Music:  夜明けのスキャツト
北海道南茅部町 2001.6.30

 






	縄文時代の大集落 ”大船C遺跡”

	大船C遺跡は北海道南部にあり、函館市の東、大船川左岸の海岸段丘(標高42〜47m)につくられた、縄文時代前期末から中
	期末までの約千年間にわたる遺跡である。平成8年度の約3,500平方mにおよぶ発掘調査で、大型の竪穴住居を含む92軒の竪
	穴住居や盛土遺構などが発見され、北海道を代表する重要な遺跡であることが判明した。 遺跡の主体部はまだ西側に広がっ
	ていることから、遺跡全体は非常に大規模な集落になるものと予想される。





 

 

 

 


	遺跡の主な特徴は、

	@.竪穴住居の規模が全体的に大型で、なかには深さが2mを超える竪穴住居が発見されていること、
	A.集落も、これまでに100軒を超える竪穴住居が見つかるなど、非常に密度が高いこと、
	B.縄文時代の廃棄(儀礼?)の場所と考えられる盛り土遺構には、当時の食べ物として利用した動物や植物の
 	  痕跡が残っていて、縄文時代を知る貴重なタイムカプセルとなっていること、

	などが挙げられるが、これらはそっくり青森県三内丸山遺跡と共通する特徴である。つまり、縄文時代中期、津軽海峡を挟
	んでこの辺り一帯に一大縄文王国が繁栄していたと類推できるのだ。実際、この遺跡が栄えた時代は、東北北部と北海道南
	部に共通した文化圏が存在していた事が知られているが、クジラやオットセイなどの海獣骨が出土するなど、北海道独自の
	食文化も存在していた。

	遺跡そのものは、雪や霜による崩壊を防ぐため、平成9年1月埋め戻されたが、一部見学用に保存処理がほどこされて残って
	いる。遺跡のすぐ横に展示室が設けられ、出土した遺物の一部が展示されているが、この地方に芽生えた縄文の息吹が感じ
	られる素晴らしい出土品であふれている。



 



 




	縄文時代の竪穴式住居跡は通常、深さ0.5m、長さ4〜5mというのが相場であるが、ここの住居跡には、深さ2.4m、長さ8〜11m
	という大型のものがある。見ていただいて分かるように、とてつもない深さであるし、柱穴も通常より一回り大きい。
	柱の材質は他の縄文遺跡と同様クリの木が多く用いられているが、この大きさと深さから、二階建て住居を指摘する声もあ
	る。また三内丸山遺跡同様、大型の集会場ではないかという意見もある。





 




	この遺跡から出土した発掘品の総数は約18万点で、その多くは住居に破棄されたものと思われる。トレンチ調査の結果、盛
	土遺構には膨大な遺物が包蔵されていることが判明したが、現在は未調査のまま保存されている。出土遺物の中には、土器
	や石器の他に、ミニチュア土器や漆器、垂飾等精巧なものも発見されている。
	また当時食料としていた、クジラ・マグロ・シカ等の骨も出土している。墓坑からは、副葬された個体土器や「10才前後の
	男の子」と判定された歯も見つかっている。





 

 

 










	南茅部町と縄文文化
	
	南茅部町は渡島半島南東部の噴火湾に面していて、東西33.3キロm、南北12キロmに細長く延びた町である。冬は温暖な気
	候のため北海道の中でも過ごしやすい地域であり、本州に近いため初夏には梅雨もある。近世以来、海を生活の場として良
	質な真昆布や大謀網による漁業が盛んである。特に天然昆布の採取は夏の風物詩で、最も浜が賑わう季節を迎える。バスに
	1時間乗れば函館市街へ出、函館空港へは35分である。湯ノ川温泉が函館市郊外にあり、私が泊まったホテルの屋上露天風
	呂からは、函館空港の滑走路のライトが美しかった。





	この地方は豊かな食料資源と気候温暖な海山に囲まれて、かつ多くの小河川を持ち、縄文人の生活が安定して営める環境を
	相当昔から維持してきたものと考えられる。この地にはじめて縄文人が住んだのは、今から約9,000年前で、「川汲遺跡」
	ではその証拠となる押型文系の土器と竪穴住居が発掘されている。その後「縄文海進」と呼ばれる温暖化現象の中で、前期
	・中期を代表する「ハマナス野遺跡」や「臼尻B遺跡」「大船C遺跡」といった大規模な集落が形成される。また、後期・
	晩期になると、人々の精神文化は高揚し、土偶やストーンサークルが作られるようになる。交易も盛んになり、ヒスイやア
	スファルトも遠隔地から入ってくる。通算すれば縄文時代早期から晩期に至る、約 7,000年間にわたって連綿と縄文文化が
	栄えていたのだ。










	この町のなかには、これまでに88ケ所の遺跡(埋蔵文化財包蔵地)が確認されていて、その面積は延べ150万平方mに及び、
	大部分は縄文時代の遺跡である。これらは昭和38年の函館中部高等学校による「黒鷲(くろわし)・八木遺跡」の発掘以
	来、30遺跡以上が調査されて多くの竪穴住居跡や多数の遺物が出土している。昭和48年には国庫補助事業として「ハマナ
	ス野遺跡」が本格的に調査され、以後約25年間発掘調査は継続されている。
	これまでに各遺跡から発掘された出土物の総数は400万点を超えている。調査の結果、「川汲(かっくみ)A遺跡」出土
	の道内最古級の土器や、縄文時代の前期から中期にかけての「ハマナス野遺跡」や「臼尻B遺跡」などの大規模な集落跡の
	発見や、さらにヒスイ製の玉や、「豊崎N遺跡」や「磨光(まこう)B遺跡」からは天然アスファルトや、専門技術者集団
	の存在を示唆するアスファルト工房跡などもが出土し、本州各地との交易を示す遺物が見つかるなど、考古学上貴重な発見
	が相次いでいる。







	縄文農耕の根拠となったヒエ・ソバの炭化した種子も「ハマナス野遺跡」から出土しているし、「臼尻B遺跡」から出土し
	た土器には、シカの絵が線刻されており、落とし穴でシカを取る様子を現わしたものとされている。なかでも昭和50年、農
	作業中に発見された「著保内(ちょぼない)遺跡」出土の中空(ちゅうくう)土偶は、中空土偶としては我が国最大の大き
	さという事もあって、国から重要文化財に指定されている。







	南茅部町では、定期的に以下のような刊行物を出して、この遺跡の新情報を報告している。大船C遺跡のすぐ側に「大船C
	遺跡速報展示室」が作られていて、その向いが「埋蔵文化財調査団」である。









この遺跡からの出土物は多くが以下の展示室に収容されている。すばらしい遺物のオンパレードなので、是非見て頂きたい。






















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