Sound: Yellow Submarine


青森市三内丸山遺跡(Guidance)



		この遺跡は、これまでの縄文・弥生時代の既成概念を覆したばかりでなく、縄文遺跡としては考えられないような巨大建築物や、さまざま
		な生活用品の遺物を残していた。下の写真の左は、直径1mを越える建築物の柱の跡。3本づつ2列、つまり6本の柱跡があった。
		高さは20mに及ぶと推測されている。一体このような高さの建築物は何であろうか。




		これらを復元したのが次の写真。祭祀用に建てたものか、あるいは隣国との戦いのための物見櫓か、答えはまだ見つかっていない。










平成9年11月10日付けの朝日新聞朝刊に、この柱の跡とは別に直径1〜2mの大きな穴が26個も発見されたという記事が載っている。食料の貯蔵庫ではないか、とか新たなる巨大建築物の痕跡か、とか諸説定まっていないが、次々と新たなる発見が出現する。まだまだ、我々には想像できない遺跡が埋まっている可能性もある。三内丸山にこういう遺跡があるという事は、他の地域にもあるはずである。我々が発見できていないだけなのだ。今後の教科書は大幅に刷新する必要があろう。







		縄文時代人の生活は、我々が今までに想像していたものより遙かに豊かな生活だった可能性もある。

		右の写真は体長1mのマダイの骨である。三内丸山遺跡は海岸線に隣接しており、釣り針やモリ等の骨器の他に1mのオールも出土して
		いる事から、丸木舟で沖へ出て大型の魚を捕獲していたと考えられる。タイの他にも、マグロ、ブリ、ヒラメ、メバル等の骨が出土して
		いる。










縄文文化の生活水準が、これまで考えられていたよりもはるかに高度だった事を示す遺物。左はイグサ科の植物で編まれているポシェット(手提げかご)。右は朱色の漆のお椀。5000年以上前にすでに漆の技術があったのである。







こういう遺跡の出現や新たなる発見に接するたびに、タイムマシンの存在を渇望する。一足飛びに石器・縄文・弥生時代の中へ入って、人々がどんな暮らしをしているのか、どんな家に住み何を食べているのか、どんな言葉を喋っているのか、この眼で実際に見てみたい。私の祖先は縄文時代何処にいたのか?祖先から派生した血脈は、今日本中のどこら辺に散らばっているのか?もしかしたら、会社の中に一人くらいいるかもしれない。コンチクショウと思っている上司や同僚も、もしかしたら一族かもしれないと思うと、何となく腹も立たない。
想像力はアルコールの力も借りて太古の世界を闊歩する。



写真提供: 青森県教育庁文化課
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