Music: 少年時代(井上陽水)
吉志部神社
2011年10月13日 吹田市紫金山公園






	JR岸辺駅から長い長い地下道をくぐって、北西へ1kmほど歩く。二の鳥居を抜けると大きな一の鳥居が現れる。もともとは産土神と
	して祀られたのが始まりのようだ。かつては300m続く参道には松が植えられていた。現在も数十メートルに渡り境内まで松並木が続
	く。






	吉志部神社	出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

	所在地   大阪府吹田市岸部北四 
	主祭神   天照大神など 
	本殿の様式 七間社流造 
	例祭    秋祭り「どんじ祭」 
	祭神   (中央座)天照大神、豊受大神 
		 (左座) 八幡大神、素盞嗚大神、稲荷大神
		 (右座) 春日大神、住吉大神、蛭子大神
	摂社    大川神社 ほか

	吉志部神社(きしべじんじゃ)は、大阪府吹田市にある神社である。JR岸辺駅から北に徒歩20分の紫金山公園内にある。本殿は、国の
	重要文化財に指定されていたが、2008年(平成20年)5月23日に火災により全焼した。
	創建時のことはほとんどわかっていない。社伝では、応神天皇の時代に大和国の瑞籬(しきみずがき)より奉遷して祀ったとされてい
	る。おそらくは平安時代にはあったと思われる。応仁の乱以降の戦国の時に壊滅的に焼失したが、朝鮮から渡来してきた吉志一族の末
	裔によって江戸時代に再建された。
	1610年(慶長15年)に建立された本殿は、全体が拝殿に覆われており、通常は見ることができない状態にされていた。1993年(平成5
	年)に重要文化財に指定されたが、2008年(平成20年)5月23日午前4時15分頃に出火し、全焼。この焼失の結果、2008年9月8日、重要
	文化財の指定が解除された。








	神社の創祀は社伝によれば応神天皇の時代に大和の瑞籬より奉遷してこの地に祀ったと言われている。当初は大神宮と称し、また七社
	明神、八社明神とも呼ばれてきた。明治三年の神仏分離に際して吉志部神社と改めた。当地は仁安二念(1167年)の『兵範記』と
	言う文書に「摂津国垂水東牧吉志部村云々」とあり。古くから吉志部と呼ばれていたようである。




	屋根には千鳥破風と軒唐破風、外の柱には彩色が施された七間社流造りの本殿は重要文化財に指定されていたが、2008年に焼失。
	2008/05/23未明、出火(報道によれば放火と見られる)により、国の重要文化財(建造物)であった吉志部神社本殿は全焼した。焼失
	後指定は解除されている。二日後の 5月25日、神社責任役人と氏子総代により、火災現場調査終了後に、焼失した本殿のあとに仮殿が
	急ごしらえで建設された。その後、文化庁の指示を得ながら焼失前と同様の七間社の社殿を建設することが決議され、2010年完成。




	吉志部神社の本殿は、慶長15年(1610)に吉志家次、一和兄弟の寄進によって建てられたもので、「吉志氏」の氏寺である。吉志氏
	の本貫は摂津国鴨下郡吉志部村(吹田市岸部)で、そこに吉志部神社がある。壬生氏が推古朝に置かれた壬生部に始まるとすれば、吉
	志氏はずっと早くから一族を成していたものと思われる。吉志は、吉士・吉師・岸と称され、高麗系の渡来氏族である。新羅の官位十
	七位の第十四位に吉士があることから新羅系とも解されるが、高麗をはじめ安倍氏とともに吉志一族が吉志舞を奉したと『北山抄』に
	ある。
	『新選姓氏録』には 吉志 難波忌寸同祖 大彦命之後也 となっている。吉士を名乗った氏族では難波吉士、草香部吉士、日鷹吉士、
	大国吉士など多くの名前が見える。『雄略紀十四年四月』に、大草香皇子(仁徳天皇の皇子)の名にちなみ、難波吉士日香香の子孫を
	大草香部吉士と言う姓を与えた記事がある。日鷹吉士は紀の国日高郡に在住していた一族、大国吉士は河内国石川郡にいたようである。
	『雄略紀九年二月』に、胸方神(宗像大社の神)を祀る為に凡河内直香賜と采女を遣わしたが、壇所に至りてその采女を犯し、難波日
	鷹吉士を遣わして凡河内直香賜を殺そうとした記事が見える。難波吉士が吉士の頭領のように思える。



焼失前の拝殿(上)とその内部(下)












	吉志部神社では、年2回(春と秋)例大祭が催され、境内には出店が出るなど賑やかになる。また、菊花献上祭が年1回催され、境内
	には菊和会の方々が育てた見事な菊が並ぶ。







南側から見た紫金山の(ほぼ)全景。




2010年1月1日 初詣


2010年元旦に初詣に行った。焼け落ちた本殿跡は無残な姿をさらしていた。





参拝は急ごしらえの拝殿で。



神社を焼くなんて、犯人は間違い無く 地獄行き だろう。







邪馬台国大研究 /遺跡巡り/吹田市・吉志部瓦窯跡