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科学する邪馬台国  
木の科学・木の年齢測定














世界で一番古いと考えられている樹木はどこにあるかご存じだろうか?

実は、世界一の巨木というのは全て北米大陸の太平洋岸にある。幹の直径の大きさ世界一だけは、メキシコ南部の町オアハカ(Oaxaca)にあるが、樹高世界一のレッドウッドも、世界一の巨木ジャイアント・セコイアも、樹齢世界一のブリッスルコーン・パインも、全てアメリカのカリフォルニア州にあるのだ。
左の絵は、樹高世界一のコースト・レッドウッドである。カリフォルニア州の北端、レッドウッド国立公園の中の小さな町オーリック(Orick)にある。左下の豆粒のようなのがあなたの身長だとすれば、いかに高いかが理解できるだろう。樹高111.4mあり、推定樹齢は2,000年。樹皮の厚さは30cmもあり、根の深さは4m、根の広がりは28m、幹の直径は6、7mというのがこの木のデータだ。この高さは35階建てのビルに匹敵する。
一体どうしてこんな高い樹木が生まれたのであろうか。その最大の理由はである。カリフォルニア中部からオレゴンにかけての海岸線は、冬雨が多く夏乾燥する。その夏の乾季をカバーするのが、海からの霧なのだ。霧のサンフランシスコという言葉で有名なように、この辺り一帯は、夏毎朝前も見えないほどの霧に覆われる。このあたりの気候は典型的な地中海気候なのである。この木の広く浅く張られた根の組織は、大量に水を吸い上げる。この木が一日に発散する水の量は1,900リットルと考えられている。 そこに、海からの霧も加わって水蒸気の飽和状態を作りだし、レッドウッドは自ら雨を降らせる力も持っている。

右の絵は、シェラネバダ山脈の南セコイア国立公園に生きているジャイアント・セコイアである。世界一の巨木とされているが、それは樹高ではなく容積である。実際に見た人の記録を読むと、こんなものが今も生きて呼吸を続けている生物だとはとても信じられない、とある。推定年齢2,300〜2,700年、推定重量1,385トン、樹高83.8m、根元直径11.1m、根元周囲31.3m、最大枝直径2.1m、推定樹皮の厚さ70cm、根の深さ1m、根の広がり30m、そして推定体積は1,486.6立方メートル。ジャイアント・セコイアの中で一番大きなジェネラル・シャーマン・ツリーと名付けられた木のデータだ。 この木を建材にすると、アメリカの平均的な5LDKの住宅40軒分になるという。1978年に折れたこの木の枝を測ったら、直径1.9m、長さが42mであった。カリフォルニアとは実に不思議な場所である。




ついでに樹幅世界一も紹介しておこう。下の写真は、メキシコシティから飛行機で1時間、オアハカ州の首都オアハカから15kmのエル・トゥーレ村にある、トゥーレ・サイプレスと呼ばれているスギ科の落葉樹の写真である。推定樹齢2,000年、根元樹幅14.85m、根元周囲57.9m、樹高42m、推定重量636.107トン、推定体積816.829立方m(幹のみ)というのがこの木のデータであるが、どうしてこのような木が育ったのかについてはまだ明らかになっていない。写真の左下で上を見上げている観光客の姿と対比すると、これはもう樹木というよりなにか怪物のようである。この木も、 見た人の体験では、巨大なコウモリ男がマントを広げてのしかかってくるようだ、とある、超ド級の迫力で声が出ない、とも書かれている。これが1本の木とはとても信じられない。







それでは、最古の樹木の話に入ろう。シェラネバダ山脈の東、ビショップ(Bishop)の町の近くにその木はある。先に紹介した三つの巨木と違って、ここは荒涼とした砂漠状地帯である。標高3,000mを越えても熱風と乾燥した空気が支配する。ここが、ブリッスルコーン・パインの生育地である。この木が世界一の長寿なのは、実はこの厳しい環境にこそその理由がある。アリゾナ大学のシュールマン博士が、年輪年代法(デンドロクロノロジー)の手法を用いてブリッスルコーン・パインの年輪を調べるまでは、長寿の樹木は巨木だと思われていた。何千年と年輪を積み重ねて巨木になると信じられていたのである。 しかしシュールマンは、「競争相手の多い、しかも大量の水分を必要とする低地の巨木より、むしろ標高が高く生育条件が厳しい環境にいる樹木のほうが、厳しいが故に環境への適応能力があり、競争相手も少ない事から、サバイバルゲームに勝ち残れる確立が高いのだ。」と考えた。(フォレスト・レンジャー、メアリー・ローンの話)シュールマンは、1953年以降、この地域で樹齢4,000年を越えるブリッスルコーン・パインを数本確認したが、1957年には樹齢4,723年を数えるものを発見し、メスセラと名付けた。これが、現存する世界最長寿の樹木として記録される事になった。この木の生きている場所は、保護の立場から現在公表されていない。
ブリッスルコーン・パインは決して巨木にはならない。大きくならないことによって長寿を得たとも言える。 この木は枯死しても、数百年の間は枯れることなく立ち続けている。倒木となってもなお数百年は、朽ち果てる事無く横たわっているのである。現代の科学者達は、この森のサンプルから、年輪年代法を用いて9,000年遡った年代データを割り出している。(9,000年前の木という意味ではない。年代年輪法については後述。)

メスセラを含むブリッスルコーン・パインのデータは、最高樹齢4,723年、生育標高2,900m〜3,500m(メスセラは3,030mに生育)、最高樹高18.3m(大抵の木は10mに満たない。)、最高根元周囲11.2m、平均樹齢1,000年。メスセラの年輪と世界の歴史を大雑把に対比したのが下の絵である。




パインツリー。世界最長寿の木。






紀州・高野山の奥の院を歩かれた方はご存じだと思うが、見事な高野杉並木の中に歩道が作ってあり、大名達の墓がその脇に所狭しと並んでいる。これらの高野杉は、いずれも樹齢1000年前後の見事な大木である。元々自生していた所に道を造り廻りに墓所を配したこの一帯は、戦国から江戸時代にかけての武将達の墓がひしめいており、これだけ名だたる侍達がいるのなら、夜な夜な亡霊達で関ヶ原の合戦を行えそうな雰囲気である。
織田信長、豊臣家に始まり、石田三成、本田忠勝、黒田勘兵衛、加賀の前田家、その他「えっ、こいつも!」というような、歴史物にでてくる人物の墓が次々に現れる。家康の次男結城秀康の墓所もあり、重要文化財に指定されている。
右の写真は、金剛峰寺の本院入り口の間に飾ってあるこの高野杉のディスク(輪切り)である。直径約3m程ある。推定樹齢7〜800年である。この部屋には、同じく推定樹齢5〜600年のコウヤマキのディスクも並んでいる。

樹木の年齢は、その年輪を見ればいいことは広く知れ渡っている。冬を越す毎に、堅い表皮が新しい細胞に覆われて成長していくからである。切り倒して、右のようなディスクになったものの年輪を数えれば、その木が何年生きてきたかが分かる。切った年が分かっていれば、遡ってその木の生まれた正確な年号まで判明する。
しかしまだ生きている樹木についてはその年代は全て推測となる。同じ種類の、できれば同じ産地の切り倒した樹木のディスクを参考に推測するのである。屋久島の屋久杉が推定1200年とか書いてあるのは、そうやって推測しているのだ。

考古学者にとって、年代を図る正確な物差しを手に入れる事は長い間の夢であった。遺跡から出土するものの絶対年代を知る、或いはその遺跡そのものの絶対年代を決定するには、何か書いたもの(文字試料)でも出土しない限り不可能である。遺跡の絶対年代を知る客観的な方法は、今のところ存在しないと言ってよい。土器の編年法は、あくまでも相対的な年代の違いを明らかにするだけであって、しかもその編年法には学者の主観が容易に入る得る。偉い先生がこうなんだ!と言えば、教え子や生徒はそうなんだと納得せざるを得ない。 炭素の同位体元素による年代測定も、現状ではまだまだ年代に開きがありすぎる。さまざまな科学的年代測定法が各分野で試みられているが、まだ決定的なものはない。
そんな中にあって、シュールマンが用いた年輪年代法という方法が、着々と考古学者の夢に向かってその歩みを進めている。樹木の年間の成長の量が、その年の気候と密接に関係している事は容易に想像できる。だとすれば、樹木の年輪の形成は、その年の平均の気温や降水量、日照時間といった要因をどこかに反映しとどめているはずだ。勿論地域により大きなバラツキがある事も計算に入れる。 そういう目で年輪を調べると、見た目には同じような年輪が、実は年毎にかなり大きな変異を持っている事が肉眼でも確認できる。この、年輪の幅の変異を利用して年代測定の「ものさし」を作れないか?というのが年輪年代法の発想である。20世紀の初め、米国の天文学者A・E・ダグラスによって考案されたこの方法は、その後ヨーロッパでも研究が進められ、現在では、建築史、美術史、気象学などの分野で必須の技法となっている。
我が国では、この方法に対して長い間批判的な意見が強く、欧米のめざましい研究成果に対してもそれを応用しようという学者は出現しなかった。乾燥した欧米だから取れる方法であって、湿気の多い地形の複雑な日本の樹木には適用できない、と言うのだ。奈良国立文化財研究所埋蔵文化財センターの光谷拓実研究員が、本格的にこの研究に着手したのは1980年である。日本こそ木の文化のまっただ中にいるような国なのに、どうしてそれまで挑戦する人が居なかったのかも不思議であるが、ともかく、現在では研究所総力をあげてのこの新しい試みは着実に成果をもたらしている。


光谷氏が集めた資料ディスク
光谷氏は、まず現生の伐採年が判明している樹木を用いてその年輪幅を測定する事から始めて、そのデータをコンピュータに入力していった。連日顕微鏡を覗き目を真っ赤にしながらのデータ採集が続いた。その結果、樹木の生長の絶対量には、個体や、生育環境、地域による差があるものの、「%」(比)に直すと、そうしたバラツキが排除できる事が分かった。自然対数(log)に直して比較してみると、その精度は更に鋭敏になった。つまり、年輪年代は、ある程度の地域差や個体差を越えた、普遍的な物差しとして使える事がはっきりした。「日本では難しい」の定説は完全に覆ったのである。 具体的な方法は、年輪幅をディスクの8方向から10ミクロン単位で測り、平均値を求め年輪幅の変動パターン・グラフを作成する、という途方もなく根気のいる作業である。発掘で出土した古材も計測し、次々と古い年代の試料へとパターン化が進んだ。
現在までの成果では、日本において広い範囲で物差しとなり得るのは、スギ・ヒノキ・コウヤマキの3種であり、1年刻みで年輪のパターンが判明しているのは、ヒノキで紀元前912年、スギで紀元前1313年、までに到っている。つまり、弥生時代から今日までのほぼ全てにわたっての物差しが完成した事になる。



それでは、これまでにこの物差しを用いて測定した成果にはどのようなものがあるだろうか?

・法隆寺五重塔心柱(ヒノキ)・・・再建されたものと判明。少なくとも法隆寺創建時の柱ではない事が判明した。
・紫香楽(しがらき)宮の年代・・・信楽町宮前地区からの掘立柱の年代が743年9月頃の伐採と判明し、記録の紫香楽宮造営開始年(742)年と一致した。
・山口県徳地町の阿弥陀如来像・・・台座に使われた木材の測定により、1196年頃の作と判明。ここのヒノキと東大寺南大門の仁王像が同じ材質でこの町のものである事が判明した。古記録の通りであった。

この他、

・古代の蝦夷対策の拠点だった秋田県払田(ほった)柵後出土のスギ材の年代決定。
・記録に残っていない富士山の噴火の解明。
・重要文化財の候補となっていた漆曲物容器の真贋判定。
・大阪府狭山池東桶出土のコウヤマキの年代測定。
・大阪府池上曽根遺跡の大型井戸跡から出土したスギ材の年代測定。


     

     

     




等々、輝かしい成果をもたらしている。この方法による年代測定が、考古学や歴史学に投げかけた波紋は大きい。ただ、まだ弥生遺跡からの遺物に適用された例が少ない。年輪のはっきりした試料が少ないのである。古墳の年代などは、どれか一つが判明すればイモづる式に分かっていきそうなだけに、早くきれいな試料が見つかって欲しいものだ。この方法は、考古学における年代測定だけでなく、噴火・地震などの災害史、或いは古気候学などにも応用され始めている。ブナやクリなどの広葉樹へのパターン化も開始されている。針葉樹に比べ年輪がはっきりしない広葉樹であるが、完成すれば、実に広い範囲にわたる物差しができあがる事になる。 光谷氏は、今後この方法を発展させ、例えば西暦1年の稲の生産高が分かるといった自然環境の復元にもチャレンジしたい、と語っている。



【補遺】 このページを UPLOAD して程なく、ある方から、世界一の樹齢をもつ木は屋久島の縄文杉であるというメールを頂いた。確かに、屋久島もすごい降雨量と9割を越す森林の島として世界に知られている。樹齢1,000年を越す杉を特に縄文杉と呼び、推定樹齢7,200年という木の存在も資料にある。昭和42年に紹介され、樹高25.3m、幹の太さ16.4mというデータがあるが、資料によるとこれが現在までに発見された最大の縄文杉という事になっている。 私も当初はこれが世界最古の樹木であろうと考えた。しかし、世界に登録された最古の木としての縄文杉の名前は、調べ得るどの資料にも無かった。アフリカ大陸の東南に位置する島マダガスカルに10年駐在していた私の従兄弟の話では、現地には10,000年前の木というのがあるそうだがこれは信じがたい。いずれかの機関に認定された、縄文杉が世界最古という資料をお持ちの方がおられたら是非ご連絡を賜りたい。
【平成10年5月作者記 webmaster@inoues.net】
















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