富士見市は、武蔵野台地と荒川低地に広がり、縄文時代には低地は海であった。「縄文海進」と呼ばれる海岸線の退行は、 同時代前期( 5500ー6000年前)東京湾が奥深くこの辺りにまで到達していたのである。人々は海の幸を求めて海岸線近くに 集まり生活していた。その生活の痕跡は貝塚となって各地に残っている。この水子貝塚は、小さな貝塚が集まった貝塚群の 遺跡である。
昭和12年(1937)の発見以来数回の発掘調査で、縄文時代前期に竪穴式住居の跡に捨てられた貝塚が小貝塚を形成し、それ らが環状に分布する集落跡である事が明らかになった。遺跡の保存状況も良く、昭和44年に国指定の史跡となった。住居跡 からは、シジミを中心にハマグリやカキなどが混じる貝塚が発見され、平成3年から5年にかけて行われた富士見市教育委員 会による調査では、15号住居の貝塚の下から30代と思われる女性の屈葬人骨と、脇の柱穴から若い雄犬の骨が出土している。 縄文時代のヒトと犬の関係が窺える。