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科学する邪馬台国 X線で探る弥生土器の道
縄文・弥生・古墳といった古代の遺跡からは大量に土器が発見される。これまで、遺物の中でも土器は最重要のも
のであるとされてきた。その理由は、遺跡の年代を決定するのに土器の制作年代をもって判断してきたからであり、
現在でも多くの調査報告は土器を年代測定の最重要要素にあげている。従って、過去考古学が学問としての体系化
を目指しだした頃から土器の形状や模様や色・厚薄といつた項目について詳細な研究が続けられてきた。考古学の
世界では今なお新しい編年法や分類法が提示されている。
そもそも考古学においては、土器にしても鏡にしても、或いは銅鐸・銅剣・銅矛等の青銅器にしろ瓦や武具なども、
研究の対象にしようとすればまずやらねばならぬ事は、出土品の情報の収集とその分類である。極端な事を言えば、
考古学の大家というのは、大学の名誉教授や学長や偉い先生方も含めて、この情報を他に比べていかに多く持って
いるかという事なのである。
大きさや色や形で遺物を分類し、それをデータベース化して頭の中にたたき込む。あるいはハンドブックにして即
座に取り出せる。この能力に長けた人が、その道の権威と呼ばれるのである。
しかし一口に収集といっても事はそう簡単には運ばない。銅鐸はまだ全国で4〜500個だから可能かもしれない
が、鏡、更には土器や瓦は何十万点と出土している。これらの情報をあますところなく集成する事など不可能であ
る。ではどうするか?
今現在集まった情報だけで判断する、これである。これしかないのだ。学者によって遺跡の年代がまちまちであっ
たり、鏡の製作年代が千差万別であったりするのはその為である。つまり、研究者がそれまでに自分自身で集めた
情報に基づいて新しい遺跡や遺物を観察するのだ。当然の事として、保有する情報の量と質によって新規の遺跡・
遺物に対する分析結果が異なってくる。しかも、考古学や歴史学の一番やっかいな要素が更に加わる事になる。即
ち主観である。
これは自己の考えを主張し学者個人の個性をアピールするには有効だが、学問となると真っ先に排除せねばならぬ
ものであろう。勿論、あらゆるデータが全て客観性を持ち、不変の法則上にたった上での主観は大いに歓迎すべき
である。しかし歴史学、考古学においてはこの法則や定理がない。自然科学においては、道ばたのタンポポにして
も転がっている石ころにしても、全て学名なるものがついている。そして、それぞれの性質や成分等においては、
世界中の研究者達が共通の認識の上に立っている。その上で自己研究を進めるのである。しかし考古学はそうでは
ない。同じ一つの鏡をとっても、研究者が勝手にその呼び名を命名している。三角縁神獣鏡という呼び名は広く行
き渡っているが、それを細かく分類した時の呼び名は学者一人一人で違う。土器の分類においても、或学者はA式、
B式、C式といった分け方をし、或研究者はT式、U式、V式、W式などと呼ぶ。しかも全く同一の土器が、学者
によって異なる年代として区分されたりする。これらは果たして、学問として堅固な土台の上に立っているといえ
るのであろうか。歴史学はともかく、考古学を文学部に所属させておく事の意味がそろそろ問い直されてもいい時
期ではないだろうか?
さて土器についての研究であるが、先述したようにぼちぼち形状や大きさなどという形式による分類ばかりではなく、自然科学の力をかりて材質や製作産地の特定を行ってもいい時期である。奈良教育大学の三辻利一教授は、「エネルギー分散型蛍光X線分析法」という方法を用いて土器の科学的な分析を行っている。
土器の産地を知ろうとする場合、まず考えられるのはその材料即ち粘土である。焼いて土器を作るのに適した粘土はそこここにあるわけではない。現在でもいい土は窯元が争って入手している位だから、古代に置いてはいい粘土のとれる所が土器の生産地であったはずだ。従って、各地の窯跡付近の粘土を採集してその成分を調べておけば、発掘された土器の材質と照らし合わせて産地が特定できるかもしれない。
含まれる鉱物の種類や含有率で、或程度産地を特定できる可能性もある。しかし、土器はその製作過程において高温が加えられており、熱を加えれば殆どの鉱物は熱変成し(石英は変化しない)て、まるで異なる鉱物となる。そこで元素段階での分析が必要となってくるのである。
教授の用いている方法は、土器にX線を照射して発光するX線の波長を調べることにより、土器の化学的な組成をしろうとするものである。物質は、X線を浴びると元素によって異なる波長のX線を発光する。この性質を利用した分析方法である。
三辻教授はこれまでに、土器や粘度約6万点をこの方法で分析している。そして、弥生式土器より少し時代の新しい須恵器を用いての産地特定に成果をあげている。須恵器は、古墳時代に朝鮮半島から伝えられた土器で平安期まで用いられているが、初期(5〜6世紀)の窯跡はごくわずかである。中期以後の窯跡は全国至る所にあるが、初期の窯跡は、7,8カ所しかない。従って産地を特定するのには、初期須恵器の分析は
もってこいなのである。教授の分析の結果、以下のような点が判明した。
@ 東北・関東地方の粘土は、西日本に比べカリウム(K)、ルビジウム(Rb)が少ない。
A 関東においては、日本海側のほうが太平洋側に比べK、Rb が多い。
B 関東においては、沿岸部より内陸部にK、Rb が多い。
C 中部地方では、太平洋側を東へ行くごとにK、Rb が少なくなっていく。
D 山陰地方は、山陽側に比べるとカルシウム(Ca)、ストロンチウム(Sr)が多い。
E 四国の瀬戸内海に面した地方では、山陰・山陽に比べてRb、Kが少ない。
F 九州北部でも、佐賀・福岡・北九州という所はK、Sr が多いのに、少し南の窯跡がある甘木・朝倉
地方にはRb、K、Srとも少ない。
これらの違いは、当然地質が形成された時のマグマの成分にまで遡るのであろうが、少なくともルビジウム、ス
チロンチウム、カリウム、カルシウムといった元素達が、産地を特定するための元素として十分有効である事が
判明したのである。時には鉄(Fe)も有効な元素になる。更に詳細な判別が必要な時には、「中性子放射化分
析法」を用いてランタン(La)などの元素も測定される。これらの分析法は、現在では土器だけでなく、地層
中の火山灰の分析にも応用されている。
先述の、初期須恵器窯跡で現在発見されているのは、大阪陶邑窯跡郡(堺市)、猿投窯跡(名古屋市)、
朝倉窯跡郡(福岡県甘木市)、新貝窯跡(福岡市)、神籠池窯跡(佐賀市)、宮山窯跡(香川県三野町)、
大蓮寺窯跡(仙台市)などである。これらの各窯には化学的に明瞭な特徴があって、分析した須恵器は、ほぼ、
どの窯跡で生産されたかが特定できた。
大阪産と九州産は元より、隣接する北部九州内の新貝(福岡)と朝倉(甘木)、朝倉(甘木)と神籠池(佐賀)
なども完全に区分できたのである。
この方法は今のところ、窯跡が少ない須恵器でのみ実験されているが、弥生土器の判別にも十分応用できるはず
である。少なくともこの方法が、目でみた分類である編年法に加えて、科学的な土器の区別方法を付け加えたと
言っていいだろう。教授の研究についてもっと詳しく知りたい人には『古代土器の産地推定法』三辻利一著:
1983年 ニューサイエンス社刊をお薦めする。
邪馬台国大研究ホームページ/ 科学する邪馬台国 / X線で探る弥生土器の道