青沼茜雲先生 古希を祝う


	
	平成17年1月某日、先生から電話があった。
	「今、福岡市の西日本新聞社の16階ホールで展覧会をやっているから来ませんか?」という内容だった。この前、
	ルーブルでグランプリを貰った「日本の雅楽シリーズ」の別の一画が、今度はアテネ・ギリシアの展覧会でも大賞
	をとったので、それを記念しての展覧会で、「23日は夕方から新年会をやるそうなので、ぜひきてください。」
	という案内であった。昨年秋、故郷の秋月郷土館での展覧会にも案内をいただいたが行けなかったし、正月は帰省
	する予定と伝えていたが、それもダメになって帰らずお会いできなかったので、今回もお断りするのはちょっと気
	が引けた。日曜の夜なので帰りの時間が気になったが、4時からの宴会ということだったので、何とか最終の便に
	は乗れるだろうと判断して、先生に「参加します。」と連絡を入れた。
	


	
	そしたら、会場の案内看板には「青沼先生の古希を祝う会」としてあった。そうと知っていれば何かお祝いを持っ
	てくるんだった。私のHPが載ったこれまでの「季刊邪馬台国」3冊を差し上げたが、なんかみすぼらしいものを
	持って晴れがましい場所にいるようでちょっと落ち着かなかった。エレベーターを降りるとすぐ受付があって、個
	展会場までの廊下にもずらりと絵が掛かっていた。受付に、この前京都でお会いしたお二人(高尾さんと○○ルミ
	子さん(匿名希望))がおられて、久しぶりの再開となった。しかし、先生がもう古希になられるとは。驚いた。
	私の祖父は73で亡くなったが、先生に比べると全く「爺さん然」としていたけれども、青沼先生は全然若い。







見たかった雪の大宰府の絵があった。






それにしても金箔は赤い色に映えるなぁ。













この絵ほしいなぁ。



























会場に、先生がこれまでに貰った数々の賞のトロフィーが飾ってあり圧巻だった。





 



 

 



 





パーティー会場の、今回の受賞作の前で先生と。








午後4時半パーティーの始まり。先生は入り口に立って参列者を出迎えていた。なんか結婚式のようだった。

 

上右は先生の友人で大牟田市のピアノの先生、武藤さん。この日はボランティアで先生のために生演奏を買って出た。武蔵野音大卒。

 

 

 

お祝いの挨拶をする、九州大学副学長の有川さん。情報理論が専門だそうで、セキュリティーなど私の仕事とも関連がある。
手前左は基山のつつじ寺として有名な「大興善寺」の住職神原さん。その右後ろ姿は九州造形短期大学の谷口学長。



南京玉すだれの余興があった。側で金を叩いているのは高尾さん。



先生も登場して、仏様に後光が差している場面を演じていた。若いお姉さんが演者だったが流ちょうなもんだった。



	
	宴もたけなわになった頃、元TV局アナウンアサーの司会者と先生の掛け合いでオークションが始まった。会場に
	掛けてあった何点かの絵が、その場でオークションに掛けられ次々に売れていった。誠に残念な事に、私は飛行機
	の時間が迫っていたので、数点の競売が終わった所で会場を後にせざるを得なかった、明日の朝の部長会が無かっ
	たら最後まで参加できたのに。でもオークションがあるんだったら準備してくれば良かったかなぁ。もしかしたら、
	生まれ故郷秋月の絵もあったかもしれない。うう〜む、残念至極。

	祝辞のなかで何人もが話をされていたが、先生は絵を描くために、既に少年の頃に妻帯しないと決心したそうで、
	その絵に対する情熱には頭が下がる。確かに、家庭を持つと生活の大半は家庭中心になるのは仕方がないことなの
	で、先生の場合、家庭以上の存在が絵だったのだ。私が同席したテーブルの、隣に座っていたNEC関連会社にお
	勤めの、寺元さんの奥さんが、家には先生の絵が幾つかあって、さらにオークションでも何点か買われていたので
	驚くと、「先生の絵は眺めてると癒されるのよね。」と仰っていた。
	そうなのだ。先生の絵を見ていると心が癒される。芸術はそうでなくては存在の意味がない。先生は、御自身では
	家庭という、凡人が癒される場を敢えてもたなかったのだけれども、昨今の、とても家庭とは言えないような所帯
	が沢山ある事を考えると、あえて家庭を持つ必要性があるかどうかは疑問である。それよりも、多くの人に感動と
	癒しを与えて、その心を豊かにする道を選んだ先生の生き方の方が、はるかに素晴らしいものかもしれない。
	古希を迎えられて、ますますご壮健で、いつまでも、我々に素晴らしい美の世界を与え続けていただくよう祈りた
	い。先生、いつまでもお元気で! ご招待頂いてほんとにありがとうございました。またお会いしましょう。