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現地説明会

奈良県御所市西北窪 2005.2.26(土)









		
		極楽寺ヒビキ遺跡を見てこっちへ移って来た。ほんの200m程しか離れていない。ヒビき遺跡よりも数mほど更に
		高台にある。こんな所に基壇・礎石を備えた大寺院があったなんて驚きである。しかも多くの専仏が出土し、下のよ
		うな、明らかに東洋人とは異なる顔つきの専(せん:土偏)仏が出土している。7世紀後半、飛鳥時代の寺院跡であ
		る。
					

出土した4種類のレリーフのうち、特に目を引くのが何体もの仏を配した「大型多尊仏」の一部とみられる、上の5 人の群像である。いずれも顔の彫りが深く、きらびやかな冠やネックレスを身につけ、異国情緒たっぷりだ。白鳳時 代の仏像の専仏は、近畿を中心に全国で出土例は100前後だが、その中でも今回の像は保存状態が良く、表情や衣 装の鮮明さは際だっている。確かにこの後で見た、葛城市の歴史博物館に展示されているものはすばらしかった。 特に、インドやペルシャの人を思わせる群像は目を見張る。5人の群像については、これまで国内での出土例がない。 7世紀末に粘土で作られた小さな仏に、当時の国際交流の痕跡が残るが、残念な事に相変わらず「写真撮影禁止」だ った。係員がベタリとガラスの展示ケースにへばりついていたので、盗み撮りも出来なかった。腹立つ。 自分たちが掘ったからと言って、写真撮影を禁止する権利がほんとに、奈良県立橿原考古学研究所にあるのだろうか。 埋蔵文化財は国民共通の財産ではないのか。所有権は国民にあるはずだ。撮影させないというのは、発掘の費用を負 担している奈良県民、ひいては日本国民に対する背信行為ではないか。これではいつまでたっても、国民の文化度は 向上しない。欧米に比べて、その柔軟性の無さ、文化度の低さに嫌気がさす。


ヒビキ遺跡の発掘現場から二光寺廃寺の説明現場へ向かう。左が反対方向の流れ。















		
		基壇の左側に掘ってあるこの部分は何だろうか。係員に尋ねたら「何でしょうね。」との事。土の色が廻りと変わっ
		ているから掘っただけのようだ。溝があり坑があり、この廃寺とは関係がないのかもしれない。








おそらく、今ビニールハウスになっている部分へも、この廃寺の領域は広がっているのだろうと思われる。











		
		レリーフ下部の須弥壇(しゅみだん)部分の破片には年代を表す「甲午」の文字があり、694年の製作らしい。
		奈良県立橿原考古学研究所によると、同時期の夏見廃寺(三重県名張市、国史跡)の出土品や、奈良・唐招提寺に
		伝わる頭部が欠けた阿弥陀如来像(重要文化財)と同型とみられる。同研究所が、過去の出土品などをもとにした
		全体の復元図に今回の出土品を重ねてみると、中央の如来など11点がぴたりと一致したという。同じ型からいく
		つものコピーを造ったもののようだ。

		【須弥壇(しゅみだん)】 仏教寺院の本堂や諸堂の正面に据えて、その上に御本尊その他の仏像を安置する大型
		の壇で、須弥山(しゅみせん)をかたどったもの。須弥山とは、仏教の宇宙観による「宇宙の中心をなす巨大な山」
		で、金輪の上の中心部に16万由旬(ゆじゅん=インドの距離の単位で1由旬は 40里)の高さにそびえ、その
		半分は水中に在るという。頂上には帝釈天の宮殿があり、山腹には四大王(しだいおう=帝釈天に仕え、仏法の守
		護を念願とし、仏法に帰依する人々を守護する護法神。四天王に同じ。)の住居がある。



		
		出土した瓦は、近隣の朝妻廃寺、高宮廃寺のものと同笵である。飛鳥の檜隈寺とも同笵がある。してみるとこれら
		の寺は、同時期か少なくともそれほど時期を隔てていないときに、一緒に建てられた可能性がある。一体どんな人
		物達が建てたのだろう。葛城氏は没落してもこの地にはなお、まだこんなに凄い寺を建立する勢力があったのだ。



		
		前述の「5人の群像」専仏について、稲本泰生・奈良国立博物館企画室長(彫刻史)は「中国・唐では、玄奘三蔵
		がインドから持ち帰った仏像を原型にして摶(せん)仏を量産し、堂内を飾ることが流行した。今回見つかったも
		のは、遣唐使らが中国から持ち帰った仏像がもとになっているのでは」とみる。百橋明穂(どのはしあきお)・神
		戸大教授(美術史)は「ペルシャなどを連想させる群像の顔立ちは異彩を放っている」と話す。大脇潔・近畿大教
		授(考古学)は「首や肩は筋肉隆々で、2重の光背がある人物もおり、俗人でないのは確か。古代インドから伝わ
		る仏法の守り神である八部衆や十二神将かもしれない」と推理している。

		◆摶仏(せんぶつ:摶(専)の偏は土偏。中国では石偏。)◆ 
		粘土を金属の型に詰めて仏像を浮き彫りにし、焼き固めたもの。仏堂の内壁にたくさん張りつけて荘厳さを演出し
		た。国内では7世紀後半ごろに多く、奈良県明日香村の橘寺や川原寺のものが有名。
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遺跡出土を報じた新聞記事







		仏像レリーフ大量出土、異国風5人の群像も 奈良・御所  2005.2.23 Asahi.com
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		奈良県御所(ごせ)市北窪で、7世紀末の古代寺院の金堂とみられる建物跡が出土し、一緒に仏像の土製レリー
		フ(セン仏=「セン」は「土」へんに「專」)の破片約200点が見つかった。いずれも白鳳美術の逸品で、こ
		れまで国内で出土例がない異国風の顔立ちの5人の群像もあり、細部までくっきりと残っていた。県立橿原考古
		学研究所が23日発表し、古い地名から「二光寺(にこうじ)廃寺」と名づけた。 
		破片をつなぎ合わせたところ4種類のレリーフの一部とわかった。このうちほぼ全体の構図がわかる「方形三尊
		セン仏」(縦22センチ、横13センチ)は中央に如来、左右に菩薩(ぼさつ)が並び、空を舞う飛天も見える。
		阿弥陀如来の周囲に僧らが配された「大型多尊セン仏」(推定55センチ四方)の一部とみられる5人の群像は
		エキゾチックで、インドやペルシャの影響を指摘する専門家もいる。 
	
		百橋明穂(どのはし・あきお)・神戸大教授(美術史)は「如来や飛天からは大陸の影響を受けた当時の白鳳美
		術らしさが伝わるが、西域を思わせる群像の顔立ちは異彩を放っている」と話す。 
		現地説明会は26日午前9時半〜午後4時。近鉄忍海(おしみ)駅から奈良交通(0742・20・3100)
		の有料専用バスが運行。北東約200メートルで見つかった「極楽寺ヒビキ遺跡」の説明会と並行して開かれる。
		 (02/23 22:16) 

		
		摶仏が出土した二光寺=御所市北窪で、本社ヘリから。
		  
		二光寺廃寺から出土した大型多尊せん仏の一部とみられる群像=奈良県立橿原考古学研究所で(左)。
		二光寺廃寺から出土した方形三尊せん仏=奈良県立橿原考古学研究所で(右2)。




		飛鳥時代の廃寺からレリーフ状の仏像出土・・・奈良 (2005/2/23/20:51 読売新聞)
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		奈良県御所市の寺院跡、二光寺(にこうじ)廃寺で、7世紀後半の粘土を焼いたレリーフ状の仏像「セン仏(せ
		んぶつ)」の破片約200点が出土したと、県立橿原考古学研究所が23日、発表した。異国風の顔立ちをくっ
		きりと刻んだものもあり、国際色豊かな白鳳美術を象徴する発見として注目される。 
		異国風の人物を刻んだセン仏の破片は、復元すると55センチ四方に達する大型のもの。中央にあったとみられ
		る阿弥陀如来(あみだにょらい)を守る神将5体が刻まれ、端の跳ね上がった口ひげ、出っ張ったほお骨、太い
		鼻と大きな耳など、エキゾチックな顔立ちが確認できる。694年を示す「甲午」の文字が刻まれた破片もあり、
		このころ制作されたものとみられる。 

		肥田路美(ひだ・ろみ)・早稲田大教授(東洋美術史)は「顔つきはインド風に見えるが、唐や新羅の影響も感
		じられる。国際的な要素がぎっしり詰まっており、渡来系技術者が作ったのだろう」と推測している。(センは
		土ヘンに「専」の旧字体) 




説明会後の新聞記事

		
		2遺跡説明会に4千人の考古学ファン 極楽寺ヒビキ遺跡  二光寺廃寺  
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		御所市南部で見つかった重要な二つの遺跡を見ようと、26日に同時開催された現地説明会と遺物展示会は大勢
		の考古学ファンでにぎわった。小雪が降り続く中での説明会は、午後4時までに約4千人が訪れた。
		2遺跡は、5世紀前半(古墳時代中期)の巨大な建物跡が出土した極楽寺ヒビキ遺跡(同市極楽寺)と、7世紀
		末の寺院金堂跡で仏像の土製レリーフせん仏(ぶつ))片が大量に見つかった二光寺廃寺(同市西北窪)。

		現場では、遺跡の写真や解説を載せた県立橿原考古学研究所のカラーパンフレットが無料で配られた。
		見学者は、まず極楽寺ヒビキ遺跡まで歩き、柱穴がいくつも並ぶ大型建物跡の様子などを見学した。夜行バスで
		駆けつけた東京都板橋区の会社員白鳥三保子さん(57)は「建物跡が思った以上に大きい。驚きです。大豪族
		の資金力を感じますね」と話していた。
		見学者はその後、竹やぶや田畑を通って約200メートル西南にある二光寺廃寺に移動。整然と並んだ基壇の礎
		石を見ながら、研究所員の説明にうなずいていた。

			 
			極楽寺ヒビキ遺跡の現地説明会には多くの人が訪れた=御所市極楽寺で(左)。
			二光寺廃寺に方形三尊せん仏などに見入る人ら=葛城市歴史博物館で(右)。

		二光寺廃寺から見つかったせん仏や瓦は葛城市歴史博物館に展示された。訪れた人らは、くっきりとした表現の
		阿弥陀如来像などに「お顔がきれいやね」などと見入っていた。(2005.2.27 Asahi.com)

		
		奈良・二光寺廃寺 六尊連立の「せん仏」出土  Yomiuri-online
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		異国風の顔立ちをしたレリーフ状の仏像「■仏(せんぶつ)」が出土した奈良県御所市の二光寺廃寺(7世紀後
		半)で、これまで例のないほぼ完全な形の「六尊連坐(れんざ)■仏」(縦12センチ、横11・5センチ)

				 =写真=

		を確認したと、県立橿原考古学研究所が4日、発表した。
		出土した破片約200点を調査中に発見。6体の如来が上下2列に座ったデザインで、所々に数ミリ単位の金箔
		(きんぱく)が残り、寺の堂内を豪華に装飾していた様子をうかがわせる。
		6体が立って並ぶ「六尊連立■仏」(縦16・5センチ、横10センチ)も完全な形で確認。■仏は5〜27日、
		同研究所付属博物館で展示する。月曜と22日は休館。

		■=   (2005年3月5日)



参考資料































邪馬台国大研究・ホームページ / 遺跡めぐり / 二光寺廃寺