Music:雨降り

飛鳥京跡苑池遺構 第七次発掘調査(飛鳥京跡第173次)・現地説明会 2012.12.8(土)奈良県明日香村




	
	今年も飛鳥京跡の、苑池遺構発掘調査の記事が新聞に載った。前回が昨年の12月3日なので、丁度一年ぶりである。私は以下のように、
	過去三回この現地説明会を見に来た。昨年は2回もあったが、今年は一回だけのようである。今年は、過去発見された石像物への導水
	装置とも言うべき、水路の発見が目玉である。 従って南池の一番端っこを掘ればいいいようなものだが、なんと南池全体が露出して
	いた。初回に見に来た時と同じエリアがまた出現していた。



	
	雨が降りそうな予感がしたので、あべの橋駅のホーム内売店でビニール傘を560円で買った。案の定、近鉄橿原神宮前駅に着いたら、
	ポツリポツリと降っていて、歩き出したら本格的に降り出した。一瞬歩くのをためらったが、雨の飛鳥もまた良かろうと歩き出した。
	幸い20分程で雨は上がり、現説会場まで約一時間を歩いた。さすがに帰りはもう歩く気はしなかったのでバスに乗った。


	ガードマンの後ろにある看板が、矢印で左となっていたので左へ曲がったが、次の角にいるガードマンに聞くと、「来すぎてますよ」
	とまたこの交差点へ引き返した。この日は風が強く、まっすぐの矢印が左を向いていたのである。つまり上右の道をまっすぐ進めば
	良かったのだ。方角的にはまっすぐだと思ったが、受付が左の方にあるのかもしれないと曲がったのだ。ガードマン君、給料分働け。



着いたのは午後一時半くらいだった。朝から来て説明を聞いた連中が帰ってきている。




	
	おぉ見えた。池の中の島もまた出現している。雨が降ったからか見学者は少ない。後で聞いたら、「いつもは千人くらい来るんです
	けど、この雨ですから今日は5,6百人ですかねぇ。」との事だった。





今回新たに出現した飛鳥時代の柱跡と整地した跡。その向こうには中世(13世紀)の土坑、溝跡もあった。





飛鳥時代、池を見下ろすこの高台に何か建物が建っていた。柱跡からは邸宅では無く小屋か倉庫のようなものが考えられるとの事。



説明会場の入り口で、今回の(或いは今までの)出土品や過去の発掘調査の報告パネルを見る。







	
	私は密かに、ここは蘇我馬子の邸宅だったのではないかと思っているのだが、この出土品を見る限り、確かに時代が合わないなぁ。
	馬子の邸宅跡は、石舞台古墳のある「島の庄」と呼ばれる所にあったとされていて、私も数年前、その発掘調査の現地説明会を見に
	行ったことがあるのだが、あそこの池は非常に小さく池の中に島など作れそうでは無いし、実際見つかっても居ない。馬子は「嶋大
	臣」と呼ばれるほど、邸宅にあった島が有名だったと思われる人物である。ここからすぐの甘樫丘の麓には蝦夷と入鹿の邸宅跡もあ
	るし、これだけの規模なら馬子の邸宅に相応しい池では無いかと思うのだが。後で担当者に聞いても「うぅ〜ん、そうですけど、時
	代が違いますしねぇ」と言っていた。





















東より遺跡を見る








中の島。ここからマツの根が出土している。この島の中に大きな松が生えていたのである。



北より遺跡を見る
























西より遺跡を見る










南西より遺跡を見る




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南より遺跡を見る








展望台より遺跡を見る






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飛鳥での説明会にはこういう若いお姉ちゃんも多い。雨模様で無ければもっと来ただろうに。





	
	手前のテープ「北岸」とあるのが南池の北岸で、その向こうに「北池」がある。その間を繋ぐ水路も発見されている。その北池から
	更に北へ80mほど水路が延びていて、そこから直角に西へ折れて、水路は飛鳥川へ注ぐようになっていた。規模から言うと恐ろし
	く宏大な苑地施設である。一大臣である馬子にこれほどの施設が作れるだろうかとも思うのだが、もし馬子の施設なら、確かに「帝
	をしのぐ権勢」なのだが。





上2枚は、以前の(前回か、その前か)説明会に掲示してあった写真。なので「今回の調査区」とあるのは今日の分ではありません。





上下が今回の目玉。石造物群へ水を導いていた用水路施設「石組み暗渠」である。新聞のNewsを飾っていたのはここの写真だ。





	
	南の端に「飛鳥川の氾濫」とした石畳があった。

	「どうして氾濫と分かるの?」
	「石の並びがめちゃくちゃですし、少し南へ洪水の跡のような痕跡があるんですよね」
	「でも、飛鳥川がここまで氾濫するて、めちゃ大雨にならんと溢れへんのとちゃうの?」
	「いや今は飛鳥川深いですけど、昔はもっと浅かったようですよ」
	「あ、そうなん。やったら、そんな川の側にこんな施設を作るて、ちょっとアホっぽいね。」
	「ハハハ、でもやっぱり導水と排水が命ですからね。飛鳥川から引いてまた飛鳥川へ戻すわけですから、そんなに遠くには作れませ
	 んよね。」
	「なるほど」。

	以上、担当者さんとの会話でした。





	
	「石積み」となっている島の石が、幾つか赤茶けた色になっているのにお気づきだろうか。第一回の現説時にはみんな白い石だった。

	実は担当員に、「埋め戻すときはどうやって埋めるん?そのまま土をかぶせるん?それともビニールシートかなんか被せて、その上
	から土を盛るんかな?」と聞いたのだ。すると「いやぁ、ビニールシートを被せて失敗したんすよ。」という。「あそこの石が赤っ
	ぽくなってるでしょう。あれビニールシートに含まれている鉄分が付着したようなんですよね。」そうなんや!「だから今はシート
	はやめて、砂を盛ってるそうですけどね」。なるほど、そういう失敗談は全国に流れてるのかしらん。どこかで同じ失敗を繰り返し
	ているのかもしれない。



「それでは2時になりましたので今から説明をさせて頂きます」と説明担当者さん。若しかして新聞に載ってるのはこの人かな。



	
	説明はおおむね巻末の「現地説明会資料」の内容と一緒だが、幾つか書いていないことも話していた。

	一、整地跡に建っていた柱の跡は、その向こうの宮殿からつながっていて「塀」か、或いは池を見下ろした作業所(監視所)のよう
	  なものだったのかもしれない。
	一、東岸の石積みはめちゃ高く、一番高いのは3.5mくらいある。これは池が深かったわけではなくて、崖を強化する目的では。
	一、反対に池はそんなに深くなく、石積みの上部は見えていたはずなので、せいぜい数十センチくらいの深さだろう。
	  (従って、船などを浮かべて遊んでいた絵がどっかにあったが、そんな事はできなかった。)
	一、「底石の抜けた部分」という表示の所は、そこだけ石が敷いてなく、柱を抜き取ったような坑になっていて、南池の周辺を巡っ
	  ている。これは池全体を覆うような屋根を持った施設とか、或いは柱を立てて何かする施設があったのではないかと考えられる。
	一、底面の石敷きは二段になっていて、これは見た目を良くするためか、或いは何か他の目的があったのかはわからない。
	一、今回発見された導水の暗渠は、池の中の石造物へ水を供給するための施設だが、じつに巧く水が流れるように造ってある。飛鳥
	  人たちの石加工の技術が偲ばれる。
	一、導水施設から流れてきた水は、石造物の「石槽」と呼ばれる石の桶にたまるのだが、そこからその手前の噴水施設と思われる石
	  造物へは、水を上げなければならない。「石槽」と「噴水石」との間に、なにかサイフォンのような揚げ水の施設があったとも
	  考えられる。

	等々。





「ここにも抜き取り坑があります。」



「その坑はズーっとこちら側へ続いて、南池の周辺を巡っています。」



一部柱も残っていた。他にも柱があった事の物証だろう。敷石面が二段になっているのも良く見えている。





	
	「第1石」と「第2石」の間にサイフォンのようなものがあったのかもしれません、と説明する担当員。今日の説明は結構長く、あ
	ちこちへ移動して話してくれたし、説明会らしかった。13年前、初めてここの現地説明会に来た時は新聞に書いてあることしか喋
	らず、しかも5、6分位で「以上、簡単ではありますが、これで説明を終わります。」とやったもんだから、隣にいたオっさんは、
	「何や、ホンマに簡単やな」と悪たれをついていた程だったのだが。



(巻末の説明会資料より)

導水施設から噴水へ流れる途中の石が「酒船石」なのはご愛嬌やね。やっぱりここも斉明天皇の「狂心の渠(たぶれごころのみぞ)」なんかな。



東岸の石の下で、若いお姉ちゃん職員がVIDEOを撮っていた。大きくVサインをして手を振ろうかと思ったが、アホっぽいのでやめた。



	
	あまりに寒くて歩く気がしないので、「万葉館」の前からバスに乗った。ここにも橿考研の職員が居たので、「この前堺にニサン
	ザイ古墳の説明会に行ったけど、あそこは送迎バスが出てしかも無料やったで」と言うとニガ笑いしていた。バスを待つ行列に居
	たオッサンやオバハンたちもクスクス笑っていた。バスの後ろの竹藪の中が、酒船石のある所で、その麓が「亀ちゃん石」である。





	
	橿原神宮駅構内の「きはる」にて、今日は一人の反省会。いつもこっち方面へ来たときの例会は、反省会をここでやっているのだ。
	めちゃ寒かったので熱燗を一本飲んだら躰の中から暖まった。いつもはつまみばかり食べているが、今日は遅い昼食に「みやこ弁当」
	というのを頼んだら、天ぷら、刺身が付いて800円だった。安い! と思ったら、銚子一本(一合なし、七勺ぐらい?)に400
	円も取られた。








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