屋のチャイナボーンの会社ノリタケが、この絵を陶板にした。



	
	これはおそらく、私の生まれ故郷、福岡県秋月の目鏡橋がモチーフだろうと思う。秋月郷土館も先生の絵が好きで、毎年
	先生の展覧会を開いている。私が先生の絵を始めて目にしたのもそこである。山間(やまあい)の、小さな城下町である
	秋月の入り口に掛かる目鏡橋。先生の手に掛かるとこの橋は、いろんな表情を持つ石橋に生まれ変わる。



	
	これはいったい、と絶句してしまいそうな美しさである。いったいどうしたらこんな絵が描けるんだろう。何か恐ろしい
	ほどの美しさである。これは絶対観念的な絵で、現実にはこういう光景はあり得無いと思われるが、でも、どこかにあり
	そうな気もして、そこへ行ってみたい衝動に強く駆られる。
		


	この絵もすばらしい。私の実家はむかし梨園を経営していた。この絵を見ていると子供の頃に駆け回った梨畑を思い出す。
	中学校に入学後、最初にあったテストで学年で3番(男子)になった時、家に帰るやいなや、梨畑にいる母親に知らせた
	くて、梨畑の中を飛ぶように登っていった。ちょうど梨の花が満開で、母親達は梨の袋掛け作業の真っ最中であった。
	女子生徒も入れると14番で、その頃から女の子の力は台頭し始めていたものと思われるが、入学生250名の中で14
	番は嬉しくて、母親も抱きかかえんばかりに喜んでくれた事を思い出す。あの時代からもう40年が過ぎた。
	この絵をじっと見ていると、やがて涙が溢れてくるのをとめられない。


	きいんと張りつめたような冷気が、あたり一面にまんべん無く漂い、僕の吐く息が白い煙のように空へ舞い上がっていく。
	時折、クゥー、クゥーと鳴く鳩の他にはひと一人いない。静寂そのもので、落ち着いたある雪の一日。田中冬二の詩を思
	い出すような絵である。	


	思うに、青沼先生の描く世界は「情」の世界なのではないかと思う。絵の中に、人の世の根元的な条理のようなものが潜
	んでいる。「情」はヒューマニティーでもある。重荷を引いて坂を登っている人がいれば、後ろから押してやる心。目の
	前に老人が立てば席を譲ってやる心。上席者や権力からの、理不尽な要求や命令にはっきりノーと言える勇気。そのよう
	なもの一切合切を含んで、先生の絵は、我々の「情」に直接訴えかけてくるような気がしてならない。ひとえにそれは、
	一連の絵が、先生のヒューマニティーを露呈させているからであり、先生の優しい心が絵に顕れているからだろう。
	「天空を行く磐井」にしても、「日本の雅楽」にしても、一見、見事な丹色と躍動するダイナミックな構図に魅せられて
	圧倒されるが、じっと見ているとどことなく優しい眼差(まなざ)しが感じられる。

	「芸術家の仕事は、人の心の奥底に光を送り込む事である。」という先生の信条は、十分達成されている。