青沼茜雲先生と、糸島に遊す 2005.3.5(土)


	


	実はある出版社に青沼先生の作品集を出さないかという話をしていて、その解説文を僕にも書かせてほしいと頼んでいる。
	僕も出版社も乗り気で、先生も作品集を出すことにも、僕が解説を書くことにも異論はないのだが、どうも先生には別の
	思惑、考えがあるようで、なかなか話が進展しない。おそらく先生は、出版社や印刷所やあちこちに義理があって、ここ
	と決めかねておられるようだ。出版社の営業はあせって、何とか先生を説得してもらえないかと言ってきたので先生に連
	絡してみた。すると、うまい魚を食わせるから是非博多へ帰ってこいとおっしゃる。作品集の話もするという条件で帰っ
	たのだが、前回古希の祝いをした西日本新聞会館で待っていた先生は、作品集については前述したような状況で話もそこ
	そこに、糸島半島へと繰り出した。期待して同席してもらった営業君には悪かったが、まぁ焦らず、先生がその気になる
	まで待つことにしよう。




	糸島半島は福岡市、前原市、志摩町、二丈町の2市、2町にまたがり、福岡市の中心部から高速道路を使うとわずか2〜
	30分の所に位置しており、北は玄海灘、南は脊振山と大変温暖な気候にめぐまれ花卉やみかん、いちご等の果実の栽培
	が盛んである。ばら、らん、菊等は九州一円に流通し又、ブーバリア、カンパニュラは糸島の花として全国の市場に出荷
	されている。志摩地区では生産農家の人たちが新鮮な魚や野菜を直販する「志摩の朝市」が有名。夏は玄海灘はサーファ
	ー達で賑い、又新鮮な魚介類が食べられるお洒落なレストランや素敵な工房等もあり絶好の行楽地となっている。
	又糸島半島は「魏志倭人伝」にある伊都の国がこの地であったと伝えられ、弥生時代を中心に多くの遺跡が発見されてお
	り、歴史家たちの探索の地でもある。
	今から35年前、私が西新の学校に通っていた頃にもよく糸島には遊びに来たものだが、貧乏な学生の遊びなどはしれて
	いる。ドライブか海水浴か、糸島の友人宅を訪問するかぐらいだ。人はある程度の年齢と経験を経て、それに経済力がと
	もなうと、同じ場所にいても、同じものをみてもその受け取り方がちがう。もちろん環境的なものは変化しているが、3
	5年前に見た糸島と、今回訪れた糸島では相当印象が変わっていた。走馬燈のようにすぎて行った、精神的にも肉体的に
	も飢えていた時代の感受性と、ハングリーな精神がほとんどなくなってしまった今の感覚とは、果たしてどちらがとぎす
	まされているのだろうか。




	糸島半島は、海岸線のすべてが玄海国定公園に指定されている。半島一周のコースは、大陸から吹く冬の季節風と波が、
	半島の土砂を吹き飛ばした結果か、断崖と砂浜が交互に出現する名勝コースである。崖のような形になった芥屋大門、白
	砂青松の続く幣の松原、夫婦岩で有名な桜井二見ヶ浦など、美しい景勝の地が連なっている。岩が削られ骨のようになっ
	ている芥屋大門は、海上からも見ることができる。蒙古来襲の折にはこのあたりもその大軍で埋め尽くされた。魚影も濃
	く、大都市福岡から家族連れの釣り人がたくさんやってくる人気のエリアでもあり、福岡市の海づり公園も途中にあった。 

 


	桜井二見ヶ浦 さくらいふたみがうらのめおといわ  

	北九州屈指の夕陽観賞スポットとして有名。海岸から150mの場所に立つ夫婦岩と呼ばれる二つの岩は、日本の夕日百
	選に選ばれており、二つの磐はしめ縄で結ばれていて風情を醸し出している。夏至の時期になると二つの岩の間に夕陽が
	沈み、まさに芸術的といえる。海岸沿いを走るサンセット・ロードは、この美しい景色を楽しめる絶好のドライブコース
	だ。夏至の日は、三重県伊勢の二見ケ浦の「夫婦岩」の間から昇った朝日が、ここの夫婦岩の間に沈むこと言われている。
	玄界灘に沈む落日は美しい。しめ縄で結ばれた夫婦岩は、桜井神社の社領になっていて、代々黒田藩主の崇敬を受けてき
	たことから、桜井二見ケ浦と呼ばれている。玄界灘に突出した糸島半島のうち、37kmにも及ぶ志摩町海岸の最北端に位置
	する。毎年5月初旬、初夏を楽しむ行楽客が見守る中、恒例の長さ23m、直径30cmの大しめ縄掛けがおこなわれる。
	桜井神社がすぐ近くにある。伊勢の二見浦にも行ったことがあるが、あそこに上った朝日がここに沈むというのは知らな
	かった。そう思ってみると感慨もひとしおだった。




	可也山 (かやさん: 365m 福岡県志摩町) −神武天皇、国見の山−
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	糸島半島の中央に位置し、形の美しさから別名「筑紫富士」とか「小富士」とも呼ばれている。高さは365mで、頂上
	からは、糸島郡内はもちろん、唐津湾、唐津市内、背振山系の山、福岡市、博多湾、玄界灘、壱岐、対馬まで360度見
	渡せ、一年中ハイカーで賑わっている。登山道路が南側の小富士からと、東側の師吉からとある。師吉からは、遊歩道が
	1.8kmに渡って整備されている。黒田長政が、日光東照宮の大鳥居を献上する為に利用した石切り場の跡が、この路
	の至る所にあるそうだ。現在山麓では、福岡市の東区から移転してくる「九州大学」のキャンパス建設が進められている。

 


	山頂には神武天皇を祭った「可也山神社」があり、その先からは360度の展望が開け、眼下には玄界灘、遠くは壱岐の
	島も望める。可也山神社は林の中にある。祭神は神武天皇(神倭磐余彦命)、倉稲魂命、木花咲耶姫命である。神武天皇が
	大和へ向かう途中、坐って国見をしたという腰掛け石がある。奈良時代、新羅に派遣される使節は、この山麓で日待ちを
	したと言う。天平8年(736)新羅に使いをする人の読める、「草枕 旅を苦しみ恋いおれば 可也の山べに さ男 鹿鳴
	くも」の歌碑がある。渡海に臨む不安が現われている。思うに糸島郡に住む人たちの大半は、あるいは福岡県や北九州に
	住む人々は、その大半が大陸か半島からわたってきた渡来人の末裔なのだろうと思う。古代には、北九州と東アジアの交
	流は、我々が想像するより遙かに濃密なものだった可能性がある。


海から見た可也山。まるで絵のような・・・。


 


	魚庄大原店 福岡市西区今津4430-1 806-5030 

	玄界灘が目の前にあり、客席からも雄大な景色と潮の香りが楽しめる生簀料理の店。地元産の生きた魚介だけを扱い、注
	文を受けてから包丁を入れるので新鮮さはお墨付き。店内の水槽にはイカやカレイなどが泳いでいて、見たこともない魚
	介類も店先にならんでいた。




	魚庄の前に広がる玄界灘。左のガラス窓の中でこの海を見ながら、海の幸を「もうダメ!」という程味わった。大阪や東
	京で食べる魚とどうしてこんなに味が違うのだろう。大阪での魚も確かに、そこそこの値段を出せばうまいにはうまいが、
	ここで食べた魚ほどにはあまくないし、なんかひと味違う。これは気分的な問題ではない。確かに味が違う。玄界灘の魚
	はもしかしたら、九州では一番うまい魚なのではないだろうか。
	いつか仕事で出張したとき、得意先の支店長に博多で「関サバ関アジ」をごちそうになった事があるが、あの時よりここ
	の方がうまい。刺身の舟盛り、天ぷら、煮付け、焼き魚、メバルのような魚(名前を忘れた)がまるまる一匹入ったみそ
	汁に、これまた一匹入りの潮汁。ご飯、デザートはもう食べきれないくらい満腹になって、なんと一人3000円程度だ。
	味も値段も嘘のような会食だった。





白山神社





	白山神社は全国にある。八幡さんには比ぶべくもないが、結構全国に点在していて、多くは海上の安全を祈願する神様と
	してまつられているようだが、そもそもの祀神は、菊理姫命(くくりひめのみこと:白山姫命「しらやまひめ」ともいう)
	伊弉諾命(いざなぎのみこと)、伊弉冊命(いざなみのみこと)などである。菊理姫命神は、日本書紀に1度だけ登場す
	る神で、伊弉諾尊が黄泉の国を脱出するときに登場し、伊弉諾尊・伊弉冉尊が泉平坂で離別をした時に、双方に何事かを
	進言した神となっている。何事とは何なのかはわからないが、伊弉諾尊がほめたそうなので、双方納得する提言をしたの
	だろう。そこから夫婦げんか仲裁の神さま、縁結びの神様となっている神社も多い。ここにある白山神社も、それらの故
	事から、そしておそらくは、陸地の突端にある事から、海上安全祈願の神様となったのだろうと推測できる。





狛犬とならぶ青沼先生。



今回も運転を引き受けて頂いた高尾さんと、○○さん、先生と一緒に鳥居の前で記念撮影。




	芥屋大門【鍾乳洞・洞窟】福岡県志摩町大字芥屋 

	日本最大の玄武岩洞、芥屋大門。糸島半島北西部の先端に突き出た、大門崎の崖下に広がる洞窟である。博多節にもうた
	われる景勝地で、海抜64m、長さ100mの岬の崖下は荒波で削りとられ、奥行90m、幅2−10m、海面からの高
	さ8mという大洞窟になっている。六角形や八角形の細い柱状の岩が重なり合い、急斜面を作り出している。その鋭利な
	外観は迫力満点。遊覧船に乗ると、洞窟内部に入り、壮大な光景を目の前にすることができるそうだ。○○ルミ子さんは、
	自前の船で反対側からよく洞窟内部を見たそうである。羨ましい限り。国の天然記念物に指定されている。岬の上は芥屋
	の大門公園に続く遊歩道で、すぐ側に「大祖神社」がある。
 


玄界灘と芥屋大門







上3枚の写真は、上から順に左から繋がっている。以下をクリックしてもらえば、3枚が繋がります。右端は可也山。








	大祖神社 芥屋大門公園(糸島郡志摩町大字芥屋)	092-328-2149志摩町役場
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	芥屋大門の前に、大祖神社というのがあった。この神社も何が祭神なのかわからなかった。由来を書いた看板も立って
	ないし、それを示すようなものもなにもない。牛の石像があったので、高尾さんは「あ、天神さんや。」と言っていた
	が、それなら「・・天神」となっていても良さそうなものだ。それに「太祖」ではなく「大祖」である。「太祖」なら
	北九州には幾つかあるし、霊場としても有名な福岡県糟屋郡篠栗町の若杉山頂にある「太祖神社」などは有名である。
	鞍手郡小竹町にも太祖神社 があり、いずれも祭神は伊奘諾尊・伊奘冉尊(イザナギノミコト、イザナミノミコト)と
	なっている。しかしこの神社の様子はどうも普通の神社のようではない。






	大阪へ戻ってきて、この神社について調べたがさっぱりわからない。思いあまって志摩町の観光協会に電話してみた。
	応対してくれた女性は、「ちょっと待って下さい。」とどこかへ聞きに行ったらしく、なかなか戻ってこない。いいか
	げん痺れが来だした頃、「すみません、お待たせして。」とすまなそうに聞いてきた内容を教えてくれた。

	「しお、つちろう・・」「は?」
	「あのですね、塩という漢字と土ですね、それに老人の老、それからおうです。「おう?」
	「あのですね。公(おおやけ)の「こう」に下が、羽ねです。」「「こう」に「はね」? あ、翁(おきな)ね。」
	「あぁ、シオツチノオジかぁ。」「あ、なんかそんな・・」「そうですか、いや、ありがとうございました。」




	そうか、塩土老翁だったのか。この神様ならわかる。それならここにあってもすこぶる自然だ。一般には「塩土老翁神」
	は塩作りの神様として知られており、古事記・日本書紀にも登場する。また、山幸彦が兄の釣り針を無くして困ってい
	るときに助けてくれた老人でもあり、山幸彦の父で天照大神の孫の瓊瓊杵尊(ニニギニミコト)を笠狭ノ岬で見つけて
	は、木花開耶姫(コノハナノサクヤヒメ)と出会うように導いた事勝国勝長狭(ことかつくにかつながさ)、その人でも
	ある。瓊々杵尊が高天原から光臨したときに目的とする土地を教えたり、また神武天皇に「東に美(よき)国あり、・
	・・」と大和朝廷の勢力拡大を暗示したなどの説話ももっている。
	塩土老翁神は、古老の姿をした海の物知りの神であり、宮城県塩釜市の「塩竈(しおがま)神社」(市の名前にまでなって
	いる。)、塩津神社(滋賀県伊香郡西浅井町)を始め、全国の塩竈神社に祀られててる、航海の安全、漁業、製塩、安産の
	神様である。東北地方では主として開拓の神、近畿・瀬戸内から西日本一帯では製塩の神として奉斎される。
	「シオツチ」は「潮路」「潮つ霊」、「潮筒」の転訛と言われ、住吉神社の3筒之男神(上、中、底)とも関係がある。
	塩釜市の「鹽竈神社縁起」では、「塩土老翁、始降此浦、焼塩以教民、故称塩竈浦、御釜干今在候、別宮社人掌之」と
	あり(この浦に降った塩土老翁神は、人々に漁業や竃を使った煮塩の製造法を教え、その竃は今もここに残っている。」
	と伝えている。






	塩土老翁神(シオツチオジノカミ)

	別称:塩椎神、塩筒老翁神、事勝国勝長狭神 
	性別:♂ 
	系譜:海幸彦、山幸彦の物語と神武東征神話に登場する神 
	神格:海の神、呪術・予言の神、塩の神 
	神社:塩釜神社、塩釜社、潮津神社 


	塩土老翁神は、老翁という物事を知り抜いた長老という位置づけである。名前の塩土は、海潮の霊のことで海の神であ
	り、別称の塩筒は海路の神を意味している。この神が登場する神話として有名なのは、海幸・山幸神話である。山幸彦
	に会った塩土老翁神は、よい潮路に乗る方法を伝え海神の宮に行かせる。つまり、航海の道案内をしているわけで、い
	わば船の水先案内人といえる役割でもある。そして、「日本書紀」の神武東征の話のなかにも、「(天皇は)塩土老翁
	から東方に美き(よき)国ありと教えられて45歳にして東征を始めた」とある。

	古来から、船が安全に航海するためには、潮の流れや天候の変化などを正確に知ることが欠かせない。古来、航海関係
	者はそうした海上での情報を司る海の神に安全を祈った。そうした信仰の対象になったのが、航海を守護する情報の神
	である塩土老翁神であった。
	また、塩土老翁神は、製塩の技術を伝えた神さまとしても有名である。そもそもこの神は、海を生業の場とする人々が
	必要とするあらゆる知識を備えており、そのひとつが製塩だった。塩は生物にとっては生命を維持していく上で、生理
	的に欠くことのできないもので、古代から各地で製造されている。縄文から古墳時代に至る海岸べりの遺跡では、通常
	の土器に混じって製塩土器が多数発見される。日本では塩は、廻りを取り囲む海水から作られてきた。その生産地の人
	々は、塩作りの神として海の神を祀った。そうした神は、昔から日本の各地にいたはずで、そのなかから有力な神とし
	て発展し、生き残ってきたのが塩土老翁神だということなのだろう。この芥屋大門の近くにも、古代から塩を作ってい
	た人々がいたのである。




	エメラルドリゾート・ホテル

	芥屋大門を見てから、高尾さんは車を糸島半島の西の突端にあるホテルへ走らせた。ここでお茶を飲んでいると、開発
	部長、営業部長、そして社長まで我々のテーブルへおいでになり、先生は3人に私を紹介した。社長はケーキを振る舞
	ってくれて、ホテルは海を見下ろすこの辺りでは一番いい場所に建っている。
	
	所在地:(本社)〒819-1334 福岡県糸島郡志摩町大字岐志字岩野1513  エメラルドパーク 管理事務所内
                  TEL(092)328-2546(代) FAX(092)328-2548
	福岡市内より車で約1時間 。都市高速を経由すれば約40分である。地下鉄天神駅より30分、前原駅下車。前原駅
	からは無料送迎車(要、予約)にて15分。



ホテルの前から、さっきまでいた芥屋大門がポツンとまん中に見えている。




	ホテルから見る引津湾の右の方に姫島が見えていた。明治維新の歴史を陰で支えた尼僧、野村望東尼は慶応元年、姫島で
	流刑される。島の南西のかつての牢獄は今御堂として祀られ、望東尼の遺品が展示され、側には波乱の生涯を偲んだ顕彰
	碑が建っているそうだ。








	芥屋エメラルドパーク内のビラシリーズ・マンションは、エメラルド観光開発株式会社が造成販売している。志摩町唯一
	の高層マンションだそうだ。眼下には碧い海、そして緑の樹木に囲まれた羨望のロケーションにある。○○さんが別荘を
	買い換えようというので、社長、部長さんの案内で一緒に部屋を見せて貰う。浴室にはジェットバスとサウナが標準装備
	で、ここから玄界灘の景色を眺めながらのバスタイムは、さぞ素晴らしいものだろうなと思うことしきり。

	おいしい海の幸をお腹一杯ごとそうになって、糸島半島をぐるりと案内して貰って非常に楽しい1日だった。でも今回、
	先生の絵を見れなかったのは心残りかな。まぁ、またたくさんの絵を見る機会もあるだろう。ほんとに「青山茜雲美術館」
	でもできればいつでも見れるのだが。青沼先生、高尾さん、○○さん、今回もまたお世話になりました。
	ありがとうございました。



	先生とお別れして大阪へ帰ってほどなく、2005年3月21日に、大地震がここを襲った。私が生まれて以来、北九州
	で地震が起きるなど考えもしなかったが、この時の被害は甚大だった。海の向こうに見えていた玄海島の集落が壊滅的な
	被害を受けたことは既に報道等でご存知だろう。○○さんの別荘も壁が落ちたりしたそうだ。阪神淡路大震災も、それま
	で地震が関西で起きるなど誰にも予測できなかったし、もしかしたら日本列島は今非常に危険な状態にあるのかもしれな
	い。被害に遭われた方々には、心からお悔やみを申し上げます。