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多摩ニュータウンNO.57遺跡 東京都多摩市 2004.1.10(土)
遺跡庭園「縄文の村」
復元住居跡・復元土器・復元縄文の森 「縄文時代前期前半(約6000年前)・中期後半(約4500年前)」
東京都埋蔵文化財センターに隣接する「縄文の村」には、多摩ニュータウン遺跡の、NO. 57遺跡(縄文時代集落)を復元
して、遺構に盛土し、景観を含めて保存展示されている。多摩ニュータウンには数百の縄文時代遺跡があり、その殆どは開
発から30年の間に発掘調査されており、いくつかが保存されている。NO. 57遺跡もその一つで、東京都埋蔵文化センタ
ーの敷地内にある。また縄文の森には、トチノキ・クルミ・クリをはじめ50種類の樹木やゼンマイ・ワラビ、ヤマユリ等
を植栽して、縄文前期当時の植生が再現されている。ここには3棟の復元住居があり、週に3日、住居内の炉で焚火を行っ
ており、住居の腐食化を防いでいる。訪れた日もオジサンが石炉で火を焚いていて、しばし縄文人の気分に浸れた。土間の
住居と敷石住居の跡も、加工して保存されている。また、周辺の畑ではアワ・キビ・ヒエ・ソバ・赤米・黒米等が栽培され
ているらしいが、それっぽい所はなかったような。埋蔵文化センター内に常設展示室があり、多摩ニュータウン遺跡からの
出土物を見学できる。尚このNO. 57遺跡は、敷石住居が流行した縄文時代前期から中期にかけての遺跡だが、3万年前の
旧石器時代後期の石器も発見されている。
庭園の開園時間 午前9時30分〜午後5時00分(4月から11月) 午前9時30分〜午後4時30分(12月から3月)
休館日 年末年始(12月28日〜1月4日)
交通アクセス 京王相模原線、小田急多摩線「多摩センター」駅下車、徒歩5分


案内して貰った久保田さん。この駅には会社の研修で2、3度来たことがあった。ここに埋文センターがあったとは。





石敷き床と炉の跡(上右)。

久保田さんは、今回私を案内してくれて初めて埋蔵文化財センターへ来たらしい。ここへ来れば遺跡の情報があるんだ、と喜んでいた。



復元された縄文の森。冬なので立木はすっかり葉を落としている。




保存のために週3日、こうして住居内で火を焚いているそうだ。しばしオジサンと歓談する。復元住居は各地にあるが、こ
うやって保存に力を入れている所は滅多にない。大抵は一度建てたら長いことほったらかしで、どうかすると屋根に使用し
ている萱がバラバラに散逸し、返ってみすぼらしい状態になっている遺跡も多い。カビ臭くてとても中へ入れないような復
元住居が多い中、ここはすこぶる良心的である。火を焚いているせいで、カビ臭くもなくヘンな虫もいない。

縄文人のなれの果ての二人。


土間の住居跡と、石敷の住居跡。どっちが快適だったのだろうか。




人々は、縄文時代に既に定着生活を送っていたというのは、もはや常識になってしまった。今では1万6500年前の旧石
器時代の定着跡も見つかっている。板東平野の多摩丘陵は、当時は森や林で覆われていたはずなので、人々の定着率は相当
に高かったのだろう。以下のグラフを見ても、縄文中期(約5000年前)の住居跡が圧倒的に多い。しかしこれが後期に
なると極端に少なくなり、晩期には1軒もない。これは何を示しているのだろうか。



多摩ニュータウン遺跡については以下のような報告書が刊行されている。
舘野 孝 1988a 「多摩ニュータウンNo.57遺跡の調査−遺跡の概要と整備のあらまし−」東京都教育委員会
舘野 孝 1988b 「多摩ニュータウンの旧石器時代遺跡群」考古学ジャーナルNo.286号 ニューサイエンス社
舘野 孝 1990 「2.時期別の様相−主要遺跡の検討−(1)多摩ニュータウンNo.471−B遺跡」石器文化研究
山口慶一 1998 「多摩ニュータウンNo.811−B遺跡」『多摩ニュータウン遺跡』
東京都埋蔵文化財センタ一調査報告 第49集
永塚澄子・植田 孝・石川隆司・上條朝宏・舘野 孝 1989
「蛍光X線分析法による関東ローム層の元素分析−東京都多摩ニュータウンNo.471−B遣跡の土壌分析」
東京都埋蔵文化財センター研究論集VII

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