Music:旅愁

ニサンザイ古墳 現地説明会 2012.12.2(日)大阪府堺市







	ニサンザイ古墳:全長300メートル全国7番目「大王墓」説に手がかり 堺 (毎日新聞 2012年11月28日 大阪朝刊) 

	堺市北区の陵墓参考地、ニサンザイ古墳を発掘調査していた同市と宮内庁は27日、後円部の墳丘が従来の想定より約5メートル大き
	いことが分かったと発表した。未調査の前方部を合わせた推定全長は全国7番目になるとみられる。築造年代を5世紀後半と確定する
	埴輪(はにわ)も出土した。大王(天皇)とみられる被葬者を探る手がかりとなりそうだ。【最上聡】 
	大山(だいせん)古墳(仁徳(にんとく)陵)などの巨大古墳が集まる百舌鳥(もず)古墳群の東端にあり、宮内庁が皇族が葬られた
	可能性のある陵墓参考地として墳丘を管理している。周濠(しゅうごう)や外堤は市が管理しており、今年10月からそれぞれの管理
	区域を同時調査した。 
	市の周濠の調査で後円部の本来の端を検出し、直径が測量図による推定より5・2メートル大きいことが分かった。前方部も同様とみ
	られ、約290メートルとされていた推定全長は300メートル以上となり、全国7番目の渋谷向山(しぶたにむこうやま)古墳(景
	行(けいこう)陵、奈良県天理市)に並ぶ。宮内庁の調査では、墳丘最下段で築造時に並べられた円筒埴輪などが出土。築造年代が古
	墳群の巨大古墳では最も新しいことを裏付けた。 
	古墳群の中では、大山古墳、ミサンザイ古墳(履中(りちゅう)陵)に次ぐ大きさで、築造順も後であるため、仁徳天皇の子、反正
	(はんぜい)天皇の陵にあてる説の根拠にもなりそうだ。 
	一般公開は12月1、2日午前9時?午後4時。問い合わせは市文化財課(072・228・7198)。 
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	ニサンザイ古墳、全長は300メートル超 宮内庁・堺市教委調査 【日本経済新聞2012/11/27 20:14】 

	堺市北区にある前方後円墳、ニサンザイ古墳(東百舌鳥陵墓参考地、5世紀後半)を調査中の宮内庁と同市教育委員会は27日、墳丘の
	全長がこれまでの見方より約10メートル長い300メートル以上あることが分かったと発表した。 
	同古墳は世界遺産登録を目指す百舌鳥・古市古墳群の一つ。これまで測量図をもとに、渋谷向山古墳(景行天皇陵、奈良県天理市、300
	メートル)に次ぐ全国8番目の大きさとされていた。 
	同古墳の墳丘や裾を発掘するのは初めて。墳丘上を巡る円筒埴輪列や斜面を覆う葺(ふ)き石、祭祀(さいし)用とみられるミニチュ
	ア土製品なども見つかった。 
	同古墳は墳丘を宮内庁、周濠(ごう)を堺市が管理している。今回は両者が協定書を交わし、連続した調査区を設けて発掘中。同庁が
	今回のように地元自治体と連携して調査するのは2例目。 
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	堺のニサンザイ古墳、従来推定より10m長く (2012年11月28日 読売新聞・関西) 

	世界文化遺産の国内暫定リストに入っている堺市の百舌鳥(もず)・古市古墳群の陵墓参考地「ニサンザイ古墳」(5世紀後半、前方後
	円墳)について、調査した堺市と宮内庁は27日、古墳の全長が従来の推定(約290メートル)を超える300メートル以上とみら
	れると発表した。 
	調査では、後円部に接する濠(ほり)の底で墳丘の裾を確認し、これまで裾とみられた地点より外側へ5・2メートル広がることが判明。
	前方部も同様にひと回り大きいとみられ、全国8番目だった同古墳の全長が、7番目の渋谷向山古墳(約300メートル、奈良県天理
	市)を上回る可能性があるという。 
	墳丘では一列に並んだ円筒埴輪(はにわ)(直径約30センチ)なども出土、5世紀後半の築造年代が再確認できた。 
	現地公開は12月1、2両日午前9時〜午後4時。各日先着5000人で、古墳西側の御陵山公園で整理券を配る。少雨決行。問い合
	わせは堺市文化財課(072・228・7198)。 
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	ニサンザイ古墳で埴輪列出土  (中日新聞2012年11月27日 21時38分・共同通信配信による) 

	百舌鳥古墳群有数の前方後円墳として知られ、陵墓参考地に指定されている堺市北区のニサンザイ古墳(5世紀後半)で、巨大な墳丘
	をぐるりとめぐる円筒埴輪や葺石などが、築造当初を思わせる良好な状態で見つかり、同時調査していた宮内庁と堺市が27日、発表
	した。同庁と自治体の同時調査は、2008年の御廟山古墳(堺市)に次いで2例目。 
	墳丘脇に張り出したテラス状の祭祀場「造り出し」では、祭りに使ったとみられるミニチュア土器や形象埴輪も出土。大和王権の大王
	クラスの墓や葬送儀礼を考える手掛かりになりそうだ。 
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	ニサンザイ古墳、300メートル超えか 堺、国内7位に (朝日新聞2012年11月28日17時16分) 

 	【大脇和明】堺市の百舌鳥(もず)古墳群にある前方後円墳・ニサンザイ古墳(北区、全長290メートル)を同時に調査している宮
	内庁と堺市は、同古墳の築造時期が5世紀後半と分かり、墳丘全長も元は300メートルを超えていた可能性が高いと発表した。全長
	300メートルの渋谷向山古墳(奈良県天理市、景行陵古墳)を抜き、国内第7位の大きさになるとみられる。 
	ニサンザイ古墳は宮内庁が天皇や皇族の墓である陵墓の可能性がある「陵墓参考地」として管理し、一般の人の立ち入りは禁止されて
	いる。濠(ほり)の水によって削られていた墳丘裾を護岸工事することになり、宮内庁が墳丘を、堺市が陵墓参考地に指定されていな
	い濠の底や水際を調査した。 
	宮内庁の調査では、三段になった墳丘の最下段や、墳丘から突出した「造出(つくりだ)し」の上の埴輪(はにわ)の列、2段目の斜
	面に張られた葺(ふ)き石などが確認された。埴輪には円筒埴輪や朝顔形、蓋(きぬがさ)形があり、須恵器の甕(かめ)や土師器
	(はじき)の小型つぼ、ミニチュア土器なども出土した。埴輪や土器の形から、同古墳が築造されたのは大山古墳(仁徳陵古墳、堺区、
	5世紀中ごろ)より新しい、5世紀後半であることがわかった。 
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南海電車「中百舌鳥(なかもず)駅」を降りたら説明会会場行きのバスを案内する人が立っていた。



「幾ら?」と聞いたら「無料です」との事。これが奈良だったらぜったい有料やね。奈良の送迎バスは無料だった事が無い。



バスを降りて4,5分で説明会場に着く。今日は若いお姉ちゃん達も多い。おばちゃん達も居て、えらく女性が多かった。



ここで説明会資料(巻末掲載)を貰う。



大きな説明版が3つ立ててあって、それぞれが一つのグループになっていた。



ここはニサンザイ古墳の前方部堤防下に作られた公園である。ブランコや滑り台に混じって、埴輪のレプリカが点在している。



ここで説明を聞いて、終わったグループから古墳の見学に出発。古墳の廻りには広場が無いので、この公園を説明会場にあてている。




	ここで堺市の職員から古墳の概要、今回の調査の概要、結果等の報告を聞く。内容はおおむね新聞記事と変わらない。

	@.この古墳の管理は、宮内庁が後円部、前方部、堺市が周濠や外堤と分担して管理している。
	A.それぞれの管理域で、宮内庁が後円部の周堤を調査するという計画があったし、堺市も調査を行う予定だったので、それなら一緒
	  にやろうと、両者が協定書を交わし今年10月から合同の調査になった。
	B.墳丘上を巡る円筒埴輪列や斜面を覆う葺石が新たに見つかり、池の中になっている部分からもそれが発見されたので、後円部の墳
	  丘が従来の想定より約5メートル大きいことが分かった。
	C.未調査の前方部にも、同様に5メートル程外側に伸びていると思われるので、前方部を合わせた推定全長は300メートルをこえ、
	  (従来約290メートルとされていた。)全国7番目の大きさを持つ古墳になるとみられる。
	D.築造年代は出土した埴輪の編年から見て、5世紀後半と推定する。
	E.同古墳の墳丘や裾を発掘するのは初めてである。墳丘脇に張り出したテラス状の祭祀場「造り出し」では、祭祀用とみられるミニ
	  チュア土器や形象埴輪も出土した。
	F.外側にもう一つの外壕があった事は、後円部突端を除き、すべて堺市の発掘調査で判明している。
	G、埋葬施設の状況、副葬品、被葬者、すべて不明である。

	等々。






	古墳見学のコース。上記の@〜Cが発掘地点だが、見学時にはB部分は見えなかった。説明会会場(御陵山公園)の外廻り(薄く影に
	なっている部分)に二重目の壕があった。共同墓地になっているところ以外は、堺市が全部掘って確認したそうだ。



話を聞き終わり、グループ毎に古墳へ向かう。みんな写真を撮りながら進む。壕の中にはシラカギや鴨がいた。





上の説明板も書き換えなくてはなるまい。








	うまいこと見学用の足場や歩道が作ってある。壕の中に橋を作って、これだけ準備するのは大変だっただろう。係員にそういうと、
	「ありがとうございます。」と礼を言われた。堺市はいまこの「百舌古墳群」を世界遺産にしようと運動している(ノミネートは
	されているらしい。)ので、一般にその存在をアピールするのにやっきだ。それで送迎バスも無料だったのかもしれない。運動費
	の予算からバス代も出てるんだろうね。



それでもドッと渡ると心配らしく、橋を渡るのは20人づつだった。昨日は2千人、今日は今の所千人の見学者だそうである。





足が悪くて階段を上れない人の為に迂回路も準備してあった。まぁよく気の付くこと。






@現場











作り出しの上も埴輪列で埋め尽くされていたのだ。高槻の今城塚古墳と代わらないような光景があったのかもしれない。









普段は、ここは壕の水の中である。堺市は今回の調査に当たって、調査区の壕の水をみんな抜いたらしい。宮内庁もよく許したね。
















A現場







クリックしてください。



長い年月の間に、葺き石も埴輪列さえも土に埋もれてしまうとは。この土はどっから飛んできたんかねぇ。












C現場











葺き石の下まで埴輪が転げ落ちて来ている。




	葺き石の向こう側に木片が幾つか顔を出している。何かあったのかと思って係員に聞いてみたが、「材木が倒れて埋まったものでしょう。
	特に古墳の施設では無いようです。」との事だった。倒木の残骸か。
	こういうのは年輪年代法で調べないのかな。奈文研の発掘じゃ無いから無理か。奈文研は、他の機関には測定方法やデータを公表しない
	からね。

	「年輪年代法に疑念あり」

	東京都在住の歴史研究家鷲崎弘朋氏は、「奈文研の光谷拓実氏が作った標準パターンには誤りがあり、640年を境として、それ以前の
	モノサシが100年古く狂っている。「標準パターン」の接続に誤りがあったのかも知れない。」と主張している。その論旨は関東圏な
	ら講演会で聞けるが、地方の人は「季刊 邪馬台国」(福岡市梓書院発行)を読めば何号かに分けて幾つか論文が載っている。
	鷲崎さんは、年輪年代法は手法としては科学的なのであるが、基礎データが公開されずいわばブラックボックスから出された結論には従
	えない、と主張する。その真偽は私には分からないが、光谷氏以外に科学的妥当性を検証していないというのは確かに信頼性に欠けるし、
	何かこころもとないのは確かだ。下は、2009年5月に、宇佐神宮で講演したときの鷲崎さんと私










壕のずーっと上空に、飛行船が一機飛んでいたが写真には写っていない。銀色だったので空気の色に溶け込んでしまったのだろう。





対岸の墓地のあたりから古墳と発掘現場を写しながら戻ってゆく。大王の墓は宏大だが、庶民の墓は今でも密集地にひしめく。









飛行船はこの古墳の廻りをぐるーっと一回りしているようだ。



最初に見た@の現場を対岸から。こんなに汚れた壕の中にもサギの餌になる魚がいるんだねぇ。



堤防の上と下で、今から見学する人と戻ってゆく人がすれちがう。




	まだ出土物を見ていないので、元の説明会会場へ戻る。帰りのバスの中での話を聞いていると、ここからまっすぐバス停へ戻って展示物
	を全然見ていない人が何人かいた。「え、そんなんどこに飾ってありましたん?」とか言っている。ちゃんと説明を聞いていないんだね
	ぇ、まったく。説明会なのに説明を聞かなかったら何しに来たん? 



前方部北西から見たニサンザイ古墳全景。クリックすれば大画面になります。(大画面はウィキペディアより)






	まだ今から説明を聞く人もたくさんいる。今朝天気予報で、大阪の降水確率は午前中10%、午後から50%と言っていたので、
	慌てて9時頃家を飛び出してきたのだが、終了して丁度正午である。「早ぅ廻らんと、雨が降ってくるでぇ−」
	堺で食事して、家に四時前に帰り着いたが、その頃吹田にも雨が振ってきた。





上の写真の、右端の歩道あたりに二重目の壕があったようだ。

































































	土師ニサンザイ古墳	出典:ウィキペディア

	土師ニサンザイ古墳
 
	位 置 : 北緯34度32分49秒 東経135度29分55秒
	所在地 : 大阪府堺市北区百舌鳥西之町
	形 状 : 前方後円墳
	規 模 : 全長290m
	築造年代: 5世紀後半
 	特記事項: 東百舌鳥陵墓参考地

	土師ニサンザイ古墳(はぜ-こふん)は、大阪府堺市北区百舌鳥西之町3丁にある前方後円墳で、百舌鳥古墳群の南東の端に位置する。
	墳丘は3段構築で全長は約290m、後円部の径は約156m・高さ約24m、前方部の幅は約226m・高さ約22.5mで、前方部を西に向けており
	左右に造り出しがある。日本で8番目の大きさとなっている。現在の周濠は一重だが、二重目の濠が一部確認されている。。
	”ニサンザイ”は”ミサンザイ”すなわち”ミササギ(陵)”の転訛したものと考えられており、宮内庁が「東百舌鳥陵墓参考地」
	に指定しているものの、天皇は埋葬されていないものとされている。同じ百舌鳥古墳群の田出井山古墳が反正天皇陵に比定されてい
	るが規模が小さいために、こちらを反正天皇陵とする説がある。5世紀後半の築造と考えられており、百舌鳥古墳群の大型古墳の中
	では最も時代が新しい。
	陪塚は3つ以上あったとされるが、大阪府立大学中百舌鳥キャンパス(大阪府堺市中区学園町)構内にある聖塚のみが現存している。
 
	交通アクセス  南海高野線 中百舌鳥駅 徒歩18分 大阪市営地下鉄御堂筋線なかもず駅 徒歩20分













   邪馬台国大研究ホームページ/遺跡めぐり/ニサンザイ古墳・現地説明会