青沼茜雲先生と上陽町をたずねる 2005.6.6

	

	平成17年6月、祖母の33回忌があったので郷里に帰った。法事は日曜なので土曜日に帰って青沼先生に会うことにした。
	青沼先生が学校の先生時代に教え子だった久間さんが、(福岡県)八女郡上陽町で「おぼろ夢茶房」という喫茶店兼特産品
	店をやっており、その開店1周年を記念して先生の絵の展示会をやっているという。先生がそこに案内してくれるというの
	で楽しみだ。それにもう一つ、その久間さんの小屋の2階が先生の絵の保管庫になっていて、先生の絵の殆どはそこにある
	という。これも非常に楽しみである。私が感激した絵の数々と、カタログでなく、やっと実物に会える。
	


	
	伊丹を飛び立って、神戸の新埋立地群(上右:ポートアイランド、六甲アイランドなど)を見ながらうとうとすると、アッ
	と言う間に博多沿岸(下左)に着いて、空港の上に来てしまった(下右)。上左の写真は、伊丹空港内の喫煙室から写した
	のだが、ガラス窓に、前でタバコを吸っていたパイロットが写っている。彼が私の乗る機の副操縦士だった。「あんじょう
	頼んまっせ。」「まかして下さい。」







	
	福岡空港に先生と、久間さんと〇〇さんが迎えに来てくれた。空港近くでおいしい天ぷらをごちそうになって、一路上陽町
	を目指した。福岡県生まれとはいいながら、筑後川より南にはあまり行ったことがなかった私としては、初めて訪れる地で、
	なかなか新鮮だった。それにしても上陽町は山の中だ。ここは耳納(縄)連山の南側にあたる地域で、北側の浮羽郡、甘木
	朝倉と同じような田園地帯であるが、古代にはおそらく渡来人を中心として、肥沃な土壌で稲作が盛んに行われていたのだ
	ろう。九十九折れの山道を幾度も曲がって、やっと「おぼろ茶屋」に着いた。山間(やまあい)の、目の前に深い谷を抱え
	た尾根の上にあって、吹く風も爽やかで実に気持ちのいいところだ。





上左は、深い谷にかかる「おぼろ橋」。大きな橋だった。周囲には花もたくさん咲いていて、ほんとに爽やかな高原である。







久間さんが彫ったふくろうの像が訪問者を迎えてくれる茶屋の入り口。その前で先生と記念撮影。





足を踏み入れて驚いた。室内ところ狭しと飾られた先生の絵。100号とかを飾ると壁を占拠するので小品が主だったが
楽しくなってきた。光線の関係でだいぶ色が変化しているものもあるが、以下、展示されていた作品の数々である。

 

 



	
	日本の雅楽シリーズのひとつ。ルーブルでグランプリをとったやつはもう博多の人が買っていったので、これはその残り。
	しかし先生の真骨頂は、やはりこの燃えるような赤と金にある。ブルーを基調とした静かな静物や風景もいいが、なんと
	いってもこの熱情たぎるような茜色は感動する。また金色は赤によく似合う。願わくば、先生に茜を基調とした一大古代
	絵巻を描いてほしいものだ。乱舞するアメノウズメノミコトや、ヤマタノオロチを退治するスサノオや、息吹山で国津神
	たちと戦うヤマトタケルなど、想像しただけでワクワクしてくる。









	
	とはいっても、この青もいいなぁ。先生はよくこの一心行(いっしんぎょう)というところの桜を描いていて、後で出て
	くる、100号の幻想的な桜の絵も僕のお気に入りのひとつなのだが、聞けばここは熊本県に実在する場所だそうである。
	しかし、何かの理由で(聞いたのだが忘れてしまった。)今はもうこの光景は見れないそうで、まったくもって残念至極。
	上左は、部屋の丸い灯りが額縁のカガミに反射しているのだが、これはこれでちょっと面白かった。



	
	久間さんが本業(茶業)の合間に彫っているという木彫りのふくろうがズラリと並んでいる。「まだまだ修行中です。」
	とおっしゃっていたが、なかなかである。北海道あたりの観光地に並んでいる木彫りの熊などに比べると、確かに技術的
	には完成されていないようだが、その素人っぽさが、素朴でなかなかいい味がでているような気がする。木材も、彫刻に
	適したホウの木や桜などではなくて、そこらへんにある杉の木やヒノキなどを使っているのもアマチュアっぽくていい。







これも一心業の桜である。



	
	上下は制作中の絵。私の生まれ故郷、秋月の目鏡橋(めがねばし)である。上下でちょっと色合いが異なって写ってしま
	ったが、どんな絵になるのかワクワク、楽しみである。









	
	上の絵は花々を〇〇さんが描いたそうで、先生と〇〇さんの共同制作のような絵だった。「おぼろ橋」と月とウサギをあ
	しらった絵だが、この茶屋の包装紙になっていた。











以下は、保管されている先生の絵の一群。ここの作品群を一堂に展示した展覧会が催されたら、さぞかし話題になるだろうと思う。







	
	これが、私の好きな一心業の桜の大作(100号)である。この絵は最高だ。月明かりと、どこかからの光を透かして、
	桜の花の白さが幻想的な雰囲気を出している。なんとかこの絵がほしいと思って先生に値段を聞いたが、サラリーマンが
	ほいと都合できる金額ではもちろんない。しかし、何とか工面してこの絵を手に入れたいものだ。先生、そのときまで売
	らずに、手元に置いといてくださいね!







	
	この絵もほしい。これも100号の大作である。しかし大阪の私のマンションには、一心業の桜を飾ったらもうスペース
	がない。私は普段は経済的環境には無頓着だと自分でも思うのだが、こういう場面に立ち至ると、「あぁ金があったらな
	ぁ」と思ってしまう。ビルゲイツのような金があったら、先生の美術館を5つくらい建てられるのに。
	しかしこの絵をつくづく見ていると、この絵は私蔵してはいけないような気もしてくる。こんな傑作はどこか公共の場に
	展示して、広く万民に見てもらうべきではないかという気がする。興味のない人から見れば、青沼茜雲という洋画家が描
	いたただの1枚の絵だが、少しでも芸術や絵画に興味のある人たちからすれば、この絵は国民全体の財産のように思える。







いつまでも先生の絵を見ていたかったが、ここに座りこんで夜を明かすわけにも行かない。
後ろ髪を引かれるような思いで上陽町を後にする。




	
	久間さん、○○さんと、再び記念撮影。この後上陽町の料理さんでまたご馳走になった。久間さんからはおみやげにお茶
	の「取れたて」というやつをいただいたが、大阪へ戻ってきて飲んでみたら驚いた。掛け値なしの一級品だった。おいし
	かった! 私は今まであんなおいしいお茶を飲んだことがない。何千円もする玉露などよりはるかにうまい。久間さんあ
	りがとうございました。○○さんからも、先生からもおみやげをいただいて恐縮しながら帰路についた。



	
	私は仕事でもプライベートでも、人には恵まれているほうだと思う。特にサラリーマン時代の後半、40歳になったあた
	りからは、いい人たちに巡り会えた。趣味の歴史の方面でもさまざまな人にであったし、今も新しい出会いが続いている。
	もちろん仕事でも、いい上司・部下にめぐまれて、ほとんど大過なく過ごせてきた。そして青沼先生との出会いである。
	先生との出会いは、私の人生をさらに実りあるものにしてくれた。もちろん、これまでにも感動した絵画は数知れない。
	wifeが一時画廊の受付をしていた関係もあって、絵画や版画も何点か購入して、それらは今もリビングの一角を飾ってい
	る。母から受け継いだ棟方志功の版画などは、今でも画商が売ってくれと言ってくる。しかし、先生の絵との出会い、そ
	してその絵を描いた画家本人との出会いは、今までの人生とは違う何かを、これからの私の人生にもたらしてくれている
	ような気がする。どうやって書いたのかわからないような幻想的な絵や、目の覚めるような茜と金を使った大胆な構図の
	絵は勿論私を驚かせたが、それらを描いた青沼茜雲という画家に出会い、そしてその生き様を知ったことは、私にとって
	いわば一つのカルチャーショックだった。こうい生き方もあるのだ。そしてそれを実行してきた人に対面して会話してい
	る。何度かお会いするうちに、先生の人となりもだんだんわかってきた。ほんとに純粋な自由人である。微力ながら、何
	か先生の役に立つ事をしたい、何かできることはないかという気になる、不思議な魅力を持った人物でもある。
	HPの取り持つ縁で先生と知り合うことができてほんとにラッキーだった。