Music: Night

2001.5.4(金) 歴史倶楽部例会第50回記念「鳥取の旅」



鳥取で弥生人の脳見つかる!

驚き!1800年前の脳組織! 2001年4月16日


	4月24日から5月20日まで鳥取市の鳥取県立博物館で一般公開された。連休の5月4・5日、歴史倶楽部の有志ででかけて行
	った。昨年「妻木晩田遺跡」を見に行ったとき泊まった民宿にまたお世話になった。弥生人の脳など、見ようとしても見れ
	るもんじゃない。見た感じは、何か蝋細工の大きなクルミのような感じだった。結構形になっている。佐原真・国立歴史民
	俗博物館長ではないけれど(後記 asahi.com参照)、この中の記憶をMEMORYから読み出すみたいにして取り出せたら、一体
	どんな弥生社会の出来事が記録されていることだろうか。ここでのREPORTは、この脳が出土した鳥取県青谷町の「青谷上寺
	地遺跡」(あおやかみじちいせき)を訪ねての訪問記である。






	青谷上寺地遺跡で弥生人の脳出土  <2001年4月17日 山陰中央新報>

	
	 鳥取県青谷町青谷、青谷上寺地遺跡から出土した弥生時代後期後半(約千八百年前)の頭がい骨三点から脳の一部が確認
	され十六日、同県教育文化財団と、鑑定した井上貴央・鳥取大学医学部教授(解剖学)が発表した。遺跡から古代人の脳が
	見つかるのは珍しく、日本最古の出土例。今後、分析によって核DNAを抽出できる可能性もあり、実現すれば世界で二例
	目となる。DNA分析が成功すれば、弥生人の系譜、形態や病気について多くの情報が期待され、日本人のルーツを解明す
	る貴重な手掛かりとなる。
	 井上教授によると、このうち二体分は壮年の男性と女性で、脳全体の四分の一−五分の一が残っていると推定。他の一体
	の壮年男性分は残存量が少なく、細片化していた。
	 このうち、約五分の一が残っていた壮年男性の脳は、大脳の左右前頭葉の部分で、残存量は一〇センチ×八センチ×四・
	五センチ大で重さは約二百三十グラム。スポンジ状になっていたが、脂質は残っている。壮年女性の脳は、一〇センチ×一
	三センチ×五センチ大と四分の一が残り、重さ約三百グラム。部位は不明。いずれも現代人の脳と比較して、形態学的な相
	違は認められないという。
	 古代人の脳が残っていた例では、アメリカ・フロリダ州の湿原で一九八二年、七千−八千年前の人骨百六十七体のうち、
	九十一個の頭がい骨にミイラ化した脳組織が残存し、DNA抽出に成功。アメリカインディアンと現代日本人が共通の祖先
	を持っていたことが、遺伝学的に証明された。このほかイギリス、ドイツの泥炭地などから千七百−二千年前の脳が見つか
	っているが、DNA抽出には成功していない。
	 今回の発見について、井上教授は「気温の低い季節に死亡し、粘土質の土や水(湿地)の中に急速に埋没したため酸欠状
	態となり、腐敗を免れたのではないか。何とかDNAを抽出したい」としている。

	弥生人骨を大量に保存、研究している山口県・土井ケ浜遺跡人類学ミュージアムの松下孝幸館長は「軟組織である脳が残っ
	ていたことで硬い人骨よりDNAが抽出しやすい。今後の情報に期待したい」と話している。
	発見された脳のうち壮年男性の一体分は、二十四日から鳥取市の県立博物館で開く青谷上寺地遺跡速報展で公開する。 




	●古代の脳 氷温で後世に 青谷で出土  <2001年4月17日 asahi.com>

遺跡の価値再認  24日から一般公開 展示ケース特注  約2000年前の人の脳が残っていた――。16日に明らかになった青谷上寺地遺跡からの脳の出土は、遺物の量や保存 状態の良さから弥生時代のデパート」と全国に名をとどろかせる同遺跡の価値を改めて示した。全国で唯一の貴重な資料の 保存は、県内で生まれた氷温技術にバトンが渡された。 「これは大変なことになった」。鳥取大医学部の井上貴央教授が頭骨の底にある穴(大後頭孔)からわずかに見える脳組織 に気付いたのは昨年6月8日夜。豆腐のような柔らかさで、変質もしていなかった。興奮を静めるため、雨の中を散歩に出 かけたという。 使われていた姿そのままの銛(もり)、精巧な骨角器の剣、国内最大級の板……。これまで同遺跡で見つかった遺物はいず れも考古学の常識を覆す良好な状態で出土している。発掘の調査指導にあたり、すべてを目の当たりにしてきた工楽善通・ アジアユネスコ文化センター文化遺産保護協力事務所研修事業部長も脳の発見には「こんなことが本当にあり得るのか」と 驚きを隠さない。    ◇  ◇  世界でも類例が少ない古代の脳。課題の1つは、保存状態の良さをそのまま後世に伝えることだ。海外で見つかった脳は いずれも凍結やホルマリン漬けなどの方法で保存されており、時間の経過とともに組織の損傷やその後の研究への影響が避 けられない。  井上教授が採用したのは、ものが凍る直前の温度に保つ、県内で生まれた独自の技術「氷温」だった。数年前から、解剖 した臓器の保存法として研究していたため、研究室に氷温庫があった。腐敗や細胞の損傷が最小限に抑えられ「現時点では 最良の保存法」という。  「ガラス張りの氷温庫を作ってほしい」。11月末、井上教授から県を通じて、三洋電機(本社・大阪府守口市)に脳を 一般公開するための展示ケースが発注された。 ガラス張り氷温庫の開発は、発表前のため、群馬県大泉町にある工場で内 密に進められ、かかわったのは人だけ。湿度を高く保つ必要があることから、全体をガラスで覆う試みは早々にあきらめた。 前面をガラス、残る面をステンレスで囲んだ幅105センチ、高さ155センチ、奥行き60センチの展示ケースが4月初 めに出来上がった。内部の温度は約0度、湿度は80%以上に保たれる。同社は「世界に1台だけ」と胸を張る。    ◇  ◇  24日から一般公開される脳が残っていた頭骨には、刀か、やじりによるものと見られる4カ所の殺傷痕があった。死亡 時は、中国の史書「後漢書」東夷(とう・い)伝に記された「倭国(わ・こく)大乱」の時期にあたると見られ、この戦乱 の犠牲者だった可能性がある。  佐原真・国立歴史民俗博物館長はこう言う。「脳は、その最後の瞬間を覚えているのでしょうか」 「貴重なもの 胸ワクワク」 片山知事が感想  青谷上寺地遺跡から弥生人の脳が見つかったことについて、片山善博知事は16日、「貴重なものが残ってくれていたと、 胸がワクワクした。学問的な成果に期待している。古代の生活、イメージを変えるのではないか」と感想を述べた。青谷町 と協力しながら既存施設を使った出土品の展示などを進めるという。 知事は「個人的な考え」と前置きしながらも、「調査地だけを掘って様々な出土品がある。可能なら周辺も発掘して当時の 状況を詳しく知りたい」と今後、発掘地域の拡大も含めて、同町と検討を進める考えを明らかにした。 (4/17)


	2001年4月16日(月) 10時58分 

	鳥取県で弥生人の脳が出土=1800年前のもの、世界的にも異例
	 (時事通信) <2001年4月16日 yomiuri.co.jp>

 鳥取県青谷町にある弥生時代の集落跡の青谷上寺地(あおやかみじち)遺跡の調査を進めている鳥取県教育文化財団は 16日、出土した頭がい骨の中に、一部の細胞組織の形が保存されている脳が残されていたと発表した。一緒に出土した土 器から、頭がい骨は弥生時代後期後半(2世紀代)の1800年以上前のものとみられる。日本で同時代の脳が発見された のは初めてで、世界的にみてもほとんど例がないという。細胞組織内の核に含まれるDNAの状態が良ければ、現在の日本 人と弥生人を遺伝子レベルで比較できる可能性も出てくる。これまで同遺跡から出土した人骨は約5千点(少なくとも92 体分)あり、うち頭がい骨3点に脳が残っていた。同財団は脳を凍る直前の温度で保存する「氷温技術」で保管し、DNA 分析などを実施する。同財団は「同遺跡で生活していた人と他地域の類縁関係や、弥生人の系譜を明らかにしたい」として いる。 [時事通信社 2001年 4月16日 10:58 ]







	青谷上寺地遺跡は、鳥取市と倉吉市のほぼ中間、鳥取県青谷町(あおやちょう)にあり、JR山陰線「青谷駅」から南に300m
	のところである。1kmほど北へいけばもう日本海だ。この空中写真を見ると、丁度建設される道路と交差するように遺跡が
	発掘されている。低湿な土壌に埋没していた関係で、有機質のものが良好な状態で残っており、当時の生活道具が多く伝え
	られているところから「弥生の地下博物館」という声もある。




	この遺跡は「山陰横断自動車道」の建設地にからんで発見され、1998年から発掘調査が行われている。弥生時代の中期から
	後期のおびただしい数の人骨のほか大量の農具や漁具なども出土しているが、何と言っても耳目を集めたのは「弥生人の脳」
	である。今後のDNA鑑定などが期待されている。

 














 


	脳の発見場所はもう埋め戻されてしまっているが、すぐ近くを大々的に掘っている。近所の人の話では「さぁ、ここからは
	たいしたもんはまだでてないんじゃないかのう。」


 


	新聞記事は「弥生人の脳」に関して大々的に取り上げているが、勿論この遺跡からは他の遺物も出土している。典型的な弥
	生時代の出土物(土器や木工製品など)の他にも特筆すべき点がいくつかある。報告では、集落の廻りに幾つかの溝があり、
	溝は矢板列を伴うもので一部に通路かと考えられる区画がもうけられており、その周辺からト骨、鳥形木製品などの祭祀に
	関連した遺物が多く出土している。また、鉄製品、青銅製品、木製品、骨角製品なども出土しているし、微高地の東側区画
	の調査では、やはり溝の肩から矢板列が確認されていて、溝の中から大量の人骨・建築部材が出土した。


 


	なかでも注目されるのはおびただしい人骨で、弥生時代後期(2世紀頃)の人骨約5200点、少なくとも90数体分が出土
	した。遺跡では人骨がバラバラに散乱していた。出土した人骨には殺傷痕のあるものも多く、殺傷痕は性別、年齢を問わ
	ず、胸骨、背骨など人体の前後も問わずに残っているという。また、この弥生人達は、遺物や骨の形などから判断して、
	渡来系の可能性が高いと考えられている。この事から「何らかの大量殺人の跡ではないか」とか、「特殊な儀礼が行われ
	たのか」、「攻めてきた渡来人たちの死体をここに埋めたのではないか」という意見もある。

 


	青谷上寺地遺跡は湿地帯で酸性土壌と異なり、水分が多かったのと粘土質で空気が遮断されて真空パック状態だったため、
	数多くの遺物が良好に保存されてきたが、極め付きが3体の頭がい骨から見つかった今回の脳である。脳を発見した鳥取大
	医学部、井上貴央教授によれば、この遺跡の泥にも脳の保存に役立った秘密が隠されているかもしれないとのことである。

 

 


	今後あらゆる方向からこの脳の解明作業が行われるだろうが、DNAがうまく取り出せれば、青谷の弥生人がどこからやっ
	てきたのかが特定できる上、弥生人の渡来のルート、今の鳥取人との関係など、私の持論である「環日本海古代国家」の起
	源に関する情報も、多くもたらされるかもしれない。

 






	その後この遺跡の続報NEWはないかと目をこらしていたら、こんな不名誉な記事を見つけた。おそらくこの発掘現場近くの
	工事に絡んだ不祥事だろう。発掘作業の裏には、こいうドロドロとした現世の営みもまたあるのだ。

	鳥取県の発注が丸投げを助長 国交省、異例の申し入れ

	鳥取県が発注した道路工事をめぐり、ゼネコンや地元業者などが建設業法に違反する丸投げ(一括下請け)にかかわってい
	たとして、国土交通省と同県は1日、計14社を7〜22日間の営業停止処分にした。県は元請けの8社が施工能力がない
	ことを知りながら入札に参加させていた。同省は県の発注方法が丸投げを助長したと判断し、県に適切な発注を求める異例
	の申し入れをした。

	同省によると、県は99年、同県青谷町の県道の地盤を改良する工事を8工区に分けて発注。地元業者を指名しての競争入
	札で、8社が計5億100万円で受注した。しかし、この工事はセメントを地中に噴射する特殊な工法で、8社中7社には
	施工能力がなかった。8社は東洋建設、三洋(いずれも本店・大阪市)などに工事を丸投げし、一部工区はさらに小野田ケ
	ミコ(東京)に丸投げされた。また、不動建設(大阪市)は子会社のフドウ技研(東京)が丸投げをしていることを知りな
	がら、虚偽の書類を提出していたという。
	元請け8社は技術者を現場に派遣していたが、同省は「本体工事にかかわっていなかったので、丸投げにあたる」と判断し
	た。こうした複雑な下請けが繰り返された結果、計約1億7000万円が余分に支出された形になったという。
	業者に対する処分とあわせ、同省は県に対し、再発防止に向けて「競争参加資格の適切な設定」を申し入れた。県土木部は
	「元請け業者は施工能力はなくても、工事の管理はできると判断していた。今後、業者選定は施工実績などをより十分に検
	討して進めたい」と話している。  	(2001.6.1 11:08 asahi.com) 




 








	集団埋没後掘り起こす 出土脳にDNA
	--------------------------------------------------------------------------------
	鳥取県青谷町の青谷上寺地遺跡で見つかった殺傷痕のある弥生時代後期の人骨は、溝に捨てられたりしたのでなく、戦闘の
	後に一カ所に集めて埋葬された後、人為的に掘り起こされた可能性が高いことが、鳥取大学医学部の井上貴央教授(解剖学)
	の調査で七日までに分かった。殺傷人骨の異常な出土の謎や、弥生時代の戦いの状況解明につながる貴重な研究となる。ま
	た発掘された弥生人の脳にDNAが含まれていることが判明し、今後、分析を急ぐ。
	同遺跡からは約六千点、約百三十体分の弥生時代の人骨が出土。このうち弥生時代後期後半(二世紀ごろ)の溝から二〇〇
	〇年五月に約五千三百点、百十体分ほどの人骨が散乱状態で見つかり、そのうち百十点、十体分には武器で付けられた殺傷
	痕が確認された。この中からは弥生人の脳が三点見つかっている。
	埋葬施設以外でバラバラな状態で出土するという異例の状況が「敵兵の死体を溝に捨てた」などさまざまな推測を呼んだ。
	これに対し井上教授は、大たい骨や上腕骨など形状から同一人物のものと分かる一対の骨がどこにあるかを調査。その結果、
	五b四方の範囲に上腕骨十八体分、距骨(きょこつ、足首の骨)十四体分などが密集した状態で左右対で確認された一方、
	五、六b以上離れた場所から同一人物の骨が見つかる例も多いことが判明した。
	また死体が地面に野ざらし状態で長期間放置された場合、犬などがかんだ跡が人骨につくのが普通だが、同遺跡の人骨には
	全くついていなかった。クワのようなもので一部が削り取られた頭骨や、くいを上から打ち込まれて砕かれた頭骨もあった。
	これらの状況から井上教授は、死んだ直後に狭い場所にまとめて野積み状態にされ、土をかけて埋葬された後、白骨化した
	ころに何らかの理由で人為的に掘り起こされ、一部の骨が散乱したと判断した。
	さらに生まれて一カ月もたたない新生児の骨三体分が殺傷人骨に交じって出土。戦闘時に出産直後の子どもが複数いるのは
	考えにくいことから、この区域は元々、死者を埋葬した墓域で、そこに戦闘で大量に死んだ人たちを埋めた可能性があるこ
	とが分かった。
	また一歳から十歳までの子どもの骨が全くないことから、子どもが戦闘に巻き込まれず逃げたことも考えられるという。
	このほか脳にDNAが含まれていたことも判明。発掘スタッフのDNAが作業時に脳に付着した可能性もあり、今後、解析
	を急いで今秋にも調査結果を中間発表する。
	井上教授は「死者に対して一つ一つ穴を掘って埋めるような状況ではなかったのだろう。新生児の骨があったことで、これ
	らの人骨がすべて戦闘で殺されたわけではないことが分かった」と話している。  (2002/03/08)
	--------------------------------------------------------------------------------
	(c)Shin_nihonkai shinbun co.,



	鳥取・青谷町 青谷上寺地遺跡  弥生時代の「戈」の鞘みつかる
	--------------------------------------------------------------------------------
	
	鳥取県青谷町の青谷上寺地遺跡で弥生時代中期後半(約2千年前)に使われた武器「戈(か)」の鞘(さや)=写真=が国
	内で初めて見つかったと10日、県埋蔵文化財センターが発表した。
	鞘は長さ約46センチ、幅約8センチ。湾曲したスギ板2枚を木製の目釘で固定。片側は半分に割れていた。形状から、青
	銅製などの戈の長さは約42センチ、幅約5センチと推定。鞘には穴が開けられ、ひもで柄に結びつけていたらしい。
	戈は古代中国の殷で作られ、朝鮮半島経由で紀元前三世紀ごろに伝来。国内では祭祀(さいし)に使われたと見られ、吉田
	広・愛媛大助教授(考古学)は「鞘を外した時に刃が放つ光沢が、権威の象徴だったのでは」と見る。   (2003/06/11)
	--------------------------------------------------------------------------------
	(C) The Yomiuri Shimbun Osaka 2003



	鳥取・青谷町 青谷上寺地遺跡  弥生人の脳 DNA抽出できず
	--------------------------------------------------------------------------------
	鳥取県青谷町の青谷上寺地遺跡から出土した弥生人の脳などを解析していた県教委は二十三日、脳組織からDNA(デオキ
	シリボ核酸)を抽出できなかったことを明らかにした。同時に解析した四点の人骨からはミトコンドリアDNAの塩基配列
	が判明し、現代の朝鮮半島や本州と同じグループであることがわかった。いずれも母系が異なり、少なくとも四つの母系が
	存在したとしている。
	井上貴央・鳥取大医学部教授が解析し、中間報告した。脳組織から核DNAを抽出する作業は、核かミトコンドリアかのD
	NAが含まれていることが確認できたが、サンプルが少量で抽出できず、塩基配列の決定には至らなかった。県教委は「別
	の方法を検討したい」としている。
	人骨のミトコンドリアDNAは、指の破片や頭がい骨など四点で塩基配列を確認。これまでに報告されている古人骨のデー
	タと比較した結果、佐賀県の詫田西分遺跡(弥生中期)から出土した人骨のほか、現代人では本州や朝鮮半島の人と同じグ
	ループとわかった。
	春成秀爾・国立歴史民俗博物館教授(考古学)の話「青谷上寺地遺跡より前の時代や他の遺跡の人骨から抽出されたDNA
	と比較すれば、日本人のルーツを解明する資料になるのでは」 		(2003/06/24)
	--------------------------------------------------------------------------------
	(C) The Yomiuri Shimbun Osaka 2003






邪馬台国大研究・ホームページ / 遺跡・旧跡めぐり /弥生人の脳・青谷上寺地遺跡