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大深山遺跡 2002.5.6(月) 長野県川上村




	
	昨夜の宿、野辺山のペンション前で記念撮影をして野辺山の天文観測所を訪ねた。今までにも2,3回来ているが、セガレ
	はまだ子供だったし記憶にないというので、再度訪問した。それから野辺山・清里あたりをうろうろしてからこの遺跡を訪
	れた。







	千曲川の源流、標高1300mに栄えた縄文遺跡の楽園生活
	● 長野県南佐久郡川上村「史跡大深山(みぶかやま)遺跡」●
	
	<遺跡の概要>


	
	最近まで出土品は、遺跡より徒歩20分の所にある大深山考古館に収容・展示されていたが、川上村文化センターの開設
	(平成7年10月)にともなって大深山考古館は閉鎖され、収蔵されていた文化財はすべて文化センターに移され、平成
	14年現在そこに展示されている。但し考古館の建物はまだ遺跡の側にちゃんと残っているので注意を要する。閉館中と
	あるが最初休みかと思ってしまった。



 

 







	<豊かな食糧源のある森と川>
	千曲川の近くの山中、全国の遺跡の中でも最も高い1300mの高地に栄えた大深山遺跡。現在、遺跡の周囲は鬱蒼としたカラ
	マツ林におおわれている。古来この一帯は、栗の大木に覆われた胡桃や楢の密集地帯であり、野ぶどう、あけび、しらちく、
	まつたけ、くりたけ、しめじなどが自生していた。さらに遺跡に近い西原沢川には岩魚が群れ、遙か下の千曲川には鱒など
	が上り、シカ、クマ、キツネ、タヌキ、ウサギ、キジ、山鳥などの当時は多くいたと推測され、縄文人にとってこの場所は、
	安住するのに恵まれた環境であったと想像できる。縄文時代には、クリの大木やクルミやカシも密生していただろう。
	豊かな自然に囲まれていた遺跡は、鱒やイワナ、野鳥などの豊富な食糧に恵まれて、高度な文化を発達させた。

 

 

 

 

	<森林浴をしながら巡る>
	集落は天狗山の南斜面を利用して建設された。南端が1本の溝で仕切られた遺跡を森林浴をしながら巡ると、密集した50
	ケ所もの住居跡があり、内部の炉の配置などを見学できる。復元された山岳の縄文集落の住居は珍しく、縄文中期から後期
	に向かう気候の寒冷化のなかで生活した人々の様子が伝わってくる。
	遺跡の反対側、山の斜面の植林されたカラマツ林の中に、村が作ったミニ・ゴルフコースがある。木々の間をぬって歩くミ
	ニミニ・コースだが、遺跡のさらに上部には本格的なコースがあり、とてもこんな林の中のやりにくい所には誰もこないだ
	ろうという気がする。それより、遺跡跡をもっと整備した方が人を呼べるのではないだろうか。しかし、森林浴に浸りたい
	向きには絶好のオアシスかもしれない。

 

 

 

 

	<非対称の土器の魅力>
	オリジナリティーにあふれた多様な遺物の出土が、大深山遺跡に栄えた独特の山の縄文文化をうかがわせる。とくに縄文中
	期独特の、隆線で模様を描き出す土器には魅せられる。非対称の釣手土器、人面を思わせる香炉形土器、精微なアンホラ型
	の把手付土器などのデザインには、尖石遺跡などの八ケ岳西山麓圏の土器とは一味違う趣がある。人面把手付土器のレプリ
	カを買ってしまった。信州から甲州にかけての中日本地域一帯の土偶や人面土器は非常にユニークである。山梨県の釈迦堂
	遺跡から出土する土偶の顔は、ここの遺跡の人面土器とよく似ている。




	
	<発掘の歴史>
	昭和8年、牧場の柵として土塁を構築中、掘削した約1mの地中から瓶の破片が無数に出土したが、当時はそれが何である
	か判明しなかった。それから20年後の昭和28年、高校生が同所で土器の破片を発見したのをきっかけに、考古学に興味
	のある地元の同好者数人が初めての発掘調査を行った。その結果、炉址、土器、破片などを発掘。6年後の昭和34年には、
	地元観光協会10余名の有志が発掘調査を行い、鉢、土器、石器などを発掘した。
	そして翌昭和35年から数年に渡り、東京大学講師八幡一郎氏の指導により本格的な調査が始まった。その間、昭和38年
	にはアメリカ・スミソニアン研究所国立博物館のエヴァンス博士が当遺跡を視察し、持ち帰った木炭の放射性炭素を測定し
	た結果、現在より約 4,580年前の遺跡であると判明した。また、昭和39年には三笠宮崇仁殿下が視察され、地元の人々の
	努力を賞賛し、自身でも住居址や石棒を掘り出した。その後、昭和40年に国指定の史跡となり現在に至っている。

 

 

上右が、今は閉鎖されている「大深山考古館」。まだ道に看板もあるので来てしまう。











	
	今年の連休もこれで終わりだ。野尻湖のナウマン象博物館からはじまって、森将軍塚古墳、井戸尻遺跡、鷹山遺跡、そして
	この大深山遺跡と主に縄文遺跡を中心に信州の遺跡巡りを楽しんだ。雨は初日だけで、2、3日目はカラリと晴れ、北アル
	プス、八ケ岳がきれいに見えた。菅平、野辺山のペンションは食事もうまく、野辺山ではパラボナアンテナを見て高原のア
	イスクリームもうまかった。帰りの中央道からは南アルプス、中央アルプスもくっきりと見えて大満足。

	つらつら鑑みるに、人間のいとなみとは何とすばらしく、愛すべき要素に満ちあふれているのだろうと思う。勿論、実際自
	分が石器時代や縄文時代に生きていたら、その生活の悲惨さや困難さは筆舌に尽くしがたいものがあるのだろうとは想像で
	きるし、古墳時代の豪族の一人だったりしたら、首をはねられて悲惨な最期を遂げているのかもしれない。しかし、それら
	をひっくるめて、大きな時の流れの中を流れてきた壮大な一編の物語として歴史を見るとき、あまりにもエキサイティング
	で興味深い内容に、ついつい想像力の世界にのめり込んでしまうのである。


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