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さきたま風土記の丘 99.4.24 − 稲荷山古墳等 武蔵国造の奥津城 −


	「埼玉(さきたま)古墳群」は県名発祥の地、埼玉県行田市大字埼玉にあり、5世紀の終わりから7世紀初頭までに造られた9基
	の大型古墳が群集し、国指定の史跡となっている。古墳群のひとつ稲荷山古墳からは、115文字が刻まれた「金錯銘鉄剣」が出
	土し、この時代大和朝廷の権力がこの地方にまで及んでいたことが立証された。また出土した多くの武具・馬具類から、渡来系の
	人々の影響が既に北関東にまで及んでいた事も類推される。



JR高崎線を行田駅で降りる(北鴻巣、吹上でもよい)。風土記の丘まではTAXIで5,6分だ。

 

桜満開の丸墓山古墳を昇る事にしよう。

 

丸墓山古墳の頂上から見た二子山古墳(右)と稲荷山古墳(左)。稲荷山古墳から、かの有名な「ワカタケル大王」銘の鉄剣が出土した。

 

丸墓山古墳を降りて稲荷山古墳へ。下から見た稲荷山古墳。

 




	昭和43年の発掘時、頂上から2基の埋葬施設が見つかった。1基は素堀の竪穴で、粘土を敷いた上に棺を置いたもの(粘土槨)で、
	もうひとつは河原の石を敷いて舟形に床を造り、その上に棺を置いた礫槨(れきかく)であった。粘土槨は既に盗掘されていたが、
	礫槨は未盗掘であった為多くの副葬品が出土した。これにより、当時どういう状況で埋葬したかが判明した。現在実物は地中に埋
	め戻されているが、頂上に2つの槨が復元されている。



出土した礫槨・粘土槨を山頂に復元してある。ここから、鉄剣、矢、勾玉など多数の副葬品が出土した。



 

稲荷山古墳は全長120m程の前方後円墳だが、既に円墳部分しか残っていなかったため、
現在前方部分を復元中である。下から見ると立派な前方後円墳である。

 








古墳公園は桜が満開であった。広場には復元された竪穴式住居も建っている。ここにあったのかどうかは定かでない。

 

二子山古墳の周りをめぐる。結構時間がかかる。1周10分位かかった。

 

前方後円墳なのだが、円墳が二つくっついたような形から二子山(ふたごやま)と呼ばれている。

 





愛宕山古墳はこの古墳群の中では一番小さい。木立の中にひっそりと佇んでいる。

 



さきたま資料館の入り口に「はにわ館」が建っていて、希望すればここで埴輪造りを体験できるらしい。

 

下左は瓦塚古墳。右は埼玉県名発祥の記念碑。

 



復元される前の「さきたま古墳群」の状態







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