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サヌカイト炭坑
奈良県香芝市 サカイ・平地山遺跡
2003.9.13(土) 現地説明会
マスコミ各社・報道記事
【奈良新聞 2003年9月11日】 広大なサヌカイト採掘坑群
国内最大級のサヌカイト採掘坑群が見つかったサカイ、平地山の両遺跡(香芝市田尻)
二上山ろく、国内最大級 サカイ・平地山遺跡
金属器の伝来まで石器の材料として幅広く利用されていた火成岩の一種、サヌカイトの一大原産地として知られる二上山の
北部山ろく地域にある香芝市田尻のサカイ、平地山の両遺跡で、国内最大級のサヌカイト採掘坑群が見つかり、香芝市教育
委員会が10日、発表した。縄文時代草創期の原産地石器製造跡も近畿で初めて確認された。
智弁学園小・中・高等部の新築工事に伴い、今年4月から市教委と県立橿原考古学研究所が本調査を実施。これまでに約65
00平方メートルを終え、最終的には約1万5000平方メートルに及ぶ。サヌカイト原産地としては国内最大規模の調査。
サヌカイト採掘坑は数百カ所で見つかり、サヌカイトの石器片も大量に出土した。採掘坑は大きさが1-5メートル。深さは1-
2メートルが中心でさまざま。
石器はナイフ形ややじりのほか、やり先などに使う有舌尖頭器など縄文時代草創期に特徴的な石器も。それらを作る際に出
たらしい石片なども、まとまって見つかったことから、ここで石器を製作していた見られる。また、弥生式土器も出土。後
期旧石器時代から弥生時代にわたって、ここでサヌカイトの石器製作や採集、採掘が行われていたと考えられる。
また、採掘坑以外の穴の上で、長さ30.1- 35.2センチ、重さ2.8- 3.5キロの4枚の板状の石材が重ね置いた状態で見つかっ
た。穴には石器片が詰まっていた。保管などのために集落跡でそのような埋納遺構が見つかることはあるが、サヌカイト原
産地では例がなく、なぜそのように置いたかは不明。
市二上山博物館の石野博信館長は「二上山ろくの石器生産を知る上でポイントになる調査」、県立橿原考古学研究所の光石
鳴巳主任研究員は「縄文草創期は原産地と石器との関係が分かっていなかったが、草創期にも原産地に人が入って石器作り
をしていたことが分かった」と話している。
現地説明会は13日午後1- 3時。少雨決行だが、荒天時は翌14日に順延。駐車場はない。当日は近鉄関屋駅から送迎バスを運
行する。問い合わせは市二上山博物館、電話0745- 77-1700。
(c)NARA-SHIMBUN 2003
大和古代ニュース
【サヌカイト最大採掘坑跡 サカイ・平地山両遺跡】 asahi.com
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奈良県香芝市教委は10日、同市のサカイ、平地山両遺跡で、縄文時代から弥生時代にわたる国内最大のサヌカイト採掘坑
跡が見つかったと発表した。サヌカイトは石器などに使われた原石で、両遺跡がある二上山(にじょうさん)北麓(ほくろ
く)遺跡群はその原産地として知られている。縄文時代の石器も出土しており、縄文人が現地で加工もこなしていたとみら
れる。サヌカイトと並ぶ石器の材料の黒曜石では、長野県の鷹山遺跡群でその大規模な採掘坑跡が見つかっており、専門家
によると、それに匹敵する原産地遺跡という。
現場は、私立学校のドーナツ形をした校舎建設予定地。調査面積は両遺跡の一部計6500平方メートルで、丘陵上に直径
1〜5メートルの穴(採掘坑)が数百カ所見つかった。両遺跡全域での採掘坑は、数千カ所に及ぶとみられる。
穴の中には、こぶし大から大人の頭くらいの大きさのサヌカイトの塊や、塊を砕いた石片や石くずが大量に埋まっていた。
その中に、矢じりやくさび形石器など縄文時代を代表する石器や、弥生土器があった。約1万2千年前から2千年前まで採
掘されていたとみられる。
また、穴とは別の地層からは有舌(ゆうぜつ)尖頭器(せんとうき)と呼ばれるやりの先端につける縄文草創期(約1万2
千年前)の石器5点が出土した。
二上山北麓遺跡群には約70の遺跡があり、これまで採掘坑が確認されたのは10遺跡足らず。穴の数は最大で株山遺跡
(大阪府羽曳野市)の58カ所だった。
現地説明会は13日午後1時から同3時まで。問い合わせは二上山博物館(0745・77・1700)。近鉄関屋駅から
マイクロバスの送迎がある。
☆サヌカイト☆ ガラス質を多く含む安山岩。石器の材料として後期旧石器時代から弥生時代にかけて武器などに利用され
た。黒色で光沢があり、割るとツルツルとした断面が現れる。二上山(奈良県)をはじめ、五色台(香川県)、冠高原(広
島県)、鬼の鼻山(佐賀県)などが主な産出地。明治時代にドイツ人の学者E・ワインシェンク(岩石学)が香川県で発見
し、讃岐(さぬき)から命名した。讃岐石ともいう。(9/11)
大和古代ニュース
【縄文の技 鉱脈ピタリ? サカイ・平地山両遺跡 】 asahi.com
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採掘坑跡から取り出されるサヌカイト=香芝市で
縄文から弥生時代にわたる国内最大のサヌカイト採掘坑跡が奈良県香芝市のサカイ、平地山両遺跡で見つかった。丘陵全域
に眠るサヌカイトの鉱脈を見抜く力、それを鋭利な石器に加工する技があったとみられ、縄文人や弥生人の中に高度な知識
を持つ管理集団がいたとの見方も出てきた。
管理集団に高度な知識
市教委などによると、丘陵全域に眠るサヌカイトのうち良質の原石がある場所は掘られ、ない場所からは採掘坑跡も見つか
らなかった。サカイ、平地山両遺跡を含む大阪、奈良府県境の二上山(にじょうさん)北麓(ほくろく)遺跡群を長年調査
してきた旧石器研究専門の松藤和人・同志社大教授(考古学)は「当時の人が地層の知識を持ち、サヌカイトを含む広がり
を習熟していたことに何よりも驚く」と話す。小林達雄・国学院大教授(考古学)は、管理集団の存在を示唆する。「管理
集団が採掘工らを仕切っている様子が目に浮かぶようだ」と話す。
弥生時代の採掘坑跡からは、板状に加工した石材(厚さ約6センチ、長さ約30センチ)4枚が立てかけるように地中に埋
まった状態で見つかった。重さは平均3・3キロ。掘りあげられた数十キロのサヌカイトの塊を消費地へ運びやすくするた
めに大まかに切り分けて軽量化して出荷したらしい。
原産地で石器製作跡が見つかったことに注目するのは、奈良県立橿原考古学研究所の光石鳴巳主任研究員(考古学)だ。縄
文草創期にやり先に付けて武器にした石器有舌(ゆうぜつ)尖頭器(せんとうき)が出土した。北海道では黒曜石が石材と
して使われ、東北から北陸にかけては硬質頁岩(けつがん)(チャート)が使われた。しかし「北海道を除くと原産地で石
器を加工したことがわかる資料は少なく、貴重だ」という。
◇ ◇
安蒜(あんびる)政雄・明治大教授(考古学)の話 縄文時代以前は石器の材料になる原石を地表面で採集していた。二上
山のふもとで発見された大規模な採掘坑跡は、東日本を代表する黒曜石の採掘坑跡で知られる長野県の鷹山遺跡群とともに、
縄文時代に列島全体で地下資源の開発が進んでいたことを明らかにする資料といえる。(9/11)
奈良・香芝市 サカイ、平地山遺跡
【大規模な石器産地、サヌカイト採掘穴数百基】 Yomiuri Shimbun
大がかりなサヌカイトの採掘が確認されたサカイ遺跡(10日、奈良県香芝市田尻で)
奈良県香芝市田尻のサカイ、平地山の両遺跡で、縄文時代草創期(約一万二千年前)から弥生時代中期(約二千年前)まで
約一万年にわたって、石器の材料となるサヌカイト(ガラス質の岩石)を採掘していた数百基の穴と数万点の石片が見つか
り、市教委と県立橿原考古学研究所が十日、発表した。市教委は「全国最大規模の石器原産地で、大がかりな採掘と石器製
造が連綿と続いていた様子がわかる」としている。
採掘穴は直径一―五メートル、深さ〇・三―二メートルで、丘陵上の約千二百平方メートルに密集していた。穴の中には石
器を作るために削った原石や石片が残り、土に埋もれた原石を掘り出し、加工した様子がよくわかる。穴はさらに東に続き、
数千基あるとみられる。
また、東日本の技法で作られた縄文時代草創期の斧(おの)形石器四点も出土、当時の東西交流をうかがわせた。現場は大
阪、奈良府県境の二上山北ろくで、サヌカイトの一大産地。これを材料にした石器は、近畿を中心に高知、静岡両県などで
も見つかっている。現地説明会は十三日午後一時から。(2003/09/11)
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(C) The Yomiuri Shimbun Osaka 2003
2003.9.13(土) 現地説明会
上記の新聞記事を読んで、「こりゃ、行かずんばなるまい。」と思っていたら12日の新聞に「明日香で石段テラス状の遺
構発見!」のnewsが飛び込んできた。斉明天皇の「両槻(ふたつき)の宮」跡遺構の可能性もあるとの事でこっちにも行き
たかったが、非情にも同日同刻に現地説明会が予定されていた。さんざん迷ったあげく、この香芝市へやってきた。
下の写真は湾曲しているが、実は右端の入り口から左までは一直線で20mほど、
バスは入り口で転換してバックのまま工事現場まで入ってきた。
受付のテントの背後に、遺跡へ行く道が造ってある。谷筋は工事現場で、ダンプと工事車以外は通れない。
工事現場宿舎の前に、急ごしらえの遺物展示場があり、主要な出土品(サヌカイトと土器)が展示されていた。
上、上部の右から2番目は結合資料。割ったサヌカイトの破片を組み合わせて戻すと、
一つの礫(れき)になる。藤村新一もねつ造した。
下左は、地層から発見された弥生土器。それで時代が特定できたのだ。
上は大型のサヌカイト片。これを叩きわって小さな道具に加工するつもりだったのだろう。
展示物を見て、いよいよ遺跡へ登っていく。
以下、のマークが付いた記事は、本日貰った、香芝市教育委員会発行の資料をSCANしたもの。
本日説明してくれた二人は、この資料を書いた濱野さんと森川さん。私の解説より、これを読んで貰った方が確かだ。
午後1時になって、説明を始めた濱野さん。ここのサヌカイト岩床は、数億年前ここから南の方角にある春日山が噴火した
折、溶けた溶岩の塊がここへ飛んできてこの地で岩床になったものだと言う。約12000年前くらいから、縄文人達はこ
こでサヌカイトを採掘していた。このC地区は掘るだけで、ここで加工していたりという事は無いらしい。発掘された土器
も、現代の我々がピクニックに持って行く水筒のような役目をしていたのではないかとの事だ。この遺跡には住居跡や作業
場などの生活の痕跡はなく、ただ採掘場・加工場だった。A地区では、岩塊を割って道具を作っていた跡があり、焚き火の
跡のような焦土も残っているので、そこではある規模の加工が行われていたらしいが、そこには採掘坑はない。つまりサヌ
カイトを掘り出す場所と加工する場所は、谷を隔てて違う場所だったのだ。
「どこらへんから、誰がここまでサヌカイトを取りに来ていたと思いますか?」という私の質問に、浜野さんは。「さぁー、
この下に田尻という部落がありますから、そこに住んでいた人たちか、或いは直接、消費地である唐古鍵(遺跡)や池上曾
根(遺跡)あたりからも来てたかもしれませんねぇ。」と言う。新聞記事によれば、長野県の鷹山遺跡以西では一番大きな
遺跡との事なので、近畿一円からここへ採掘に来ていた可能性もある。とすれば、今日の説明会のように「受付」がいて、
「案内」する係がいて、採掘量を管理する「監督」のような役割や人物がいたかもしれない。
C地区の全景(上)。
B地区は既に発掘調査を終えて、智弁学園の基礎工事が急ピッチで進められている(上)。下は調査段階のB地区>
A地区。ここは採掘したサヌカイト塊を打ち欠いて、鏃やナイフや尖頭器を作っていた場所である。
上右の丸い枠内が焦土の跡だ。ここで火を焚いてなにをしていたのか。食事をしながら作業を続けていたのだろうか。それと
も冬季、寒いので火で暖を取っていたのか。1万年前、ここに集まってきた各地の縄文人達は、火を囲んで各地の暮らしぶり
や獲物の量を話題にしたりしていたのだろうか。
「おぅおぅ、おめとやいまどな?」 (よう、今年はおまえんとこの調子はどないや?)
「やー、よね、かおらし、とよせえやて。」
(いやぁー、あんまり良くないねぇ、鹿もあまりいないし、豊中とか千里の方はええらしいよ。」
「ほか、なで。あんばよねの。」 (そうか、困ったもんやな。)
なんて会話をしていたのかな、などと想像すると目の前に縄文人や弥生人が彷彿としてきて、あんたはどっから来なすった、
などと聞いてみたくなる。明日香ではなくこの遺跡へ来たかったのは、こういう想像が楽しめるからだ。明日香の遺跡も勿論
偉大だが、あの遺構を築くのにこき使われていた側の人間が私の先祖だと想像すると、ちょっとつらい。
A地区とC地区の真ん中に当たる工事現場のど真ん中(上)。作業員のにぃちゃんが、ボロボロ出てくるサヌカイトの岩塊を
トロ箱に入れて、見学者に「ほれ、持って帰らはったら。」と配っていた。ドデカイ塊を肩に担いで持って帰るおっさんもい
た。私は少し大きめの礫と小さな破片を貰ってきた。
説明会が終わって帰りのバスへ向かう途中の崖にもサヌカイトが顔を出している。手で触るとボロッと落ちてくる。
香芝市が用意してくれた送迎のバス。と、近鉄大阪線「関谷(せきや)駅(上)。駅から近く歩いても10分ほどだったが、
車道は交通量が多く、歩くのは危険。学校が建ったら通学路を別に作るのかな。
持って帰ってきたサカイ・平地山遺跡のサヌカイト。鋭い部分で紙と布を切ってみたらスーッと一直線に切れた。ヘタなナイ
フよりはるかに凄い切れ味だ。これなら動物の皮をはいだり肉を切り分けたりするのにはもってこいだろう。暇があったらこ
の塊を打ち割って、そのうち縄文ナイフを作ってみたい。
邪馬台国大研究・ホームページ/遺跡めぐり/ サカイ・平地山遺跡