Music: 大阪ラプソディ
帰 阪
2012年3月23日 熊本市 → 福岡市 → 大阪へ
林さんと別れた後、特急で友人の待つ福岡へ。上右は林さんとの別れ際に入った喫茶店(のような気がする)。
福岡で待っていた、高校時代の友人たちと放歌高吟。左から淵上君、一人置いて調君、林君、矢野君。矢野君とは「邪馬台国論客」仲間
でもある。彼の本「波濤万里、邪馬台に至る」の序文は私が書いたが、けしからん事に、こいつは邪馬台国畿内説である。
淵上君は新聞記者からFreeのライターに、調くんは新聞社関連会社の社長、林君は県庁役人を定年になって今県庁の嘱託、矢野君はIT
会社社長と、みんなそれぞれに生きている。たった3年間、人によっては1年間しか机を並べたことがないのに、40年以上たった今て
も、こうやって集まってくれる。同窓生のつながりは一生もんである。ありがたや、ありがたや。
淵上君顔が半分切れてゴメン、調君も写真ぼけてて申し訳ない。本人はまだボケてないよな。
翌 日
どうやら帰りもボンバルディアだったようだ。我ながら、好きだねぇ。
今回はプロペラの横の座席だった。
こうして見るとカメラのシャッター・スピードというのは凄いねぇ。回転しているプロペラの一瞬を写し取るのだから。
関空への橋が見えている。
「堺市古墳群」の上を飛ぶ。このあたりまで来ればジェット機でも古墳の形は分かるが、やはりボンバルディアの方が大きく見える。
事故の多いプロペラ機は、定刻に伊丹空港に無事着陸。やれやれ、今日も生き延びた。
HPをuploadしてその連絡を林さんへしたら、早速以下の写真を送ってきた。東京へ行ったとき写した写真だそうで、大阪上空を飛んだ
ときに写したもののようだ。 Caption、イケメンの写真などは勿論林さんの挿入だが、地図と照らしてよく調べている。私の自宅付近に
私の顔を入れてくれている。全くオヤジ・ギャグの権化やな。
阿蘇熊本空港にもボンバルディアは飛んでくるんだね。どっから来るんやろう、天草とか、あ、板付から来たりするんかな。
ジョン・トラボルタみたいに、私も自家用に一台ほしいねぇ。あいつは自宅に飛行場を持ってて自分でジェット機を運転するからなぁ。
私には無理やね。目が悪いので、子供の時から「お前はパイロットにはなれんぞ」と言われたし。ま、ジエット機買えても車輪1個
くらいやな。
トラボルタが保有するカンタス航空塗装のボーイング707-138B型「Jett Clipper Ella」(N707JT)
<ジョン トラボルタ>
子供の頃から航空会社の操縦士にあこがれていたという大の航空機マニアで、1974年に初めて航空機の操縦資格を取得してから、
2002年までの総飛行時間は5000時間を超え、「最初の給料は全て飛行訓練に消えた」と語っている。ボーイング747や707などの
大型旅客機を含む9機種の操縦資格を取得しているほか、巨大な滑走路のついた自宅には自家用機として2機のジェット機と数機
の軽飛行機がある。
2003年に映画のプロモーションのためにオーストラリアを訪問した際には、保有するボーイング 707を自ら操縦したが、空港で
ハンドリング業務を担当したカンタス航空の社員と意気投合したのがきっかけとなり、カンタス航空の親善大使を務めることに
なった。
2004年にはカンタス航空とタイアップした「Spirit of Friendship」ツアーにより、所有するボーイング 707をカンタス航空の
往年の塗装に戻した上、自らの操縦によりニュージーランド・シンガポール・香港・日本・イギリス・イタリア・フランス・ド
イツを訪問した。総飛行距離は64,700km。なお、このボーイング 707は、親善大使を務めているカンタス航空より1998年に購入
したもので、機首には「Jett Clipper Ella」と家族の名前を盛り込んだ愛称が記されている。
2010年1月26日、ハイチ地震 (2010年)支援のため、妻と一緒に、自らが操縦するボーイング707に、6トンの救援物資や医療薬品
と医療スタッフ、新興宗教団体サイエントロジーのボランティアの牧師を乗せて、ハイチまで運んだ。 [ウィキペディア]
2012年暮れ、林さんからお歳暮が来た。なにやら一杯入っていたが、その中に
「古代穀」があった。白米に混ぜて食べると旨い。林さんありがとうございました。
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