Music: 雅曲

再び出土!出雲大社境内遺跡(巨大心御柱出土)
2000.10.21(土曜) 島根県大社町





	
	これは何としても見なければと、大阪から4時間半車を飛ばして見に来た。出雲はちょうど「神在月」で、各種団体客で
	ごった返していた。今月上旬の鳥取大地震は、マグニチュードの割には死者が一人も出なかったというので世界初めてと
	か騒がれたが、それは出雲に日本中の神様が集まっていたからだ、という記事が新聞に載っていた。さもありなん。

 


	どうしてここまでと思うほどのばかでかい注連縄。本殿前の玉砂利もソフトボールほどの大きさだし、出雲大社はとにか
	く何でも大きい事を大事にしたようだ。

  

 





 




	4月に発掘された「宇豆柱」(うずばしら)、「側柱」(そくばしら)は、来週( 10/22〜)から堀りだして保存する作
	業に入るそうである。「心御柱」はまだしばらく出土したままの状態らしいが、やがて程なく同じ処理をされるのだろう。
	今回までで一応発掘は終了だそうである。前回もそう聞いたが、今回はほんとに終了のようだ。もう後の柱は全て建物の
	下なのだ。今回も「八足門」の際まで掘っている。

 

黄色い枠内が今回出土の「心御柱」の位置。

 


	「八足門」川から見た「心御柱」。保存のため水に浸してある。「金輪造営図」の通りに掘ってほんとにそこにあった。
	48mの神殿。一体何人の人夫や大工達が働いた事だろう。何度も倒壊して、その度に立て直した執念は、確かに「出雲
	教」とでも呼ぶべき特別な思い入れがなければ不可能な作業のような気もする。



 

 



出雲大社の近くに「島根ワイナリー」があって、島根ぶどうで造った
ワインの試飲やバーベキューの設備がある。やや甘口のワインが多かった。






心御柱出土に関する新聞記事・研究者意見



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出雲大社境内遺跡で「心の御柱」出土
 平安後期から鎌倉(十一−十三世紀)にかけての本殿の柱が見つかった、島根県大社町杵築東の出雲大社境内遺跡で、九本柱の中央に位置する心の御柱(しんのみはしら)と、南東にある側柱(がわばしら)の根元部分(柱根)が出土した。今年四月に出土した宇豆柱(うずばしら)と同様、三本の巨木の丸太を束ねていた。柱の間隔から本殿の遺構は、類例の少ない横長の長方形と判明。束ねた丸太の配置では、設計図とされる「金輪(かなわ)造営図」と食い違いが見られた。本殿の形状や建築様式をめぐり、新たな議論に発展しそうだ。同町教委が七日発表した。
 心の御柱と側柱は、宇豆柱と同じ平安期の地層から出土。だ円形の杉材が三本束ねられ、これまでの計測では、心の御柱に使われていた丸太一本の最大径は上層部で一・二メートル、側柱は〇・八五メートル。地中部分を想定すると心の御柱は最大三・二メートル前後で、宇豆柱(三メートル)、側柱より大きい。
本居宣長が書物「玉勝間」で著した出雲大社の建築様式「金輪造営図」の本殿は、柱同士が等間隔の正方形。宇豆柱と心の御柱、側柱の間隔から、本殿を構成する九本の柱は幅一三・四メートル、奥行き一一・六メートルの横長の長方形に配置されていたとの見方が新たに出た。 同町教委は、金輪造営図に基づくとすれば、側柱を内側に傾け、本殿の床面で正方形になるよう調整したのではないかとみている。  一方で、柱を構成する丸太三本は、心の御柱、側柱とも三角形の頂点を北側に向けており、金輪造営図の配置と異なる。このことから同町教委は、今回の遺構は図に描かれた本殿と別のものとの可能性も示した。柱の上面からは、建築の際に使ったとみられる鉄製品約三十点が出土。幅七センチ、長さ二十七センチの帯状金具は、形状から部材三本を束ねた鉄の輪の可能性も考えられる。「金輪の造営」という独特の工法を裏付ける重要な史料。ほかに、巨大本殿の規模を連想させる幅三センチ、長さ四十センチ以上もある大型の角くぎも出土した。
 同町教委は、出雲大社の地下室工事に伴う調査で宇豆柱を発掘後、学術調査を開始。金輪造営図の配置に基づき、心の御柱の発掘を目指していた。宇豆柱は保存に向け、今月下旬に取り出し作業に入る。同遺跡は、取り出し作業の始まる今月下旬まで、毎日午前九時から午後五時まで一般公開される。
(山陰中央新報 2000.10.8) (C)Copyright 山陰中央新報社


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上田正昭・京大名誉教授(日本古代史) 太く高く至上命令
古代、柱は神々の住む天と、人間の住む地上を結ぶ架け橋であり、神を呼ぶアンテナの役割を果たした。八百万の神々を統率する出雲大社の祭神、大国主命の面目にかけても、心御柱を太く、高くそびえさせることが至上命題だったと思われる。縄文時代に起源を持つ神柱信仰が、平安時代にはっきりとした形で生きていたことを示す大変な発見だ。
(朝日新聞 2000.10.8)

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浅川滋男・奈良国立文化財研究所遺構調査室長 建築法知る手がかり
前回の発見では柱の大きさに驚いたが、今回は「金輪造営図」どおり予想された位置から予想されたものが出た、という感じ。心御柱の大きさも十分で、柱の組み方や建物の建て方を具体的にイメージできるようになった。柱を取りあげる際に分かる柱穴の堀り方やその底からでてくる遺物も高層本殿の建築方法を知る手がかりになりそうだ。
(日本経済新聞 2000.10.8)












上の写真は、その後、知りあいの交野市の村田さん達が出雲大社を訪ねた(2004年)時のもの。
発掘現場は埋め立てられて、宇豆柱の跡はタイル(?)で位置表示がしてある。(上、左隅下)







	出雲大社の柱を保存処理 - 元興寺文化財研究所2012年2月16日 奈良新聞

	フレームごとウレタンに包まれて到着した心御柱=15日、生駒市元町の元興寺文化財研究所

	島根県出雲市の出雲大社で平成12年に見つかった高層社殿(鎌倉時代)の柱「心御柱(しんのみはしら)」(重要文化財)が、生駒市
	の元興寺文化財研究所で保存処理されることになり、1本目の柱が到着した。5年間かけて3本の柱を保存処理する。
	心御柱は境内施設の建設に伴って出土。直径約1・2〜1・4メートルのスギを3本束ねた状態で、巨大な高層社殿を支えたとされる。
	残存長は0・8〜1・4メートル。
	島根県埋蔵文化財調査センターの水槽で保管されていたが、公開にも耐えられるよう、同研究所で保存処理することが決まった。
	柱に含まれる水分をポリエチレングリコールと呼ばれる合成樹脂に置き換える。
	割れ目に詰まった土をはけなどで取り除いた後、別々の水槽で今秋から浸透を開始。柱全体を合成樹脂の水槽に浸け、約2年半か
	けて少しずつ浸透させる計画だ。仕上げを含め、平成27年度の完了が予定されている。
	針葉樹のスギは広葉樹に比べて処理中の変形が起きにくいが、定点観察を続けて柱の状態をチェックするという。
	同研究所は大阪府藤井寺市で見つかった古墳時代の修羅(石などを運ぶそり)など、大型木製品の保存処理で実績がある。

	山田哲也・木器保存研究室長は「出雲大社の中心の中心にあった柱。保存処理に全力を尽くし、安全にお返ししたい」、植田直見
	・研究副部長も「これまでの経験から2年半という浸透期間を決めた。最善の努力を尽くす」と話している。
 




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