Music: Mister Moonlight

大湯ストーンサークル(環状列石)
1969年夏(2002年) 秋田県鹿角市十和田大湯字万座







	私がここを訪れたのは今から約35年前である。1969年の夏だった。大学へ入ったばかりの私は、肉体の鍛錬を目的に
	ワンダーフォーゲル部に入部した。自ら望んだ事とはいえ、トレーニングはキツかった。毎日毎日、ぶっ倒れそうになりな
	がら過ごしていた。そして、最初の夏合宿がここ東北だったのだ。私の学校のワンゲルは、九州で一番早く大学にワンゲル
	が造られたクラブで、ちょうど入学した年がクラブ設立の10周年だった。それを記念して、誰が考えたか知らないが、
	「日本縦断」なるイベントが企画されたのだ。
	部員は総勢で50名ほどいたが、もちろん50名が一丸となって稚内から鹿児島までを歩くわけではない。また夏休みもそ
	れが出来る程長くはないので、全国を10のパートに分けて、それぞれを4,5名のメンバーが踏破するというものだった。
	北アルプスを通る中部山岳パートなどは希望者が殺到したので、人気の少ないパートは2,3人と言うところもあった。
	私は東北北部のパートになった。
	このコースは、岩手県の北上川畔の雫石(しずくいし)町から、岩木山、八甲田山を経由して青森までを1週間で歩くとい
	うものだったが、平均毎日4,50kmは歩いたと思う。青森に着いたときには虚脱感で何をする気にもならなかったのを
	覚えている。
	そんな合宿の合間に「沈殿日」と言って、テント(または宿舎)から動かない日があった。前日があまりにハードだったり
	するとリーダーが判断して「休息日」を設けるわけである。その時リーダーから「どっか行きたいトコないか?」と聞かれ
	て、私はすかざずこの「大湯ストーンサークル」を挙げたのだった。ほかのメンバーはそんなトコという顔をしていたが、
	一番ノビている新人の言うことだからと、しぶしぶバスに乗ってついてきた。その時の遺跡の状態は、ここに見られるよう
	な、いかにも「遺跡でございます。」というようなものではなく、道ばたにポツンと石の棒とそれを取り囲む石列があった
	だけだった。その時のリーダーがクラブの機関誌に書いた紀行文を読むと「熱心に誘った井上が一番がっかりするような所
	でした。」と書いてある。




	それから35年、先日internetで遺跡紹介を眺めていて、玉川学園大学のHPにこの大湯ストーンサークルの紹介があって、
	画像は非営利なら自由に使って宜しいというコメントがあった。早速メイルを出して許可を得、本棚からこの遺跡の部分を
	引っ張り出してきてこのページを製作した、というわけである。このホームページの中の 【PICTURE】印がついている写真
	は、玉川学園の「ゲンボー先生」こと多賀譲治さんが、一昨年(2002年)東北を回った時写されたものだが、私が35
	年前に訪れた時の面影はみじんもない。
	発掘され、整備され、なんときれいになっている事か。是非もう一度行ってみたいものだ。ちなみに多賀さんは「玉川学園
	CHaT Netセンター研究員・玉川大学学術研究所特別研究員・玉川文化財研究所特別研究員・顧問」という肩書きの持ち主で、
	子供達のために、特に社会科の啓蒙・普及に努力されているようだ。記して深く感謝の意を示したいと思う。
	「玉川学園社会科画像集」

	また、私が自分で撮していない写真のみでホームページを構成したのは、「邪馬台国大研究」全ページの中で、この遺跡だ
	けである。(と、思ったら「那津官家(なのつのみやけ)跡・現地説明会」のコーナーもそうだった。)
 


県道を挟んで東側(左)が「野中堂遺跡」、西側(右)に「万座遺跡」がある。




	大湯環状列石(大湯ストーンサークル)
	
	昭和6年(1931)、秋田県鹿角(かづの)市の十和田大湯の、大湯川流域のどの集落からも望まれる、標高180mの風張
	(かざはり)台地上の耕地整備中に、4000年前の縄文後期につくられた不思議な石組みが見つかった。この石組みは環
	状列石で、一般的にはストーンサークルと呼ばれる。東の野中堂、西の万座の二つの環状列石が向かい合う、埋葬と祭祀の
	遺跡である。昭和26年から調査され、昭和31年に国の特別史蹟に指定された。現在も発掘調査は続けられており、作業
	の様子は誰でも随時見学できる。

 


	昭和26〜27年には、環状列石構築の目的を探るため、野中堂5基、万座9基の配石遺構の下の調査が行われた。その時
	は、14基中11基の配石遺構の下から、遺骸を葬ることの出来る穴が確認された。但し穴の中から人骨や副葬品は見つか
	らなかった。燐(りん)分析の結果も、墓地説を裏付ける証拠は発見されなかった。昭和51年には、野中堂環状列石の北
	東250mの地点から、一本木後ロ(いっぽんぎあとろ)配石遺構群が発見された。一本木後ロ遺跡では、こぶし大の川原
	石を集め2重に並べ、内帯の組石数基と外帯の石が1対をなし、組石の下に土坑をもっていた。昭和59〜61年の発掘調
	査では、この遺構群の全ての配石下に穴がある事がわかり、2つの穴からは甕棺、1基からは副葬品と考えられる13点の
	石鏃、他の1基からは朱塗りの木製品が見つかった。また、残留脂肪酸分析の結果も「高等生物埋葬の可能性が高い。」と
	いうものだった。この結果、一本木後ロ配石遺構群は墓群であると判明した。そこで、構造が似通った、野中堂、万座の環
	状列石も配石墓群であろうと推測されている。

 

 


	昭和59年から始まった野中堂、万座の二つの環状列石発掘調査では、川原石で作られた環状配石遺構や配石列、クリの木
	を利用した祭祀施設と考えられる建物跡、地面を掘りくぼめたフラスコ状の貯蔵穴などが、環状列石の周りに規則的に並ん
	でいた。また、日常使用した多量の土器や石器のほか、安産を祈願した土偶、豊作や豊漁を祈願するときに使用したキノコ
	・動物型土製品、子供の成長を願って作られた足型石製品、実用品とは思えない石刀等が発見されている。竪穴住居跡、落
	し穴なども存在していた。環状列石そのものは墓群であるが、周辺から発見された建物跡や土・石製品から、遺跡全体は巨
	大な祭祀の場であったと考えられる。

 





 


	2つの環状列石は、いずれも石を組み合わせて円形や方形などに並べた配石を100個以上2重の環状に配置し、内、外帯
	と呼ぶこの間の、列石の中心からみて北西の位置に「日時計状組石」が一つ造られている。野中堂が直径42m、万座が
	48mの環状列石で、ふたつの列石間は約90mである。ふたつの環状列石の直径の合計が、列石間の距離にあたる。また、
	外帯・内帯の直径や幅についても整数倍の関係にあることが知られている。さらに野中堂環状列石から万座環状列石を見た
	方向が、夏至の日の日没ラインに近いことも知られている。環状列石の構築には方位も関係していたのかもしれない。

	また、そういう数字等々を引用して、この遺跡は超自然的な存在、例えばUFOの目印とか宇宙人の地球滞在の痕跡とかを
	主張するような人たちもいるが、私がこれまで各地のストーンサークルを見た限りでは、これらは明らかに古代人の製作し
	たものであり、祭祀場もしくは墓域、あるいはその二つを兼ね備えた遺構である。

 

 

環状列石のなかの日時計。野中堂環状列石(上左)と万座環状列石(上右)。


	二つの環状列石を構成する石の総数は5000〜6000個におよぶ。その殆どが石英閃緑ひん岩と呼ばれる石で、遺跡か
	ら4,5km離れた安久谷川から運ばれたものである。これらの石は、一度に運ばれたものではなく、ソリが使える積雪期
	に運ばれたのかもしれない。石の重さは、平均30kgで、なかには200kg近い石もあるそうだ。





 








	大湯環状列石は、大がかりな配石墓群である。ひとつの環状列石が1集落のものとするなら、大がかりな集落の存在とその
	数百年にわたる存続が必要である。しかし、環状列石周辺からこれまでに発見された竪穴住居跡はわずか5軒である。今後
	の調査でこの数が増えるとは考えられず、このため近隣のいくつもの集落で環状列石を造った可能性が高いが、それでも環
	状列石の完成までには数世代の年月を要したものと思われる。万座環状列石は100基以上の組石の集合体で、組石は数基
	から10数基の12のグループに分けられ、村ごとに管理されていたようである。野中堂もほぼ同じような構造である。

 

 


	大湯にはストーンサークル以外にも縄文時代の遺跡があり、大湯川を一望する丘からは、土器を埋設した炉が発見され何ら
	かの祭祀を行っていた可能性がある。丘には貯蔵穴が造られ、沢には動物を捕らえる落とし穴もあった。ストーンサークル
	が発見される以前から、縄文人はこの地方に暮らしていた事が確認できる。ストーンサークルからは供物を乗せるための台
	が付いた土器や、神聖な意味を持つ赤い顔料を施した壺、故意に壊した土偶、目や口を表現した土版、体の一部を模した石
	製品など、祭祀用具が多数発見された。またストーンサークル周囲には、幾つもの掘っ立て柱の跡があり、埋葬や祭祀に関
	係した人々が利用したと考えられている。その祭祀がどのようなものであったのか。それは今後の発掘で次第に明らかにな
	るのかもしれない。


	この遺跡は、平成10年から環境整備事業が行われ、広く一般に公開できる文化財としての整備が行われている。現在は、
	万座遺跡の西側及び北側の広範囲な地域が区分けされ順番に発掘調査されており、今後順次進められ野中堂遺跡の東側も調
	査され、将来は、遺跡全体が公園になるそうである。これまでの調査で発見された土器や石器等は、鹿角市出土文化財管理
	センターに展示されていたそうだが、大湯環状列石のガイダンスと、縄文時代より伝わってきた技術を楽しみながら体験で
	きる施設として、平成14年4月24日、「大湯ストーンサークル館」がオープンした。




	<大湯ストーンサークル館>
	大湯ストーンサークル館は、大湯環状列石遺跡に隣接して建てられ、遺跡の保護や調査、紹介を行なう展示館。建物は雪国
	に古くから伝わる「雁木(がんぎ)」をイメージし、特別史跡大湯環状列石の展示を中心に、遺跡からの出土品や遺物、日
	本の環状列石や世界の巨石記念物の模型や写真資料などを展示公開している。周囲には縄文の森も再現され、秋には収穫し
	たドングリなどの実がプレゼントされる。土器や土偶やペンダントなどの製作が可能な縄文工房(要予約)も併設されてい
	るそうだ。
	アクセス : 東北自動車道十和田ICから国道103号を十和田湖方面に5km走った下川原を右折、鹿角広域農道を2
		   km行く。JR鹿角花輪駅から秋北バス大湯温泉行きで30分、環状列石前下車すぐ。または、JR十和田
		   南駅からタクシーで15分。

	<参考文献>
	このホームページの製作にあたっては以下の文献を参考にした。また、多賀さんからご提供頂いた写真以外の資料・写真は、
	これらの文献から転載させていただいた。記して謝意を表明したい。

	「日本の古代史と遺跡の謎」株式会社自由国民社 1998年6月10日発行。
	「写真と図解日本の古墳・古代遺跡」(株)西東社 1999年11月10日発行。
	「全国訪ねてみたい古代遺跡100」成美堂出版 2000年2月20日発行。監修岡村道雄。
	「全国古代遺跡古墳鑑賞ガイド」株式会社小学館 2000年3月20日発行。監修小林達雄。







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