A travel sketch in Chikugo 青沼茜雲氏訪問記



	
	平成15年(2003)8月、九州の実家に帰省した折、青沼氏の「天空を駈ける磐井」をどうしても見たかった。もし可能なら
	青沼先生にも会いたいなとは思っていたが、事前に何の連絡もしていないし、とりあえず絵を見るだけでもと太宰府へ出かけ
	ていった。実家をでる前に、ダメもとで先生のアトリエに電話してみたが誰も出ない。やっぱりかと諦めて家を出ようとした
	のだが、八女ではなく久留米の実家の番号をHPのinformation欄に載せていたのを思い出し、弟のPCを借りてここへアク
	セスし、電話してみた。応対して頂いた女性の方は、「さぁー、久留米に来ていることは来ているみたいですけどねぇ。」と
	いう返事だった。もし先生から連絡があったら是非連絡がほしいと、携帯の番号を伝えて太宰府へ向かった。

	ちょうど、高校2年生の姪(弟の子)のところに、大学生の彼氏が遊びに来ていて、福岡へ遊びに行くというので、彼氏の車
	に便乗して太宰府まで運んでもらった。実家から太宰府までは車で3,40分である。それにしても最近はすごい。高校2年
	で大学生の彼氏ねぇ。この姪の姉は大学生だが勿論彼氏が居るし、妹の子である姪達にも当然のごとく彼氏が居て、二十歳前
	後なのだが、もう泊まりに行ったり来たりしているらしい。えらく開放的な恋愛があちこちで進行中である。しかしそれでい
	いのだろうと思う。我々の時代が抑圧されていたのである。

	恋愛も許されず、ひたすら大学だけが人生の目的のような青春時代をおくった者達の現在は哀れだ。食事に行ったり、美術館
	に行ったり、映画を見たりというような女友達がいる中年のオッサンなどは数えるほどしかいない。これはおそらく悲劇だろ
	うと思う。勿論WIFEとそうやっていつまでも青春を謳歌できてれば言うことはない。しかし、そんなことをしている夫婦は僕
	の廻りには殆どいない。姪達には、歳食ってもいっぱい異性の友達を持っていてもらいたいものだと思う。

太宰府宝物館



夏の太宰府は冬ほどに人出は多くない。しかし夏休みで里帰りした人たちで結構賑わっていた。

 

	
	宝物殿入り口を入って入場料を払い、展示場に入るとすぐ右の壁に「天空をかける磐井」の絵があった。絵の具の厚さ、筆
	の運び等々を間近で見ると確かに油絵だ。鮮やかな朱に魅入られて、しばし動けない。宝物殿内は撮影禁止なので、こっそ
	り撮したせいであまり綺麗には写らなかったが、あの絵の具の乗りはなんとか記録しておきたかったなぁ。




 

展示物は、当然と言えば当然だが、菅原道真に関するものばかりだ。刀剣や木像など奉納品も多い。

 



	
	太宰府を出てラーメンを食べたくなったので電車で福岡市の天神へ向かった。新天町で本場博多のラーメンを食べて2,3
	友人に電話を入れたがつかまらなかった。連絡もしなかったし、お盆の最中でみんな忙しいのだろう。
	糸島へ行って遺跡を見ようか、福岡の叔父叔母を訪ねようかとも思ったが、思い直して甘木へ帰ることにして電車に乗った。
	天神から急行に乗れば20分程で朝倉街道である。ここから甘木方面杷木行きのバスに乗って、バスが動き出したとたんに
	青沼先生から電話が入った。

	帰省しているので、お暇なら是非会いたいと伝えると、昨夜は親戚中で麻雀をして朝までやっていた、今日は午後からは予
	定がないので是非会いましょう、と仰った。バスを甘木で降りて、心が急いていたのか、西鉄電車の甘木駅までタクシーを
	1メーターだけ乗ってしまった。甘木から久留米まで電車で40分ほどである。待ち合わせをした3時ちょうどに久留米に
	着いた。先生は既に弟さんとお待ちで、弟さんの運転で八女まで連れて行ってくれた。



広川町産業展示会館

 

	
	ここの一室に青沼先生の絵が数点掲示されている。入り口や階段から見える壁にも2,3点掲示されていて、楽しくなって
	来る。先生のヨーロッパ帰国後の、日本への回帰となった契機とも言える「日本の屋根と鳩」もここにあった。下はその前
	での青沼先生。



	
	この建物は広く久留米から八女あたりにかけての筑後地方の産業を紹介しており、久留米絣やその他の特産品が並べてあっ
	た。先生は売り子さんや職員さん達とはもう顔なじみで、こうやって何回も先生のファンを案内しているようだ。八女茶を
	お土産に買ってくれた。

 

 



この部屋には、ヨーロッパ外遊の成果の絵が何点かある。











茜雲ギャラリー(隆勝堂)

 

	
	ここは八女のお菓子舗「隆勝堂」である。ここの社長が先生の絵のファンだそうで、部屋の一室が先生のギャラリーになっ
	ている。我が秋月の絵もここにあった。ギャラリーはコーヒー飲み放題で、来客が勝手に飲めるよういつでも2つのポット
	のコーヒーが沸いている。おいしいコーヒーだった。先生はここでもお菓子のお土産をくれた。

 

 

 

	
	磐井の絵は、実物はポスターとはだいぶ色合いが違っている。青が基調の絵だと思っていたのに、実物は殆ど金色だ。先生
	に聞いたら印刷でだいぶ色が変わるという事だったが、それにしてもこれはなぁ。

 

	
	下が秋月の絵だ。私が先生を知るきっかけになった目鏡橋の絵があった。無理だとはわかっていたが先生に一応値段を聞い
	てみた。題名と号数が書いてある、絵の隅に挟んである小さな紙片の裏に先生が「井上さんなら、これで。」と書いてくれ
	たが、大幅に勉強した値段を書いてくれたのに、それでも「うぅ〜む。」とうなる金額だ。「まぁ、検討してみます。」
	「よろしく。」

	下右は同じく秋月の「杉ノ馬場」。名前と違って今植わっているのは桜で、4月になると満開の桜を見たくて近在からの観
	光客でごったがえす。

 

 





アトリエにて





	
	先生のアトリエは木々や竹に囲まれていて、家の前には道を挟んで大きな池があり、蓮が浮いている、昔は一つふたつだっ
	たのに、すっかり増えて花も咲くようになった、と先生。弟さんは「やめとけ、やめとけ」と反対だったが、先生は少しだ
	けならとアトリエの中も見せてくれた。しかし、その内容をここに書くのはやめておこう。

	弟さんが反対したのがよくわかる。先生、あれはイケません。私が近くに住んでいれば、ボランティアを募って手伝いに行
	きたいくらいです。



 

	
	たくさんお土産を頂いたのに、先生は私が一番好きな太宰府の絵を版画にしたやつまでくれた。金色の凄く高そうな額縁に
	納まった見事な版画で、大感激してしまった。こんなものを貰ってもいいのだろうかという気がしたが、欲しいという誘惑
	には勝てなかった。「ありがとうございます。」と先生の気の変わらないうちにと奪うようにして押し頂き、自宅に戻って
	早速玄関に掲げた。



	
	先日大阪の飲み屋で、「これはプレミアムが着いてて高いンでっせ。」と言われた、福岡県糟屋郡の光酒造という酒屋さん
	が作っている麦焼酎「夢想仙楽」。このボトルを包んでいる絵と、丸箱の絵と字も先生の作品だった。知らなかった。大阪
	の飲み屋では確か一杯が驚くような値段だったので飲まなかったのだが、銀座では1本5万円のプレミアムが付いていると
	も言う。先生はこれもお土産にくれた!

 

	
	計画してきたわけでもなく、お土産も持たずいきなり訪ねていった無礼なファンに、先生は随分とよくしてくれた。おまけ
	に一番気に入った絵の版画までいただいて、一体どうやって御礼をしたらいいのだろうと悩んでしまう。今回初めて見た絵
	もあって、来て良かったとつくづく思う。素晴らしい絵の現物をこの目で見られたし、先生本人は天性のネアカのようで、
	弟さんは自由気ままに生きてきた先生に対して、おそらくは尊敬と愛情を込めて、「我がええごつじゃもん。」(九州弁で、
	自由奔放とか勝手気ままという意味。)と表現していた。
	それにしても、あんなに素晴らしい絵の数々が、あのアトリエから産まれているということだけは、どうしても理解できな
	い。先生、掃除しましょう!