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三重県松阪市・宝塚古墳 2000.11.23 郷土の文化財を訪ねる会・11月例会 2003.6.7 歴史倶楽部第73回例会





三重・宝塚古墳から船形埴輪が出土  Asahi.com 2000年4月11日
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 三重県松阪市宝塚町から光町にまたがる国の史跡「宝塚1号墳」(5世紀初頭、前方後円墳)から、国内最大の船形埴輪(はにわ)が出土した。同古墳を調査している同市教育委員会が10日、発表した。
 全長140センチ、高さ90センチ、最大幅25センチで、ほぼ完全な形で復元されている。船上には、船首から順に王の権威を象徴する大刀(たち)、威杖(いじょう)、蓋(きぬがさ)がマスト状に立つ。同様の装飾船は、珍敷塚(めずらしづか)古墳(福岡県吉井町)の石室壁画や、東殿塚古墳(奈良県天理市)の円筒埴輪に描かれた線刻画などでは確認されていたが、実際に埴輪として出土するのは、初めて。八賀晋・三重大名誉教授(考古学)は「全国でも最高水準の埴輪資料」と評価している。(09:51)





松阪市宝塚1号墳

	ヤマト政権の伊勢地方の重要拠点の王墓を発掘(宝塚1号墳) H12.4.19更新 調査概要

	1.遺跡名  国指定史跡宝塚古墳(たからづかこふん)
	2.所在地  松阪市宝塚町、光町
	3.調査期間 平成11年6月〜平成12年3月
	4.調査面積 360平方メートル
	5.目的   宝塚古墳保存整備事業にともなう学術調査
	6.調査主体 松阪市・松阪市教育委員会
	7.調査指導 宝塚古墳保存整備指導委員会
	    委員長    八賀 晋(三重大学人文学部名誉教授)
	    副委員長   下村登良男(松阪市文化財保護委員会委員)
	  委員     山中 章(三重大学人文学部教授)
	  委員     小野健吉(奈良国立文化財研究所主任研究官)
	  オブザーバー 本中 眞(文化庁文化財保護部記念物課主任文化財調査官)
	  オブザーバー 谷本鋭次(三重県教育委員会生涯学習課文化財保護室長)
	  オブザーバー 山澤義貴(三重県埋蔵文化財センター副参事)
	8.検出遺構 古墳の埴輪列(はにわれつ)、葺石(ふきいし)および祭壇部とされる珍しい形の造り出し
	9.出土遺物 埴輪(円筒埴輪(えんとうはにわ)や朝顔形埴輪、様々な形象埴輪(けいしょうはにわ)

	10.概要
	○伊勢地方最大の全長111メートル
	 古墳時代の全時期を通して伊勢国最大の前方後円墳(ぜんぽうこうえんふん)・国指定史跡宝塚1号墳は、保存整備事業
	にともなう発掘調査により全長が 111メートルとなり、伊勢の王墓として圧倒的な規模をもつものであることが判明した。
	当古墳は、古墳時代中期初頭(5世紀初頭ごろ)の築造の首長墓(しゅちょうぼ)で、この時期の 100メートルを超える巨
	大古墳の発掘調査は珍しい。

	○土橋で結ばれた造り出しの全国最初の例
	 北側後円部(こうえんぶ)から前方部(ぜんぽうぶ)に屈曲したくびれ部付近では、墳丘と方形の造り出し(つくりだし)
	が土橋(どばし)によって結ばれる全国的に類例のない遺構(いこう)が確認された。これは造り出しという「祀り(まつ
	り)の空間」が定型化していく過程のものとして、また当時の古墳祭祀(さいし)の形態を考える上で極めて重要な発見で
	ある。

	○ヤマト政権につながる豊富な形象埴輪
	 今回の調査では、古墳を取り巻く筒状の円筒埴輪(えんとうはにわ)や口の部分がラッパ状に開く朝顔(あさがお)形埴
	輪のほか、盾形(たてがた)・家形(いえがた)・靫形(ゆぎがた)・囲形(かこいがた)、甲冑形(かっちゅうがた)・
	蓋形(きぬさががた)・大刀形(たちがた)といった、当時のものを形どった形象埴輪が出土している。これほど豊富な種
	類の形象埴輪が畿内以外の地域で見つかる例は珍しい。

	<まとめ>
	 時代背景から、宝塚1号墳の被葬者(ひそうしゃ)は、近畿地方とのつながりをもって、強い力で近畿地方から東に出る
	位置にある伊勢湾西岸の広い範囲を押さえる立場にあった人物と推定される。
	 また調査成果は、宝塚古墳整備指導委員会で検討し、今後憩いの場としての古墳公園づくり事業の資料として役立ててい
	きたい。

	(松阪市文化財センター発行:「宝塚古墳発掘調査概報」)







	「三重県松阪市黒田町ごけ山」の丘陵地に立地し、西から東へ伸びる山の尾根を利用して築造した古墳である。所在は松阪
	市宝塚町と光町である。1号墳は前方後円墳、2号墳は帆立貝式前方後円墳で、昭和7年に1,2号墳ともに国指定史跡と
	なり現在まで保護されてきた。平成11年6月から平成12年3月の期間、古墳の保存整備事業として、松阪市と松阪市教育委員
	会を調査主体とした発掘調査が実施され、その調査でともに5世紀はじめ頃の築造と判明した。

	1号墳は、後円部前方部ともに3段築成で全長111m、後円部経約45m、後円部高7.8m、前方部幅約54m、前方部長約41m、前
	方部高 4.8mを測る伊勢地方最大の古墳。円筒埴輪が下段2段のテラスに並べられている。葺石は各段の斜面に葺かれてい
	て、2段目埴輪列と葺石の間に細かい敷石が巡っている。主体部は未調査である。前方部と後円部のくびれ部分に、大きな
	方形の2段構造になった「造出し」(つくりだし:祭祀場と考えられている)があり、墳丘と土の陸橋で結ばれていた。
	造出しはその地形から、あることがほぼ想像されていたが、このような構造の土橋は我が国初出である。また造り出し部分
	の全容が明らかになったのもはじめてである。造出しの大きさは東西18m、南北16mを測る。この上部や周囲に船形、囲み形、
	家形、壺形などの埴輪が、ほぼ据えられた状態のままで並べられていた。








	埴輪の量も県下最多量で、出土量の多いものの中では最古の埴輪群である。全国的にも10例ほどしか無い珍しい囲み形埴
	輪は、通水・導水施設を現わしたものだと考えられている。造り出しの東側で1個、西側で2個発見された。東側のものは、
	四角の壁で囲んだ箱形をした埴輪で、内部には水路に関するものと思われる部分があった。上から見ると、上(かみ)から
	流れてきた水を溜める貯水池、そこからあふれ出た水を受けさらに不純物を除くような沈殿漕、そしてきれいな水を下(し
	も)へ流す排水路の3つの部分に分かれている。西側のものは井戸的なミニチュア土製品を伴って出土した。この水に関す
	るミニチュアを含む囲い型埴輪の発見は、歴史的に未だ確認がされていない。「まつり」の場でのみ用いられたものなのか、
	それとも実生活でこのような設備を用いており、黄泉の国にも必要であろうと副葬されたものなのか、今後の研究にゆだね
	られている。造出し部分の平坦部には、家型埴輪が多数並べられていた事が確認されている。





	この古墳を全国的に有名にしたのは、土橋もさることながら、巨大な船形埴輪の出土だった。船形埴輪は陸橋部の西側から
	出土し、ほぼ完全な形に復元できる日本最大の船形埴輪である。本体が全長140cm、高さ90cm、最大幅25cm、重量41.2kgで、
	底部は、前後2つある楕円形の円筒埴輪に差し込んでいる。船の構造は、船首・船尾部分が大きくせりあがった準構造船で、
	外洋航海ができる性能を持った船を模式したものと考えられる。2つの円筒埴輪台も含んだ総重量は71.7kgである。
	船には、威厳を示す太刀埴輪が船首に、蓋(きぬがさ)形埴輪は船尾に、王者が持つ威杖(いじょう)のようなものが中程
	に、また2本のマスト状のもの(従来石見形盾と言われたもの)も立てられていた。このマスト状のものはこれまで線刻絵
	画や壁画等の絵画では知られていたが、埴輪では分からなかった。今回の出土により、これまで不明だった古代の葬送儀礼
	に関する貴重な資料が得られたことになる。







	船形埴輪の構造は船体の船底部と側板が突帯で仕切られている。基部と側板は船首、船尾ともに大きくせり上がっており、
	船首と船尾付近に隔壁を造っている。隔壁はハート形を示して、線刻模様と4カ所に鰭(ひれ)を持ち、2カ所の孔(あな)
	が開いている。また底部の楕円円筒のタガから船本体にかけては赤色顔料(ベンガラ)が塗布されていた。
	この船形埴輪は、これまで近畿地方他から出土した埴輪に比べて極めて良好な遺存状態にあるため、今まで判明しなかった
	大型準構造船の構造は元より、琴柱形や蓋形埴輪などの威儀具とともに出土したことで、船形埴輪の持つ意味についても多
	くが明らかになった。
	船形埴輪が軍事力の象徴だけでなく、葬送儀礼にも首長の権威を示し、黄泉の国までその権威が及ぶように働きかけていた
	と推測される。この船形埴輪の出現は、古墳の埋葬者が強大な軍事力、技術力、航海術を持った人物で、この時代伊勢にも
	そのような豪族が出現していたことを窺わせるものである。




 


	貸し切りバス2台を仕立てて総勢約100人で宝塚古墳を見学。いつもの例会は7,8km〜10数km歩くのでお年寄りは比較的少な
	いが、今日は殆どバスで移動だし、おまけに数カ月前に発掘調査されたばかりの宝塚古墳なので参加者が多い。松阪市の埋
	蔵文化センターで一通り説明を聞いた後古墳に到着。幹線道路から一寸入った所で、路を挟んで両側に1号墳、2号墳と並
	んでいる。

 

 


	小高い丘である。殆ど登らない。道路から4,5m位高くなっているだろうか。勿論後円部の頂まで行けば、説明にもあるよう
	に7.8mとなる。

 



まさしく発掘真っ最中の現場である。至る所がビニールシートで覆われている。

 


	文化財センターでも説明してくれたオジさんが、ここでも引き続いて説明してくれる。よく見ると、冒頭の新聞記事で、記
	者会見しているのもこのオジさんだ。

 

造りだし部分は普通、全体が前方部と後円部のくびれでくっついているのだが、確かにここのは橋のように造られている。




(松阪市文化財センター配布の説明資料より)


	上の図右奥の、土橋のくびれ部分に船形埴輪が見える。この位置から出土した。説明では、まさに入江に入らんとしている
	船を表しているのではないかという事だ。その手前には家型の埴輪が見え、造り出し部全体を円筒埴輪が囲んでいる。「想
	像図」とはなっているが、ほぼ出土した位置のままに再現してみるとこうなるようだ。


 

 

 


	さかんに質問が飛んでいたが、「もうこれ以上掘らないのか?」という質問にオジさんは、「いゃあ、これ以上何か出てき
	たら私らもう寝る閑がありませんから。」と答えていたが、ほんとは文化庁から「ここまで」と指示が出ているようである。
	大阪羽曳野の「峯が塚古墳」と言いここと言い、国指定となっている遺跡について文化庁は何か今一つ中途半端なような気
	がする。「国の指定遺跡をブームに乗ってバカスカ掘り返すのは考え物だ」という声があるのは知っているが、しかし元通
	りに復旧するのだから、とことん掘った方がいいのにと思う。誰が葬られているのか、主体部も発掘すればはっきりするの
	にと思うが、宮内庁に遠慮でもしているのだろうか。もしここに「大王級」の人物が埋葬されていたら天皇陵比定がことご
	とく崩れる心配でもしているのかな。


 

 

 



その後雑誌(「アサヒグラフ別巻:古代史発掘総まくり2000」 2000.12.30朝日新聞社発行)に載った、覆われていない発掘現場。


(C)2000 Copyright Asahi Shinbun co.,



宝塚2号墳


	1号墳と道路を挟んだ反対側に2号墳がある。ここはまだ発掘されていない。発掘するかどうかはまだ決まっていないとい
	う。しかし、1号墳でこれだけのものが出土したのだから、という思いはみんな持っているはずだ。関係機関(文化庁?宮
	内庁?)との調整は色々と面倒なものがあるのは想像できるが、何とか発掘して貰いたいものだ。1号墳も、この造り出し
	部分の調査が終わったらこれ以上掘らないそうである。後円部に石室があるだろうとは想像できるが、発掘されなければ一
	体いかなる人物の墓なのかまるでわからないままで終わってしまう。

 






	大勢で来ると係の人から色々と説明が聞けるからいい。個人で来ると質問一つろくすっぽ答えてくれない事が多い。この会
	は年間 3,000円で毎月いろいろな遺跡めぐりが出来て助かる。今回は、大阪交野市の村田さんと知り合いになった。村田さ
	んもホームページを持っている。アドレスは以下。村田さんも私と同じEPSONのデジカメを持っていた。

大阪府交野市・村田さんのホームページ





	●入り母屋作りの家形埴輪出土 松阪の宝塚一号墳 「造り出し」祭祀の場 (伊勢新聞 2001年 3月1日)

	三重県松阪市宝塚町から光町にまたがる国の史跡「宝塚1号墳」(五世紀初頭)を調査していた同市教育委員会は二十八日、
	「造り出し」(東西十八b、南北十六b、高さ二b)と呼ばれる当時の祭祀(さいし)の場の東側部分で、「ひれ飾り」を
	付けた高さ七十五abの高床式入り母屋造りの家形埴輪(はにわ)と、柱状埴輪を門柱状に配して出入り口を表現したとみ
	られる埴輪列が出土したと発表した。柱状埴輪の存在が確認されたのは全国で初めて。
	辰巳和弘・同志社大学助教授は日本書紀の「高殿」の出現と位置付け、宝塚古墳保存整備指導委員会委員長の八賀晋・三重
	大学名誉教授は「祭礼の場所に入る結界。儀礼の精神的な面を具体的に示す素晴らしい事例だ」と、高い評価を示した。

		
		「祭礼の場への結界」/宝塚古墳 

	「大変貴重な資料」松阪市が会見 「ひれ」は王の象徴
	松阪市の国の史跡「宝塚1号墳」(五世紀初頭)を調査していた同市教育委員会は二十八日、松阪市役所五階で会見し、昨
	年十月に出土が報告された「導水」の施設を持つ囲形埴輪(はにわ)近くで、国内で初めて柱状埴輪の配列を確認したこと
	や、これまで二例ほどしか確認されていない「ひれ飾り」のある高床式入り母屋造りの家形埴輪や、二隻目の船形埴輪の出
	土などを報告した。柱状埴輪は、だ円筒形で長径三十三a、短径十七a、高さは推定で二十七a。「造り出し」部の東西両
	側から一対ずつ出土した。
	会見の冒頭で、同古墳の保存整備指導委員会委員長の八賀晋・三重大学名誉教授は柱状埴輪の役割を今回出土した高床式家
	形埴輪や、囲形埴輪への入り口の門に値する役目を果たすと述べ「祭礼の場所に入る結界」だとした。また、柱状埴輪が東
	西それぞれに配置していたことについては「造り出しそのものが神が古墳の主に対して祭祀(さいし)を行う場であるとい
	う意味がある」と語った。
	上部が山形になった柱状埴輪の造りについては「神はとがったものの上に降りるという意味合いから、このような造りにな
	ったのでは。今でいう門松や神社の鳥居のようなものだ」と、推測した。
	「ひれ飾り」を付けた高床式入り母屋造りの家形埴輪については「ランク的にみれば、これまで出土していた『かつお木』
	よりも『ひれ』の方が上。『ひれ』は王の象徴としての飾り」と、述べた。
	昨年四月に出土した国内最大の船形埴輪に次いで、二隻目の船形埴輪も出土したことについては「一部しか復元ができなか
	ったため、全景は推定にすぎないが」と前置きし「船べりの構造、オールをこぐ場所など、前回の船とは状況も意味合いも
	違い、これまでの埴輪と同じように一つの種類として置かれたにすぎないだろう」と、語った。
	八賀名誉教授は「これまで『造り出し』は人が古墳の神を祭る場と考えられていたが、柱状埴輪の意味する門の幅が狭いこ
	とから、神が主体になって祭祀を行っていたのだろう」と、当時の人々と神とのかかわりを知る上で大変貴重な資料である
	ことを強調した。

	「高殿」の出現といえる
	辰巳和弘・同志社大学助教授の話 かぎの手状の入り口構造(柱状埴輪)は屋敷周りを意味する表現だろう。今回出土した
	家形埴輪はこの中に位置し、古墳時代の豪族が豪族として行うべきマツリゴト(祭事、政事)の場として作りつけられてい
	たと考えられる。まさに『日本書紀』にある「高殿」の出現と言えよう。
	高橋克壽・奈良国立文化財研究所主任研究官の話 これまで柵形(さくがた)と呼んでいた埴輪が入り口を模して出土した
	例は初めて。(明らかにされていない)柱状埴輪からつながる配列は閉じる形でつながっているだろう。王の死を契機に、
	行われたセレモニーを集約した場所だと考えられる。
	山澤義貴・県埋蔵文化財センター副参事の話 古墳にかかわる祭祀(さいし)の様子をたどることができる貴重な資料だ。
	これまで分らなかったことを解明する多くの材料を提供してくれた。

	遺跡保全前向きに/松阪市・野呂市長
	松阪市の宝塚1号墳で新しい埴輪(はにわ)などの出土を報告した会見で、野呂昭彦市長は「市は今後整備を図り、市民に
	歴史を感じ、学んでいただけるよう守っていきたい。出土した埴輪のためにも、展示収蔵する施設の建設に努め、古墳は史
	跡公園として整備を進めたい」と、遺跡保全に前向きな意向を明らかにした。
	会見後、野呂市長は下村登良男・同古墳保存整備指導委員会副委員長とともに、展示された埴輪を見て回り、下村副委員長
	の説明に「良くできていますね」などと話しながら、熱心に耳を傾けていた。

	■宝塚1号墳■
	全長百十bの前方後円墳で伊勢地方最大の古墳。墳丘部は昭和七年に、同五十三年に周辺も含めたおよそ二万六千七百平方
	bが国史跡に指定された。平成十一年から調査が始まり、昨年一月に古墳本体と「造り出し」部を結ぶ「土橋」と呼ばれる
	通路が全国で初めて出土。四月にはこの「土橋」から約二b離れた所で国内最大の「船形埴輪」が見つかり、十月には「造
	り出し」部から全国で初めて数多くの埴輪群が配列状態で出土した。被葬者は近畿地方とつながりがあり、伊勢湾西岸の広
	い範囲を強い力で支配した人物と推定される。

	市民ボランティア 宝塚1号分の整備へ
	松阪市は宝塚1号墳の整備を市民のボランティアなどの力で進める計画を立てている。新年度予算案に四百万円を盛り込ん
	だ。市教育委員会によると、同古墳を古墳公園として整備を進める中で、「造り出し」部分から出土した円筒や壷形埴輪
	(つぼがたはにわ)などの埴輪群を「買って並べるのではなく、市民らの手による作品を並べたい」といい、具体的には、
	当時と同じような焼成を行うために市内に窯を造り、市民や県内外の人たちも広く参加して、陶芸家などのアドバイスを受
	けながら埴輪作りに取り組む。同古墳周辺の土地七百八十平方bの購入や、便益施設、駐車場などの整備に一億二千七百万
	円の新規予算も計上されており、今回の出土も計画実現に向け、大きな弾みになるという。

	きょうから発掘速報展 囲形埴輪など展示
	松阪市の宝塚古墳から新たな家形埴輪(はにわ)が出土したことに伴い、市教育委員会は一日から四月十三日まで、同市外
	五曲町の市文化財センターで「宝塚1号墳発掘速報展」を開催する。
	「ひれ飾り」の付いた家形埴輪をはじめ、導水や井戸様の水のまつりを表す囲形埴輪、二隻目の船形埴輪などを展示する予
	定。なお、今回は同古墳での現地説明会は開催しない。
	また、四月十四日から五月六日は文化庁主催の日本列島発掘展に先駆け、国内最大の船形埴輪や、囲形埴輪など、同発掘展
	に出展を予定している埴輪を公開する「特別展」も開催する。
	問い合わせは同センター=電話0598(26)7330=まで。
 
				




2003.6.7 歴史倶楽部第73回例会






	2年半ぶりに訪問した古墳は、すっかり綺麗になっていた。まだ整備途上にあるようだが、全貌を見学できるように散策路
	も作られている。








	この様子を見ると、何とか前方部・後円部も掘って貰いたいなぁ、と思う。作り出しだけであんなにすごい埴輪がボロボロ
	出てくるんだったら、さぞや・・と思わずにいられない。






	組合わせ写真なのでちょっといびつだが、規模の大きさは伝わると思う。それにしてもこの土橋は、この古墳の主が海か川
	かの水辺に住んでいた事を強く示唆しているような気がする。



 

皆さん、整備直後の作り出しなど見るのは初めての人も多く、古代築造直後の様相に思いを馳せて感激の面持ち(?)だった。




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