ストーンヘンジは、イングランドの先史時代遺跡である。太古の昔からここにあり、人々の好奇の対象になっていた。ノルマ ン人がイングランドを征服してから早くも70年後の文献に、「英国の不思議」として記述されている。考古学的な発拍調査に よって、その歴史と年代に関する信頼できる情報がもたらされたのは20世紀になってからで、現在ではストーンヘンジの主な 特徴、おおよその築造年代、築造の手順などが明らかになっている。 現在、見学者は西側からストーンヘンジを見学するようになっている。元来の儀礼用の入り口は北東にあり、後になって同じ 方向に行進用の大通り、アベニューがつけ加えられたと考えられている。入り口とアベニューは夏至の日の出の方角と一致し ている。航空写真で見ると明らかなこのアベニューを徒歩で辿ることもできる。今日、見学者が目にする最終段階のストーン ヘンジは相当に廃墟化したものであり、完成時のストーンヘンジは横石を乗せた石柱で周囲を囲んだ円形の構造物で、その中 にはさらに馬蹄形に配置された石柱が建っていたが、馬蹄形の空いている部分が北東を指していただろうことは注目に値する。 石柱のサークルは、やはり円形の土手と空掘に囲まれている。円への入り口は倒れた生け贅の石(元来のもの)によって記さ れており、その先には有名なヒール・ストーン(サークルの中心から見ると、夏至の太陽は安定してこの石の位置から昇る) がある。南側にも二次的な小さな入り口がある。 <イングリシュ・ヘリテージ発行「ストーンヘンジと周辺の遺跡」>
前日宿泊したROSSのB&Bを朝早く発って、午前中BCON−BACON国立公園を見た後、一路このストーンヘンジを目指し12時頃到 着。今や一大観光地と化している。エントランスで一人4£払い、ゲートを通って道路下のトンネルをくぐり、草原に出ると 目の前がストーン・ヘンジだ。木のテーブルに座ってサンドイッチの昼食を取る。パンくずを鳥たちになげてやるとワッと寄 ってきた。
The Stonehenge Kitchen という名の売店ではポテトやカラあげ、ソーセージなどを売っている。まったく日本の観光地と同じ である。よく売れていた。
今回の英国旅行で行きたかった、大英博物館、ネス湖、ストーン・ヘンジと、これで全てみたことになる。歴史倶楽部の連中 に日本語の解説書を買い、哲平にTシャツを買った。ここにも日本人がたくさんいる。おばはん連中がコンダクターにつれら れて見学している。切符を買ってエントランスを入り、道路の下のトンネルをくぐると目の前にストーンヘンジが見える。
大きい。直径30cm以上はある円形の、円に沿って石棒を建てていった建造物である。日本で言えばちょうど縄文時代晩期 に、この石のサークル・モニュメントは作られている。この建造物についてはいろいろな説があり、今だに多くのミステリ− ファンの興味を刺激し続けている。太陽系を模したものだとか、宇宙人の目印だとか奇説もあるが、5,6000年前にこんなデカ い石を建てていった古代人のエネルギーには感服してしまう。諸説紛々ではあるが、解説書を見る限り発掘品も幾つか出てい るし、私の推測ではどうやらここは墓だったのではないかと思う。墓が次第に祭祀場へと変化していったものではないだろう か。日本の北陸地方に見られるウッドサークル(石川県チカモリ遺跡・真脇遺跡など)なども一種の祭祀場だと考えられるが、 古代、人々の、円を神聖視する考えなどが、世界中で共通していたのだろうか。
ストーンヘンジの近くにウッド・ヘンジという、木造のモニュメントがあるが、こちらには観光客は殆どこない。小さな木の ベンチのようなサークルが並んでいるだけなので、特に歴史に興味がある人でもないと来ないのだろう。ストーンサークルに 比べると寂しいもんだ。解説書によれば、こちらも古代(縄文−弥生)の祭祀用の場所らしいが、洋の東西を問わず古代人の 発想は似通っている。
★ このHPのデジカメ以外の画像は、English Heritage 発行の「ストーンヘンジとその周辺遺跡」および「THAMES AND HUDSON」の「STONEHENGE COMPLETE」から転載しました。