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峯ケ塚古墳
2000.Oct.15 大阪府羽曳野市軽里2丁目



	羽曳野に幾つかの天皇陵を見に来てこの古墳の事を知った。歩いていて、ふと側にあったので何気なしにカメラに
	納め、帰ってきて調べると大変な古墳だった。以下の記事にあるような「大王級」の墓だった事も勿論だが、その
	発掘調査のあり方を巡って色々と論議を呼んだ古墳なのだった。しかし私にとっては、この古墳が「ヤマトタケル」
	の墓と地元では伝承されていた、という事のほうが遥かに興味深かった。それなら今の「白鳥陵」は一体誰の墓な
	んだ?




 












	奈良大学の水野正好教授(当時)は、この古墳の被葬者について仁賢天皇陵の可能性を主張し、奈良県教育委員会の
	泉森氏は「雄略期から継体期の大王の墓に間違いない。」と断定している。古墳の規模、副葬品から推測すると大王
	墓(天皇陵)がふさわしいという事のようだが異論もある。また国の史跡がさしたる予備調査もなしに発掘されてし
	まった事に対して、一部それを憂える報道もあったようだ。文化庁は、「あくまでも公園化のための調査発掘」とし
	て、「石室の発掘が目的ではない」と以後の発掘を許可しなかったため、中途半端な発掘結果に終わっている。





北側は史跡公園として大分整備されている。立て看板の内容は
南側にあるものと同じだったが、発掘時の写真が付いていた。

 















誉田御廟山古墳・・・・・・・・・応神天皇陵


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