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八幡山古墳 2009.12.22 名古屋市昭和区山脇町



	出張で名古屋へ行った。鶴舞公園の前にある訪問先でのアポまで時間があったので鶴舞公園の中を歩いてみたら八幡山古墳という古墳
	に出会った。全く、マニアも歩けば古墳にあたる、である。




	鶴舞公園	出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

	住所 	愛知県名古屋市昭和区鶴舞1丁目 
	交通 	JRまたは地下鉄鶴舞線「鶴舞駅」下車すぐ 
	入園料 	無料 
	分類 	都市公園 
	面積 	23.7ha 
	駐車場 	247台(2ヶ所・普通車) 

	明治42年(1909年)に、名古屋最初の公園として開設された。翌年に開催が予定されていた第10回関西府県連合共進会の会場とすること
	を主目的として、また当時の名古屋に存在しなかった大公園を開設することも含めて整備された。なお、当地に立地された理由は、予定
	されていた新堀川整備に伴う大量の土砂の処理のために、当時沼地であった当地を埋め立てて整備するのが効率的と考えられたからであ
	る。
	共進会の終了した後も公園整備がすすめられ、動物園の開園(後に東山に移転)、図書館建設、普選記念檀(普通選挙制度の成立を記念)
	が名古屋新聞社(現・中日新聞社)より寄贈、名古屋市公会堂の建設(昭和天皇の成婚記念)と整備された。

	戦後の一時期は進駐軍が使用したため市民の利用は制限されたが、現在では全域が市民に開放されている。春から夏にかけては、桜、チ
	ューリップ、バラ、菖蒲、紫陽花と多くの花を見ることができ、4月〜6月にかけては花まつりが開催される。特に桜については、さくら
	100選に選ばれるほどである。
	開設当初は鶴舞という地名は存在せず、名称は「つるま公園」であった。後になって鶴舞の字が当てられたが、その後にできた隣接する
	旧国鉄の鶴舞駅(当初は臨時駅)や、昭和区内の町名がいずれも「つるまい」としたために、区別無くいつしかつるまいこうえんとも呼
	ぶ者が多くなった。例えば愛知県出身の山本正之が作詞作曲した「名古屋はええよ!やっとかめ」でも「つるまい公園に集まってよ」と
	歌われている。地元でもとくに拘りは無く、「つるまい公園はどこですか?」という観光客などからの質問も問題なく通じる。

	公園の西側は平らだが、公園の東側は緩やかな丘陵地帯になっている。公園の西中央付近にある鶴舞駅(JR鶴舞駅南口)から公園に入る
	と、正面に噴水塔が位置している。すぐ南に普選記念壇があり、公園のほぼ中央にあたる。その東に奏楽堂が位置し、東北に北花壇、南
	東に南花壇が広がる。その先は、竜ケ池や胡蝶ケ池などの池が点在する。北西の端にはテニスコートがあり、名古屋市公会堂が北端に位
	置する。入り口の南にはグリーンプラザ、その南に中央図書館があり、陸上競技場は勤労会館に面する南西の角、その東側には児童遊園
	を挟んで野球場があり、鶴舞(つるま)小学校と接する。




















	八幡山古墳 (愛知県)	出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

	八幡山古墳 
	所在地 愛知県名古屋市昭和区山脇町 
	形状 円墳(周壕あり) 
	規模 墳円径82m、墳高10m、周壕幅10m 
	築造年代 5世紀中頃 
	出土品 伝・埴輪 
	史跡指定 昭和6年(1931年)国指定 

	八幡山古墳(はちまんやまこふん)は、愛知県名古屋市昭和区にある古墳。5世紀中頃に作られた東海地方最大級の円墳である。八幡神社
	の祠が頭頂部にあったために、「八幡山」と呼ばれる。
	大正8年(1919年)鶴舞公園に編入され、昭和6年(1931年)5月11日に、国指定の史跡に指定された。第二次世界大戦中、陸軍により接収
	後に高射砲陣地が造られ、周囲の樹木は切られ頭頂部が削られた。戦後盛り土される。埋葬部検出の詳細不明。戦後名古屋市により整形・
	植林され、現在に至る。出土品は正式に発掘されていないため詳細は不明。伝聞による。形象埴輪、朝顔形円筒埴輪が出土したが戦災で失
	われたという。










	道路脇に小高く山のようになっているところがある。ここは一見ただの山のように見えるが自然にできたものではなく、東海地方最
	大の古墳の八幡山古墳である。1931(昭和6)年に国の史跡として指定され、戦前は埴輪などが採取されたらしいが、戦中は高
	射砲陣地設営のために樹木が伐採されるなど、戦中戦後の混乱で全て消失してしまった。古墳自体も戦後整形されたものの、昔の姿
	のままではない。そもそもの古墳自体はいつ頃に造られたものかはっきりとはわかっていない、5世紀中頃ではないかと言われてい
	る。














	東海地方最大の円墳「八幡山古墳」

	公園の東側道路を隔てた場所にある東海地方最大の円墳で、5世紀前半に名古屋台地を支配していた豪族の墳墓と推測される。昭和
	6年に国から史跡として指定された。直径82m、高さ10m、外周は幅10mの濠となっていて、当時は老松大木が鬱蒼と茂って
	いたが、昭和17年の高射砲陣地構築に伴い、砲撃の邪魔になるため伐採されてしまった。戦後、再び植林緑化され昭和57年から
	は緑地保全地区に指定されているが、昔の深く輝く緑には程遠いもののようである。一方、円周には桜が植えられていて、春は花見
	に訪れる人もいるという、隠れた桜の名所でもある。


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