県名発祥の地である行田市埼玉(さきたま)は、国指定の史跡「埼玉古墳群」をはじめ、さまざまな史跡に恵まれている。 埼玉県では、この古墳群を中心に、広い地域を確保し、その環境を整備して古墳群のよりよい保存と一層の活用を図るため 「さきたま風土記の丘」を建設した。さきたま資料館は、その建設計画の一環として「さきたま古墳群等から出土した考古 資料や、郷土の民俗資料を保護活用することにより、教育、学術、文化の振興を図る」ことを目的に設置され、昭和44年 (1969年)に開館した。その後、稲荷山古墳出土の鉄剣から金象嵌銘が発見されたこと等に伴い、昭和55年(1980年)に 収蔵展示棟が増築され、また、平成9年(1997年)には分館の将軍山古墳展示館もオープンした。
9基の古墳の内最も古いのが稲荷山古墳である。5世紀後半に築造されたと推定されている。金錯銘鉄剣は、出土時にはサ ビだらけで誰もここに金で文字が刻まれているとは想像もしなかった。出土から10年後、サビの進行がひどく鉄剣は奈良 の元興時文化財研究所に、サビ防止処理の為委託された。その処理中、キラリと刀剣の一部が輝きレントゲン写真にくっき りと115文字が浮かび上がった、という訳である。 1500年を経てよみがえった、まさに「世紀の大発見」だった。この時発 見された文字の中の 「獲加多支歯大王」がワカタケルだいおうと解読され、以前発見されていた 熊本の江田船山古墳出土 の銀象嵌の太刀も同じ文字であることがわかった。これにより、ワカタケル大王(雄略天皇にあたるとされている:5世紀 後半)の時代には、大和朝廷は既に九州から関東までをその影響下(支配下?)に置いていた事が推定されるに至ったので ある。
◆国宝 金錯銘鉄剣(きんさくめいてっけん) 埼玉古墳群の中で最初に作られた古墳である稲荷山古墳(いなりやまこふん)からは多くの遺物が出土している。これらは、 1983年(昭和58年)に一括して国宝に指定され、さきたま資料館で展示されている。その中でも代表的なものがこの 鉄剣で、金象嵌(きんぞうがん)によって記された115文字は、わが国の古代国家の成立を解く上で、貴重な資料となっ ている。 ◆国指定史跡 埼玉古墳群(さきたまこふんぐん) 埼玉古墳群は、県名発祥の地・行田市大字埼玉にあり、5世紀の終わりから7世紀のはじめごろまでにつくられた9基の大 型古墳が群集し、国の史跡に指定されている。埼玉県では、この地域約30万uを「さきたま風土記の丘」として整備を進め てきた。古墳群の中でも、丸墓山古墳(まるはかやまこふん)は日本で最大の円墳であり、二子山古墳(ふたごやまこふん) は、武蔵国(現在の埼玉県・東京都・神奈川県の一部)で最も大きな前方後円墳である。 ◆さきたまの埴輪(はにわ) 資料館のすぐわきにある瓦塚古墳(かわらづかこふん)の内堀と外堀の間にある中堤(なかづつみ)には、琴を弾く男子や 何かを捧げ持つ女子などの人物埴輪、水鳥や犬などの動物埴輪、家や盾などの器財埴輪といった、たくさんの形象埴輪が立 てられていた。 ◆将軍山古墳(しょうぐんやまこふん) 将軍山古墳は、明治27年に地元の人びとにより発掘され、横穴式石室からは武器や馬具など多くの副葬品が出土したが、 その後、墳丘はかなり崩れてしまった。そこで、これらの遺構や遺物を保存活用していくために、墳丘や堀の復原とともに 石室の内部を見学できるように将軍山古墳展示館が設置された。