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藤原京ニュース














	大宝律令祝う旗?  藤原宮跡に支柱跡 続日本紀に記述	2008年6月28日16時59分 asahi.com


	 日本最初の都市計画に基づく都、奈良県橿原市の藤原宮跡(特別史跡、694〜710年)で、天皇が正月に臨んだ儀式で用いた旗
	「幢幡(どうばん)」を立てたとみられる支柱跡が見つかった。奈良文化財研究所が27日、発表した。「続日本紀(しょくにほんぎ)」
	では、日本最初の本格的な法典「大宝律令」が完成した大宝元(701)年の正月の儀式で「幢幡を立てた」という記述がある。これ
	に見合っており、律令国家成立時の重要場面を具体的に知る一級資料の可能性がある。 
	 天皇が執務した大極殿院の南門跡前の約1650平方メートルを調査。石を敷き詰めた広場が出土し、南門の南側30メートルで、
	東西に3メートル間隔で並ぶ支柱跡が8カ所見つかった。それぞれに、旗ざおを立てるため、さおの両側に付けた支柱2本を立てた穴
	(直径約30センチ、深さ50センチ)が二つあった。宮の真ん中を挟んで左右対称に並んでいたと考えられ、未発掘地も含め全体で
	13カ所あったと判断した。 
	 「続日本紀」は、文武天皇(683〜707)が大宝元年の正月、朝鮮半島などの国々の使節を迎えて開いた朝賀の儀で「正門に烏
	(う)(三本足のカラス)の幢(はた)を立て、左右に日月像や四神(青竜、朱雀、白虎、玄武)の幡が並んだ」と7本の旗の存在を
	伝える。「文物(学問や制度など)の儀、是(ここ)に備(そなわ)れり」とあり、本格的律令国家の完成を意識して記述したとされ
	る。 
	 同研究所は「続日本紀」との関連について「可能性はあるが、断定はできない」とみる。後の平城宮や長岡宮では、南門北側の大極
	殿院内から支柱跡が出土しており「藤原宮も朝賀の幢幡は南門の北側だったとも考えられる」としている。 
	 これに対し、飛鳥地域の遺跡に詳しい木下正史・東京学芸大特任教授(考古学)は「出土遺構と続日本紀との符合から、大宝元年の
	朝賀の儀の跡と見て間違いないだろう。本格的律令国家成立をうたい上げた世紀の祭典が目の前によみがえるような痛快な発見だ」と
	話している。 
	 6月30日〜7月2日の午前10時〜午後4時に発掘現場を公開する。雨天中止。 

	 
	藤原宮跡から出土した幢幡の支柱跡。手前(西側)から1列に並んでいた=27日、奈良県橿原市、高橋正徳撮影

	 
	藤原宮跡の大極殿跡(上方の森の部分)南側から出土した石敷きの広場(手前)。支柱跡が東西に8カ所並んでいた
	=奈良県橿原市、本社ヘリから、山本裕之撮影












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