Music: 悲しき雨音

飛鳥京跡157次調査・現地説明会 2007.2.11(日)










甘樫の丘から飛鳥川を渡って「伝板蓋宮跡」方面へ歩く。157次の飛鳥京発掘調査である。エライもんだ。




		田圃の中の農道とおぼしき道を歩いていく。人が大勢あつまっていて、発掘現場だとすぐわかる。天武
		天皇の宮殿「飛鳥浄御原宮(きよみはらのみや)」(672〜694年)の北端とみられる大規模な石
		組み溝が出土したのだ。




飛鳥浄御原宮跡説明会
現地説明会:2007年2月11日正午〜午後4時。




		発掘現場の前をす通りして、50mほど先の受付テントで資料を貰った上で、行列に並ぶ。全く飛鳥は
		見学者が多い。退職した団塊世代がどっと押し寄せるようになったら、こういう説明会などは一体どう
		なるのだろうか。甘樫丘は「独立行政法人 奈良文化財研究所」(元国立)、こちらは奈良県立橿原考
		古学研究所の主催。元国立と県立の対決、なぁんて、ちゃうか。共同で同じ日に説明会やってるし、縄
		張りはちゃんと決まってるんやろな。




		以下 「樫考研」HPの説明会案内より。

		現地説明会のご案内			更新日:2007年2月6日

		 下記の通り現地説明会を開催することになりましたので、ご案内いたします。

		明日香村 飛鳥京跡第157次調査 現地説明会

		【日 時】 2007年2月11日(日・建国記念の日)12時〜16時(小雨決行)
			  調査員による説明は随時おこないます。
 		【会 場】 高市郡明日香村岡・飛鳥 
		【内 容】 飛鳥京跡外郭に位置する東西方向の石組み溝およびそれに取り付く南北方向の石組み溝。
			  飛鳥〜平安時代の東西方向の溝。 
		【交 通】 近鉄橿原神宮前駅東口バス乗り場より、奈良交通バスにて所要時間23分、運賃230円。
			  飛鳥大仏前バス停下車、徒歩5分。
			  行き:近鉄橿原神宮前駅東口2番バス乗り場 23番バス近鉄飛鳥駅行き
				10:37発、11:37発、12:37発、13:37発、14:37発
			  帰り:飛鳥大仏前バス停 23番バス橿原神宮駅東口行き
				13:58発、14:58発、15:58発、17:00発  
		・周辺に駐車場は準備しておりません。公共の交通機関をご利用下さい。 
 







		飛鳥浄御原宮の面積は、持統天皇によって遷都された本格的な宮城である藤原京の中枢・藤原宮(6
		94〜710年)の約3割−半分とみられている。同宮は、天皇の住まいの内郭と役所の外郭からな
		る。外郭の東端からは石組み溝と、その5m内側に板塀跡が見つかっている。土地の形状などから、
		南端は内郭の南東で出土した「大極殿」遺構の南側、西端は飛鳥川と推定されている。今回の発見と
		合わせ、同宮は南北800m、東西100〜500mにわたって築かれていたとみられる。 






		今回の調査地は、飛鳥浄御原宮の正殿とされる建物跡の北500mの田圃約250平方m。見つかっ
		た石組み溝は幅1.7mで、東西方向に長さ13m以上、7世紀後半の築造とみられる。東西に伸び
		る溝より北の部分は、飛鳥時代より以前のものなので、飛鳥京があったときは、溝より北は更地だっ
		ただろうという。溝は同宮最大級の排水路で、西側を流れる飛鳥川につながっていたらしい。石組み
		溝の北側には、同時期の遺構が見つからないため、同宮の北端の可能性が高いという。 








		各NEWSは、「飛鳥浄御原宮の北端か、石組み溝出土」とか「飛鳥浄御原宮の範囲がほぼ確定した。」
		と伝えている。確かに、東端はすでに確認され、西端と南端も推定されていることから、宮の範囲が
		ほぼ確定したと言えるのかも知れないが、「樫考研」は、以前東端の石組みのときは塀も付随してい
		たが、今回はその塀がまだ見つかっていないので断定は出来ないと慎重な発表だった。







伝飛鳥板蓋宮跡



西本さんが板蓋宮跡に行ったことがないというので寄ってみる。途中で溝に前輪を大きく落とし込んだ兄ちゃんがJAFを待っていた。



これをちゃんと読めたらエラい。現物を見てもよくわからないのだから。文意ではなく文字が。





板蓋宮跡に立つ西本さんと橋本さん。





「雨に煙ぶる板蓋宮。」こういう表現がロマンチックで、飛鳥の見学会に若いお姉ちゃんが多いのかな。





下2枚はケータイの写メールで写した画像。こっちの方が鮮やかやね。画素はどっちも200万。





一杯飲んだ後写したどっかのイルミネーション。青色ダイオードが綺麗やな。





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