Music: Anna
藤ノ木古墳発掘状況
奈良県斑鳩町教育委員会発行「斑鳩藤ノ木古墳」より転載(写真・文とも)


【遺物の出土状態】
出土した遺物は、土器・馬具・桂甲札・銑鉄がそのほとんどである。破片を含めると総数は約3000点だがこのうち土器は、須恵器と
土師器の約60個体で、石室の右袖部にかたまって出土した。 馬具類と桂甲札は、奥壁と石棺の80cmの聞から出土した。馬具は鞍金
具がそのほぼ中央部分から、周りに杏葉、歩揺付鯖金具が散乱し、奥壁寄りから鐙と障泥が検出された。桂甲札は全面にわたって出
土した。
銑鉄は、石棺と石室東壁との隙間(約20cm)から5群以上が出土した。これらの出土状態は、後世に撹乱をうけたため整然とした配置
ではなかったが、ほぼ副葬時の位置にあるものと推定される。
【石室・石棺】
石室は両袖式の横穴式石室である。玄室の両側壁は基本的に5段積みで、奥壁と天井石は巨石を使い、天井は3石で覆っている。石室
壁面はほほ垂直に積み上げる技法を用いている。床面は玄室、羨遣ともすペて轢敷きであった。石室の全長は約13.9mで、全国的に
みても大型である。石棺は二上山鬼無撃c岩を使った判抜式家形石棺で、董の両側に縄掛突起が各2個つくりだされている。6突起型が
多いなかで、4突起型は数少ない例である。蓋の幅および身幅は、向かって右側(東)が広いので遺体は東枕に安置きれたものと考え
られる。
石棺全面に朱が塗られているが、天井からの漏水にょってかなり退色している。石棺の蓋は動かされた形跡のない状態で見つかった
ので、今後の調査が期待される。

【ファイバースコープ(内視鏡)調査】
外見からは未開棺とみられる家形石棺の内部の状況を把握するため内視鏡で観察する方法をとった。調査の目的は棺内の遺物の有無
とその性格(有機賃か無機質のものかなど)を知り、開棺にむけての準備、もしくは保存対策を考えるためである。ファイバースコ
ープを挿入する場所は石棺をできるだけ傷つけないためと調査の目的から見て、身と蓋の空隙で抹すこととした。
観察の結果、石棺の蓋と身の問には1〜2mmの空隙はあるが、8mmの管が通る箇所はなく、石棺の東端から60〜70cmのところにかっ
て蓋を壊そうとした痕跡があり、そこで最も破壊の著しい部分、63cmの点に穿孔した。この南側壁の厚さが約18・5cmであることか
らみれば、穿孔部の厚さは約10cm前後である。この箇所は石棺の規模から見ても、被葬者の首から胸のあたりに位置すると考えられ、
結果的にも望ましいところであった。
当初は映像で遺物がとらえられない場合は、西端近くにもう一ケ所の観察地点を考慮していたが、所期の目的は達成されたため新た
な穿孔は中止した。調査は約8mの穴に7.9mmの硬性鏡、5.9mmのファイバースコープを挿入し内部の観察を行った。

【第3次調査】調査の経過
昭和63年5月9日から7月8日まで行った墳丘の確認と、ファイバースコープによる石棺内の状況を知る第2次調査に引き続いて、同年9月
30日から12月28目までの3カ月間にわたって第3次調査(開棺調査)を実施した。調査に先立っては、実測図にもとづいて作成した石
棺蓋を使用した開棺実験を9月19日に行った。


今回の調査の目的は、棺内通物の調査とその保存、石棺の構造を知ることにあったが、作業は9月30白から石室内を閉塞していた土嚢
袋を取り出し、実験時に使用した鉄骨を石室内に組立てることから開始した。開棺に取りかかったのは10月7日の午後で、石棺の両側
面と石室とのあいだは広くとも20cm足らずしかないため作業は困難であったが、蓋の四面に鉄板で作成したチャンネルを組み、ボル
トで蹄め、四っの縄掛け突起の下あたりにとりつけたジャッキを利用して少しずつ上げていった。

まず5cm上がったところで、棺内遺物の保護のためアクリル板とベニヤ坂を挿入した。さらに10cmばかり蓋が持ち上がったところで
2杖の板を入れ、そこヘロープをかけ、鉄骨に取り付けてある滑車を利用して吊り上げ、石棺身の手前に安置した。 右柁内には平均
10cmの水がたまり、水面には大小370個の有機質のかたまりが浮遊していた。遺体に着装した衣服と、それを覆う繊維製品などが乾燥
したのち浸入した水の上に浮かんだものとみられる。壁面に付着する繊維製品の断片から、ある時期石棺内は満水状態であったこと
も観察された。 作業は浮遊物の取りあげから始め、水抜き、洗津を進め、石棺内の埋葬時に近い状況があらわれたのは10月26目で
あった。棺内は水位の上下にともなう若干の遺物の移動はあったものの、はぼ当初の姿を保っていると見られ、さらに披葬者が二体
ということもあり、作業には慎重を期した。

棺内には遺物の重なりが多いため、写真測量に伴う撮影は予定をオーバーしたが、カラー写真を併用して遺物のとりあげを進めてい
った。その都度できあがるエジット図と実物大の現状で作業が可能なものはできるだけ薬品を使用しなかったが、遺存状態の良好で
ないとりあげ困難なもの、たとえば大刀類、玉類などにはNADを塗布してとりあげた。



棺内通物の調査を終了したあと、石棺内面の実測、観察を終え、棺内に南、北それぞれの被葬者の遺骨の一部を骨蔵器に納め、調査
記録を記した銘坂と共に安置した。閉棺作業は12月26日におこない、その後石室内の補足調査等を実施し、28目に閉塞のための土嚢
を積み、現地調査をすべて終了した。

【撚紐】(復原最大の長さ8cm)
二本の絹糸を左(Z)方向(一部に、右(S)方向に撚ったものがある)に撚ったものであり、各色に染色したものを6本揃えて2つに折
り曲げて、配色の効果をねらったもので、この上に「円形金銅製品」がつけられ、掛け布の上を飾ることになる。
【掛け布】一部の断片、現状の横方向の畏さ4.5cm)
遺骸の上を被っていた被い布(遺骸布)で、棺の浮遊物のなかに断片化したものが、多く含まれており、細片化した状態で出土してい
る。すべてが断片であるために、原形を復原することは難しいが、椙綿の詰ものをもち、その上を経錦が被い、その布の縁には、「吹
き出し」のように重ね色目にした平絹、簡単な幾何文様の帯になった「繍」、などがある縁純りとみられ、掛け布の全面には、円形金
銅製品をもっ撚紐の垂飾りが、一面に綴じつけられている。その大きさは、円形金銅製品の棺中の分布状巻から、棺のなか一杯につめ
こまれた状態にかけられていたとみられる。〔註〕ここでは一部の出土遺品のみを掲げ、染色遺物の全体については、報告書にゆずる
ことにする。
以上、奈良県斑鳩町教育委員会 昭和61年2月15日発行「藤ノ木古墳調査概報」及び、平成3年3月12日発行「藤ノ木古墳第二次・三次調
査概報」より抜粋。
邪馬台国大研究・ホームページ /遺跡案内/chikuzen@inoues.net