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兵庫県尼崎市・田能遺跡
99.4.11(日)− 明らかになった弥生時代の近畿地方埋葬状況−




国指定史跡 田能遺跡 (昭和44年6月30日指定)

田能遺跡は、尼崎市の東北端、標高7m、猪名川左岸に営まれた弥生時代(2300−1700年前)の集落跡です。遺跡は東西約110m、南北120m以上の広さがあります。
弥生時代は我が国で稲作農耕が始まった時代で、田能の弥生人たちも川沿いのやや高いところに溝をめぐらし、住居を造り、低湿地で水田をつくったようです。遺跡は長期間にわたり生活の 場となったため、家の柱穴、ゴミ捨て穴、貯蔵の穴、排水の溝など多数の遺構がありました。人々の生活した竪穴住居も3棟が明らかになっています。また、ここは墓地としてもつかわれ 、木棺墓8基、土こう墓5基、壺・甕棺墓4基が発見されました。
木棺墓のうち16号墓は碧玉製管玉の首飾りを、17号墓は白銅製の腕輪を身につけており特別な扱いを受けた人物の墓と考えられます。壺・甕棺墓は残っていた骨から用事のものでした。出土した多量の遺物の中には 、近畿地方ではじめて発見された銅剣鋳型、白銅製腕輪のほか、銅鏃、勾玉、管玉、多量の土器、石器などもあり、これらは学術上大変貴重なものです。
発掘された遺構は盛土して地下に保存し、その上に竪穴住居、方形周溝、高床式倉庫などを復元して公開しています。

尼崎教育委員会

(上記は、左の案内看板の内容)





	遺跡・資料館のすぐ前を道路が通っており、それを横切ると堤防がある。ここに登れば目の前が猪名川である。対岸に「園
	田競馬場」があり、その先に阪急電車「園田駅」、右側にJR「猪名川駅」がある。

 


	遺跡内資料館の前に立っている遺跡の顕彰碑の表裏。ちなみにこの顕彰碑に記名されている尼崎市長は、我々夫婦が結婚当
	時尼崎に住んでいた時の市長である。

 

遺跡は史跡公園として整備されており静かなところである。尼崎市民の何人がこの遺跡の存在を知っているだろうか?

 

 

 






	遺跡の発掘は昭和40年の工業用水道の配水建設現場から、大量の弥生式土器が発見された事にはじまる。その後約1年間に
	わたる調査の結果、弥生時代前期から古墳時代中期にわたる大集落跡であることが確認された。この遺跡でもっとも注目さ
	れる遺構は、墓と、それに伴う埋葬の状況であった。それまで近畿地方では、弥生時代の墓の発見例は少なく、その実体は
	ほとんど不明のままであった。
	ここでは、木棺墓8、土こう墓5,壺棺墓3,甕棺墓1の計17基の墓が発見された。うち15基は1つのグループに、残
	り2基はそれらとは離れた場所に埋葬されていた。
	調査の結果、壺・甕を棺に利用した壺棺・甕棺墓、遺骸の埋葬可能な程度に掘り窪めた土こう墓、厚い板を組み合わせた木
	棺墓の3種類の埋葬方法が明らかになった。残存した人骨によって、壺・甕が子供や乳幼児の埋葬に用いられたこと、土こ
	う墓には木の蓋が存在していたこと、木棺には高野槇か中国産の木が使用されていたことなどが確認されている。

 

 

 

 



	木棺墓に埋葬されていた男性のうち2体には、 623個以上の碧玉製管玉を装着した遺体と、左腕に白銅製釧(くしろ:腕)
	をした遺体も発見された。上半身には朱が施されており、この2基だけが明らかに特別扱いされている。ムラの首長クラ
	スだった事をうかがわせる。
	これらの埋葬方法は、北九州の埋葬方法に似たものがある。特に壺棺・甕棺などは当時北九州で盛んに用いられた埋葬方
	式であって、九州の弥生人と同じ種族が尼崎にも居た、あるいは九州から近畿地方へ移ってきたという想像を駆り立てる。

 


	田能の人々は、河川と湿地帯との間のやや高い大地に集落を作り、幅約4m、深さ2mの環壕を巡らせていたと思われる。
	水田で、種籾を直播きする方法で米を作り、収穫には石包丁を使用した。遺跡からは多量の炭化した米や、土器が出土し
	ている。また狩猟や漁労も活発で、石鏃、石槍、石錘や軽石、イイダコ壺などの道具類や、シカ、イノシシの骨、エイの
	歯、ハマグリやシジミなどの貝殻も多い。出土した銅剣の鋳型は、近畿地方では初出であり、この鋳型から復元される銅
	剣は、長さ40cmを越える大型剣である。これらの状況も北九州とよく似た環境である思いを抱かせる。あるいは、弥生文
	化というものは、短い時間の間に、すくなくとも西日本各地に同じような生活様式が伝播していった文化ととらえるべき
	であろうか? 検証には、近畿地方でのもっと多くの弥生遺跡の出現を待たねばならないのかもしれない。

 
 

 


	この遺跡からの出土品は同じ公園内の資料館に収蔵されており、ほとんど大部分が公開されている。又、一部の墓の発掘
	時の状況も復元されている。




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